第8話

「……は?」


 いま、なんて言った?


「ごめん、ちょっと聞き間違えたかもしれない。もう一回言ってもらっていいかな?」

「わからないっ。てへっ☆」


 なんだか、さっきよりも声が明るいように感じたのは気のせいだろうか。

 心の中で姉から聴いた言葉を反芻する。硬い食べ物を何度も噛んで味を堪能するのと同様に、言葉の真意を知るために脳内で彼女の声を繰り返し再生する。

 時間をかけて細かく小さく噛み砕き、なんとか意味に理解が及んだ。

 だから僕は、朗らかな彼女の声とは正反対の、絶望に打ちのめされた沈んだ声色で返答するしかなかった。


「じゃあ、どうすればいいんだよ……」

「そう気落ちしないでっ☆ 明日も陽はのぼるんだからっ☆」

「それが続くのも、あと一ヶ月の間だけだよ。世界が破滅すれば、太陽だって消えるんじゃないの」

「それは、そうかもしれないねっ☆ 優くん頭いいーっ☆ すてきっ☆」

「…………またキャラがぶれてるよ、姉ちゃん」

「あっ☆」


 驚いているのか笑っているのか不明な顔を作ったまま、姉が硬直している。

 互いにしゃがんで顔を向かい合わせた状態が続いていたが、しばらくして姉は開けっ放しの口を閉じて立ち上がり、冷静な表情に戻り胸元で腕を組んだ。


「何も分からない以上、あたし達で探っていくしかないわね。ただ、いま気がついたのだけれど、先代は一つだけヒントを残してくれているわ。それによると、植物を成長させる方法は、優くんが住むこの町・|東條町(とうじょうちょう)に隠されているようね。少なくとも、世界中を駆け巡る必要はないと考えていいはず」

「町に関係することなの?」

「そこまでは教えられていないわ。この町にある何かが、世界の救済に関係しているのは確かだけれど、それ以上のことは分からない」

「そんな少ない情報で、僕達はどうすればいいの?」

「まずは、原因を突き止めることから始めるしかないと思うわ。でも、手がかりも何もない状態で闇雲に探しても成果はあまり期待できない。あたしとしては、ここはひとまず様子見を提案したいのだけれど、どうかしら?」

「異常が起きているのに、何もしないというのは良くない気がするけど……」

「様子見といっても、別に家に引き篭もって無駄に時間を過ごすというわけではないわ。特別な目的はもたずに、風の吹くまま気の向くまま、大雑把に町を探り回ってみるということよ」

「範囲をこの町に絞って、歩き回る?」

「そんなところね。幸運に恵まれて尻尾を掴めたら、本格的な調査、究明に行動を移していければいいと、そう思っているわ」

「反対してるみたいで申し訳ないんだけど、まったく手がかりが見つからなかったらどうしよう?」

「意見なんていうのは、その質を問わず、とにかく多く出した方がいいものなの。決まりごとが重要であれば重要であるほど、くだらない提案でも恥じずに主張するべきだわ。候補として挙げられた案が誤っていると判断がつけば、その反対が正解を構成する要素の一部であると推察できる。それを繰り返していけば、最良の道がしだいに浮かび上がってくるはずよ」


 引き篭もっているのは間違いだから、外で行動する。いつまでも目的もなく探査していても仕方がないから、期間を設ける。解決するために必要だから、手がかりを見つければ即座に本格的な調査に移行する。

 なら、手がかりを見つからなかったらどうする?

 ……そうだ。期間が過ぎてもだらだら歩き回っているのは誤りだ。代わりの行動は思いつかないけど、それは正しいはずだ。

 姉に訊いておきながら、僕は自分で抱いた疑問の答えを知っていた。


「手がかりが見つからなかったら、その時に現状を整理して、適切な次の行動を考えればいいと思うんだけど、どうかな?」

「うふふっ、良い案だと思うわよ。あたしも、優くんと同じことを考えていたわ」

「そうなんだ。早く見つかるといいね。こんなわけのわからない状態は、一秒でも早く終わってほしいよ」

「大丈夫。きっと、すぐに見つかるはずよ」

「それは、何を根拠にしてそう思うの?」

「そうねぇ……」


 姉は頬を緩め、悪戯っぽい笑顔を浮かべた。


「あたしの勘っ――いえ、神のかん――違うっ! 女の勘。そうっ! 女の勘よっ!」


 自信に満ち溢れた様子で、僕を見据えている。決め台詞のようだったけれど、残念ながらまったく決まっていなかった。

 その代わり、僕の緊張した心身が解れていくのを感じた。硬直したまま僕の感想を待っている彼女の姿が滑稽に見えて、昨晩から続いていた警戒心が薄れた。強張っていた僕の頬も、自然と緩んでしまう。


「あら、笑うなんてひどいわね。あたしは真剣なのよ?」

「ははっ、ごめん。なんか、なんだろう。姉ちゃんって神様なのに、結構おもしろいことを言うんだね。僕の想像していた神様とはかなりかけ離れてるよ。神様と呼ばれる存在が本当にいるとしたら、もっと厳格で、冗談なんて絶対言わないんだと思ってた」

「あたしは不完全だからね。本物の神様なんていうのは、だいたい優くんのイメージ通りの性格をしているものよ。そうでもないと、世界を破滅させようだなんて考えないわ」

「そうだね。姉ちゃんも、いつかはそんな風になっちゃうの?」

「さぁ、どうかしらね。なるかもしれないし、ならないかもしれない。けれど、選択権を与えられるのだとしたら、迷わずならない方を選ぶわ」

「その通りになるといいね」

「ええ。優くんも、そっちの方が嬉しいわよね?」

「ぼ、僕はどっちでも……でも、神様らしくない神様の方が良いかな?」

「優くんにそう言われたら、どんな手を使ってでもこのままでいなきゃいけないわねっ! お姉ちゃんに任しておきなさいっ!」

「う、うん。なんだかテンションがすごい上がってるみたいだけど、いま気合を入れても意味ないんじゃない?」

「仕方ないじゃないのっ! 優くんに応援されたら、下がるテンションも下がらないわっ! 燃えてきたわねっ!」


 後ろを向いて、果てしなく遠くまで広がる純白を姉が振り仰ぐ。


「あたしは、あたしの人格を絶対に渡さないわよっ!」


 言葉にした決意が僕以外の誰かに届いているのか、確認する術はない。だけど、姉の宣言した願いを誰かが聞いていて、それが叶えられることを僕は望んだ。


「さて、この場所で現状やれることは全部済んだから、そろそろ戻りましょうか」

「戻るって、どうやって?」

「来た時と同じ方法よ。さ、あたしの手を握って、優くん」


 ここへやってきた際にそうしたように、姉がまた自分の手を差し出す。

 僕は彼女の手を、躊躇せずにすぐ握ってみせた。重ねた手のひらから、姉の体温が伝わってくる。

 その温かさを、とても心地よく感じていた。


 ――もしかしたら、これからすごく楽しい時間が始まるのかもしれない。


 世界の破滅とやらを前にしながら、僕はそんな不謹慎な期待を抱いていた。破滅と宣告されているけども、実害が及んでいないのだから実感が沸くはずもない。

 僕はただ、突然現れた姉と一緒に過ごすこれからの生活で、これまでの人生にはなかった充実感が得られるかもしれないと、そんなことばかりを考えていた――。

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