第48話

 バーベキュー場までやってきた僕達は、広場の方ではなく脇にあるコテージへと歩いていく。

 入口は建物の二階部分にあった。一階部分には支柱がいくつも伸びているだけなので、建物の構造上は二階でも、実質そこは一階と言えるだろう。

 玄関前にはバルコニーのような広い足場があり、欄干のない真ん中部分から地面とを繋ぐ階段が設置されている。

 建物と同じ木製の階段は案外丈夫に造られており、踏んでも不安な軋んだ音を発したりはしなかった。

 姉が入口の扉の前に立って、錠前の穴に鍵を差し込む。ややあって金具の外れる音が聞こえ、鍵を引き抜いてから横向きに取り付けられている持ち手を奥に押し込んだ。

 完全な木造建築にしか見えなかったので心配していたけれど、コテージの中は存外暖かい。と言っても、防寒具を脱げるほどの室温ではない。姉も同感なのか、玄関の扉を閉めてからもコートを脱がずにいる。


「なかなか素敵な造りじゃない。とりあえず、暖炉をつけましょうか。いい加減、寒くて仕方ないわ」

「暖炉なんて使ったことないんだけど、隣にある薪を使えばいいの?」

「まあ見ていてちょうだい。こういう時に、あたしの知識が役に立つのよ」


 その場に荷物を置いた姉は暖炉に近寄っていき、隣に積み上げられた薪を何本か抜き取っていく。

 僕も重荷の全てを床に置くと、彼女が作業する様子を居間に置かれたソファに腰かけて眺めることにした。


「これを、こう積み上げて、空気の流れを考慮して……」


 独り言を呟きながら作業する姉を見るに、空調のようにスイッチを入れて終わりというわけにはいかないようだ。

 彼女が苦労しているのに何もしないでいるのは申し訳ないと思い、僕はすぐに立ち上がった。


「僕、ちょっとコテージの中を調べてくるよ」

「わかったわ。優くんが暖まれるように、それまでには暖炉をつけておくわね」


 暖炉の前で屈んでいる姉は、それだけ言うと視線を手元に戻した。

 ひとまず、自分がいる区画の様相を観察する。

 玄関と直結している広い空間が自分の立っている部屋だ。

 形はL字型になっていて、玄関は長手方向の真ん中に位置している。玄関から見ると、左にソファと座卓のセット、右側に椅子と机の置かれた食卓がある。食卓の奥にはキッチンがあり、ソファの裏に暖炉が設置されている。

 左奥にはお手洗い、洗面所、浴室があり、二階に続く階段もそこから直線に伸びていた。

 手すりを持って二階に上る。軽く見回してみたけれど、一階では居間になっていた広い空間が丸ごと寝室となっているようだ。セミダブルのベッドが二つ、隙間を贅沢に空けて配置されている。

 階段の逆側にはバルコニーがあった。屋外と屋内を仕切るように、三メートルくらいの高さの窓が閉められている。僕は窓の鍵を外すと、屋外に出てみた。

 バルコニーから眺める景色は、僕の過去の記憶にはないものだった。

 地平の果てには雪を被った山々が見えて、地面には茶色の森林が敷き詰められている。どうやら、コテージの二階は周辺の木々よりも高い位置にあるらしい。


「森の木って、そんなに低かったっけ……?」


 バルコニーの欄干に手を添えて下を覗いてみると、浮かんだ疑問が自己解決した。

 ここは二階のはずなのに、三階分か、それ以上の高さがあるように感じる。


「そうか。そういえば、ここは実質三階の高さなのか」


 それなら木々よりも高い位置に立っていることも頷ける。納得した僕はバルコニーから室内に戻り、姉のいる居間へ戻ることにした。

 


 激しい炎が暖炉に灯っている。室内全体まではまだ熱が伝わっていないけれども、付近にあるソファに座っている分には防寒具が不要なくらいには温かい。

 壁にあったハンガーにコートをかけている姉に促され、僕は運んできた荷物の中身を座卓の上に並べていく。

 消費期限の問題により、必然的に缶詰類が多くなってしまった。多種の缶詰と、レトルトカレーや乾麺、米と少しの野菜が、二人掛けのソファに合わせた大きさの座卓の上を埋め尽くす。


「いくら冬でも長くはもたないでしょうから、野菜は早く食べないといけないわ。とりあえず、それだけでも冷蔵庫に入れておくべきね」

「ある程度献立を考えた方がいいかも? いや、そこまでしなくても、保存食以外を順番に消費していくことだけ考えてればいいかな? そんなに量もないし」

「いいえ、これだけあれば足りなくなることもないでしょうけど、念のため必要食材を考慮した献立を考えた方がいいかもしれないわ。そっちの方が気分も出るし」

「ただ面倒なだけで、楽しくはないと思うけど」

「慣れてしまうとそうかもしれないけれど、不慣れなうちは面倒も楽しく感じるものよ。計画を立てて、その通りに遂行できるよう気を回す。何も考えないでいるよりは、何かを考えていた方が楽しいはず。慣れてしまうから、楽しかったはずのものを面倒と感じるようになるのよ」

「楽しい、か……僕達のこれからには、一番大切な感情だね」

「ええ。前に伝えた通り、これがあたしの推測する限りで最も有力な仮説よ。優くんの感情によって、純白の空間にある樹木は成長したり退化する。最終目的である花を咲かせるためには、これまでにないくらいの明るい感情を得なければならない。単純だけど、この状況下で、更には残り八日で達成するのは不可能かもしれないわ。より有力な推測があればそちらを優先したいのだけれど、優くんは思いついたかしら?」

