第49話
コテージにやってきた初日は、充実しているキッチンの調理器具と食材を眺めつつ、一週間の献立を考えてから昼食を作ることにした。
最初の食事はカレーだった。提案したのは僕で、陳腐な発想で面白みにかけるけれど、姉は文句を言うどころか張り切って「どうせ作るならおいしく作らなないと損よね」と意気込み、二人で調理を始めた。一時間近くルーをかき混ぜていたので、出来上がったのは午後3時過ぎだった。けれど、味は納得のできる美味しさだった。
昼食を終えてからは、外に出て広大な敷地内を隅々まで歩き回った。寒かったし、自然にそれほどの興味もなかったはずだけれど、これから一週間生活する土地だと思うと不思議と退屈しなかった。
夜は昼に作ったカレーの残りを食べて、僕、姉の順番で風呂に入ることにした。
姉が風呂から上がると、一階の照明を全て消して、二階に上がって布団に潜り込んだ。僕が奥側で、姉が手前のベッドを使うことにした。
そして今、暗くなった室内で、僕は真上の天井にある天窓から夜空を見上げている。今日は晴れていたからか、暗い空を無数の星が彩っていた。
「素敵な星空ね。天窓をベッドの真上に作るなんて、デザインを担当した建築家はいいセンスしているわ」
「同感だよ。なんだろうな。小さい時は星を見るだけではしゃいでた覚えがあるんだけど、最近はどうでもよくなってたな。満天の星空を見たって、綺麗だっていう単純な感想さえ抱いていなかったと思う」
「でも、今日は綺麗だと感じるのかしら?」
「うん。どうしてだろうね。幼い頃の感性が蘇ったりでもしてるのかな? だとしたら、まだまだ僕は子供なんだろうね」
「子供は色々な物に興味を持ちやすい性質があるけれど、その反対が大人というわけでもないわ。むしろ、破綻しているようだけれど、大人だって色々な物に興味を持つべきだとあたしは思う。成長の過程で、大抵の人間は一度大切な感性を失うのよ。それを取り戻せる人間こそが、立派な人物になれるのだと思うわ」
「さすが、達観してるね。僕にはちょっとわからないかな。だけど、こんな風に純粋に星空を眺めるのも悪くない。人としての在り方なんていう高尚な理由は抜きにしてね」
ちらっと横目で隣のベッドを見てみると、姉もジッと天窓から空を見上げているようだった。
僕の視線に気づいたのか、不意にこちらに顔を向ける。暗闇でも、彼女が微笑んでいることがわかった。
「ねぇ。優くんって、小さい頃はどんな風に育ってきたの?」
「それくらい、姉ちゃんの記憶にあるんじゃないの? 僕と生活してきた過去の記憶があるって、前に言ってなかったっけ?」
「あるけれど、それは偽物なのよ。書き換えられた後の、いずれ十三月が訪れる世界での優くんとの思い出なの。あたしが知りたいのはそうではなくて、真実の歴史の話よ」
「そういえば、一度も話したことなかったね。だけど、ありきたりで面白みに欠ける思い出話だよ?」
「構わないわ。あたしは、その面白みに欠ける話が聴きたいのよ」
「なら、ご希望通り、つまらない話をしてあげるよ」
向き合った状態から、僕は再び天窓に視線を移した。
静かに目を瞑って、記憶遡行を始める。
「ごく普通の家庭で生まれた僕は、ごく普通に育ったよ。幼稚園でのことはほとんど覚えてないけど、将来の夢を発表する場では、肉屋になりたいって大声で宣言してたなぁ」
「ふふっ、お肉が好きだったことが理由かしらね?」
「たぶんね。いまは精肉店を経営したいなんて夢は持ってないよ」
「あら。いつくらいにお肉屋さんになる夢を捨ててしまったのかしら?」
「小学校中学年くらいの時にも、紙に書いた夢を発表する授業があった覚えがあるけど、あの頃はゲームが好きだったからゲームを作る仕事をしたいとか書いたような気がするなぁ。当時好きだったもので決まるなんて、安い夢だよ」
「小学生の抱く夢なんて、大概そんなものよ。だからこそ、その頃の夢を大人になるまで貫ける人物は大物になれるのよ。小学校の思い出は、他にはないのかしら?」
「特別印象に残ってることはないかな。成績は真ん中付近を行ったり来たりしてたし、運動神経も平均だった。休み時間は友達と外で遊んだりして、雨の日はおしゃべりして過ごしていたかな。ガキ大将みたいな子もいたけど、幸い敵視されたりはしなくて、平穏に六年間の小学校生活を終えられたよ」