「全然。物事が物事なせいもあるだろうけど、姉ちゃんの考えに意見はできても、自分で組み立てたりはできないよ。だけど、もう関係ない。もう、新しい推測を行う必要がないからね。僕は、姉ちゃんの考えが核心をついていると信じてるから、できるだけやってみるよ」

「ありがとう」


 改めて、互いの決意を確認する。

 堅苦しいやりとりも無駄ではないと思うけれど、現在しなければならない話題からは少々脱線してしまっていた。


「そういえば、姉ちゃんは何を持ってきたの? 着替えだけ?」

「基本的にはそうね。でも、家の物置を調べてたら役立ちそうな道具があったから、いくつか持ってきたわ」


 話しながら、姉は座卓の上を整理して隙間を作り、そこへ自分の運んできたバッグから取り出した物品を並べる。


「紙製のコップと皿に、着火剤? もしかして、これを使って暖炉をつけたの?」

「ええ、そうよ。薪を組み上げて、最後に着火剤で点火したのよ。おかげで思ったより楽に済んで良かったわ」

「よく暖炉をつけるのに使えるだなんて思い浮かんだね」

「そうではなくて、暖炉に使えると思いついたのはここへ着いてからよ。そこまで熟慮していたわけではないわ」

「そうなんだ。だけど持ってきて正解だったね。あとは、えーと、サバイバルナイフ……? キッチンには包丁も用意されてるけど、これ、必要?」

「むしろ、どうして不要になるのよ。サバイバルをするなら、サバイバルナイフは役に立つものでしょう? 包丁と同列に考えるのではなくて、別物として扱うべき代物よ」

「いや、コテージがあって食材も買ってきたんだからさ、自然の中で生活するからといってサバイバルする必要性は皆無だと思うんだけど」

「そうかしら? あたしも知識としてだけで経験はないけれど、案外楽しそうな感じがしない?」

「僕は遠慮したいかな。本当の意味で自然の中で生きていけるほど、心は逞しくできてないから」

「そう。それは、ちょっと残念ね。優くんがそう言うなら、サバイバル体験を提案するのは自粛するわ。でも、何かに代用できたりするかもしれないから、その時には是非活用してちょうだい」


 革製と思しき黒色のシースに納められた長いナイフを机の上に置いたまま、姉はバッグをソファの脇に退けた。

 そのナイフは消えてしまった少女を想起させたけれど、いまとなっては思い出したくない出来事というわけでもなく、彼女との大切な記憶の1つだと感じることができた。


「あたしが持ってきたのはこれだけよ」

「案外少ないんだね。他にも突飛な物を持ち込んでくるかと思ってたよ」

「優くん、いったいどういう目であたしを見ているのよ。こんな時にまで役に立たない玩具を持ってくるほど無神経じゃないわよ? 優くんこそ、私物は替えの衣類くらいしか持って来てないのではないかしら?」

「他に何も思いつかなくて。携帯ゲーム機を持ち込もうか悩んだけど、やめておいたよ。自然に囲まれた場所で過ごすのに、ゲーム機片手に引き篭もるのもどうかと思ってね。携帯電話は深く考えずに持ってきたけど、これもいらなかったかもしれない」

「電話はあたしも持ってきたわ。何があるかわからないから、互いに連絡を取り合うためにも一応常に持っておいた方がいいと思うわ。それに、ここには時計がないようだから、日付の確認にも役立つはずよ。充電器は持ってきたかしら?」

「部屋のやつを引っこ抜いてきたよ。連絡手段として使えるっていうのは忘れてたなぁ。それが携帯電話の本懐なのにね。もう連絡を取る必要のある相手も、取れる相手もいないと思ってたけど、姉ちゃんがいてくれるならまだ役に立ちそうだ」

「そうでしょう? 好きな時にかけてきていいし、いくらでもメールを送っていいわよ。電話は保留音が一回終わるまでに出るようにするし、メールは一分以内に取り急ぎ受信確認の返事を寄越した後で、改めて正式な返事を送るようにするわ!」

「いや、そんな気合入れてくれなくてもいいよ。こっちが気を遣っちゃいそうだし」

「返信が遅かったら寂しくなるでしょう? あたしにとってそれは耐え難い苦しみだから、そうもいかないわ!」

「別に寂しくならないから、気にしなくていいって」

「あたしが気にするのよ!」

「えぇ……。お願いだから、ちょっと離れたくらいで電話かけたりメール送ったりしないでよ? 最初のうちはいいかもしれないけど、頻繁にやられると面倒になるだろうからさ」

「最初の数回なら、やってもいいのね?」


 妙に楽しげなトーンで揚げ足をとった姉の顔に目をやる。

 彼女は、声色に相応な表情をしていた。随分と久しぶりに見た、懐かしい微笑みだ。

 昔の僕はこんな時にどんな態度で、どんな言葉を返していただろう。

 当時の記憶はおぼろげだけど、今の僕なら、取り繕うこともなく、対等な目線で余裕を持って言葉を返せる。


「だけど、やっぱり必要ないかもしれないな。僕と姉ちゃんは、もう離れて行動することもないでしょ。一緒にいるのなら、携帯電話を連絡手段にする機会は訪れない。違うかな?」


 姉は目を見開いて、口を半開きにしたまま固まっている。

 暫くして表情を弛緩させると、口元に小さく笑みを作った。


「――ふふっ、そうね」


 一言呟いた後も口を閉じず、嬉しそうに開かれた隙間から歯を覗かせる。

 疑う余地のない喜びの眼差しも携えて、姉は僕を見据えた。


「優くんの言う通りだわ」

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