「好きな子はいたの?」
「へっ!? ま、まぁ、いたけど、同学年の男子の大半は好きだって言ってた子だったね。容姿が良くて、明るくて、スタイルが良い。恥ずかしながら、話したこともないくせに、外見だけで惹かれてしまったんだろうね」
「それで、その子とはどうなったのよ? 告白はした?」
「そんな勇気はなかったよ。僕より運動神経が良い子も、勉強ができる子も好きだって言ってるのに、僕なんかに勝ち目があるとは思えなかったからね。テレビに出てる芸能人みたいな感覚で、近寄れなかったよ。そんな弱腰だったから、告白どころか一度もまともに話せないまま卒業しちゃったね」
「うふふっ。でも、今となっては良い思い出ね?」
「まあね。小学校はそれくらいかな。それで次は中学校なんだけど、これも似たような感じでね、特に楽しいエピソードはないんだよね」
「コイバナはないのかしら? 中学生って言ったら、本格的に付き合いだすカップルも多く生まれるはずよねぇ?」
「姉ちゃん、さっきからそればっかり聴きたがってない? そんなに当時の僕の恋愛事情に興味あるの?」
「あるに決まってるじゃないのよ! あたしだって年頃の女子なのよ? 三度の飯よりコイバナよ。コイバナでご飯三杯はいけちゃうくらい、恋愛に興味を持つ女子高生なのよ?」
「なにそれ。先に言っておくけど、僕は中学校でも彼女はできなかったよ」
「へぇ~。告白は経験した?」
「してないよ。女子と話したいと願いながらも、異性とは話が合わないと粋がっていたから、いつも気の合う男友達とばかり遊んでた。部活はテニスをしてたけど、別段熱意があったわけじゃなくて、必ずどこかに所属しなければいけなかったから入っただけ。三年間続けたけど、団体戦では一度も試合に出れなかったくらいには下手だったよ」
「優くんがテニス部だったのは知ってたけれど、意外だと思ったわ。テニスを選んだ理由は?」
「何だっけな。よく覚えてないあたり、大した理由じゃなかったんだと思う。友達が入るって言ったから、同じ部を選んだんじゃなかったかな」
「ふぅん。好きな女子がテニス部だったから、試合を機に近づこうとしたとかではなくて?」
「……好きな子がテニス部だったのは合ってるけど、そういう下心はなかった……と思いたいね」
「うふふ、青春ね」
「茶化さないでほしいな。年頃だったんだから仕方ないじゃないか」
回想から現実に戻ってきて、再び星の瞬く空を眺めた。
胸に響く美しい輝きが、僕の思考を活性化させている。自分が歩んできた道を省みて、〝あの時にああしていれば〟、〝あれは良くなかったかも〟などと、過去の自分を叱責した。過去は過去で、変えられるはずがない以上、無意味であるはずなのに。
大切なのは、これからなんだ。
そう刻んではいても、一度沸き立った思い出は簡単には収まらず、中学時代の次は高校時代の情景が脳裏に浮かび上がる。
「高校生活は一年も経ってないけど、悪くなかったよ。初めて心から仲良くなりたいと思った友達が出来たし、一時ではあったけれど、作り笑いをしなくてもいい、ありのままで楽しめる時間を過ごすことができた」
過去形になったのは、意図したものではない。
大切なのは、これから。
わかっているはずなのに、僕は未来の展望を描くことができなかった。
「優くん」
呼ばれて、隣のベッドに身体を向ける。
今度は暗くて、姉の表情が確かめられない。
「……なんでもないわ。色々話してくれてありがとう」
「こんなこと、お礼を言われるほどの行為でもないよ」
「それでも、嬉しかったわ」
他の誰にも聞かれる心配はないのに、姉は抑えた声量で感謝を繰り返す。
気持ちを伝えた後、彼女は反転して僕に背中を向けた。
「あたし、寝るわね」
「うん」
「おやすみなさい、優くん」
挨拶を済ませて、姉は毛布と掛け布団を頭までかぶって僕の視線を遮る。
「おやすみ、姉ちゃん」
毛布越しでも聞こえるように返した後、僕はまた星空を見上げる。
無意味だとわかっているはずなのに、余計なことを口走ってしまったと、最も近くにある過去の自分を叱りつけずにはいられなかった。
それから、僕達の最後の一週間が始まった。
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