第46話

 閉ざされた校門に歩み寄って確認してみたけれど、門の中央が錆の混じる金色の錠前で結ばれており、当然ながら鍵を持たない僕達には開けることが叶わない。


「まさか、クラスメイトどころか学校の関係者が一挙にいなくなるなんてね。いよいよ、先代がいかに本気であるかが形になってきたわ」

「だけど、そんなことありえない――――とは、言えないんだね」

「ええ。ここが優くんの知っている空間であろうと、流れる時間が十三月である以上は異世界よ。常識なんて単語は意味を成さないわ」

「それにしても事態の悪化が急すぎない? 昨日は隼人ひとりだけだったのに、今日になって学校の生徒も教職員も全員なんて」

「校舎だけが残っているのも不気味よね。人間だけが消えていく以上、建物が取り残されるのは道理ではあるのだけれど」

「こうやって、一日が経つごとに世界から人が減っていくのかな?」

「一日のうちの定められた時間に、あらかじめ決められた人達が抹消されているとは限らないわ。微妙にズレていたかもしれないし。あたし達はお母さん達や桐生くん、学校の生徒達にしても、消える瞬間を目にしていないのだから、どんな風にいなくなるのかは憶測になってしまうわ」

「そうなんだけど……テキトーに消える順番を決めてるわけじゃなくて、法則に従っていなくなってる気がするんだよ。だって、学校の生徒にしても、今のところ僕が知っている、もしくは知っていそうな人物しか消えていない」

「…………そうね」


 姉は神妙に頷いて、誰からも必要とされなくなった学び舎を仰ぎ見る。

 ふと、背後が気になって振り返った。

 僕が目を向けた先には、散歩の途中と思しき顔の皺が目立つ腰を曲げたおばあさんが、奇異な物でも見るように目を細めていた。


「あの、なにか?」

「あんたら、いったい何やってんだい? そこは廃校だよ。見かけない制服を着とるし、この辺の子供じゃないね?」

「えっ、いや、その……」

「怪しいねぇ。そんなとこ入るのは勝手だけどね、盗む物なんて何にもないよ」

「盗むって……僕達は別にそんなつもりじゃないですよ。誤解しないでください」

「じゃあなんだって言うんだい。どうして廃校なんかの前に立ってるんだい? 学校はどうしたんだい。今日は平日だよ? あんたらの学校には行かなくていいのかい?」

「いや、僕達の学校は……」


 滔々と捲し立てる老人を相手に、僕は完全に翻弄されていた。

 素直に、正直に答えても良いのならこんな動揺したりしない。ありのままを伝えたら更に事態が悪化するからこそ、どう答えればいいのかわからないんだ。


「――すみません、別段、悪事を企てているわけではないんですよ」

「姉ちゃん……」


 校舎に背を向けて僕の前に歩み出た姉は、目を眇めて僕を見る。視線が重なると、彼女は右目をウインクした。「あとは任せなさい」と、そう伝えているのだと直感で理解する。


「じゃあ何が目的だい? そっちのお兄ちゃんは、私に訊かれて随分と動揺してたけど」

「知らない人に理由を訊かれると思っていなかったからでしょう。あたし達は、ここから電車で一時間ほど離れた場所にある学校から来たんです。あまり有名でもないですから、制服に見覚えがなくても当然かもしれませんね」

「そりゃまた随分と遠いところから来たねぇ。で、肝心の目的はなんだい?」

「社会科の授業で、身近な物の歴史を調査することになったんです。それで、あたし達は取り壊されずに残ってる学校の歴史を題材に選びまして、まず手始めに実物を見ようと思い、こうして今日、学校に寄らずに自宅から電車に乗って直行してきたんですよ」

「はぁ~、感心だねぇ。自分とこの生まれ育った町でもない土地の廃校の歴史を調べるなんざ、あんたら、変わっとるよ」

「先生方からも、同じような台詞を聞きました」

「だけども、私ら地元住民にとっちゃ嬉しい限りさね。この学校は、昔っからここにある、言わば町の一部でね」

「そうなんですね。ちなみに、この学校がいつ頃に廃校になったか、ご存知でしたら教えてくださいませんか?」

「それくらい調べとらんのかね。そうさね、あれは、確か……」


 突如呆けた顔を見せた老人は、言葉を切って硬直する。

 態度の急変に驚いた僕と姉は顔を見合わせる。

 心配して声をかけようとしたところで、老人は我に返って姉に視線を戻した。


「おや、私も年だからかね。いつ頃に廃校になったのか、まったく思い出せん」

「……そうですか。思い出そうとしてくださっただけでも嬉しいです。ありがとうございます」

「ふむ。あんたらが怪しいっていうのは、どうも私の誤解だったようだね。すまなかったね。年寄りだから頭の回転が遅くていかんよ」

「いえ、お気になさらないでください」

「おやおや、ほんとに礼儀正しい娘だねぇ。私の息子に、爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだよ」

「うふふ、お褒め頂いて嬉しい限りです」


 猫をかぶっているのか、優等生を演じているのか、別人のような声のトーンで姉が応対している。

 眉一つ動かしていないので、僕のように事情を知っている者でなければ偽装に気づけるはずもない。

 おばあさんは始終姉の発言には疑問を持たないまま、僕達に背を向けた。 


「邪魔して悪かったね。授業、がんばっておくれよ」


 老衰を感じさせる弱々しい姿が、僕達が歩いてきた大通りの交差点へ遠ざかっていく。


「僕、時々すごく姉ちゃんが恐ろしく思うよ」

「そうかしら? これくらい、身につけておかないと苦労するわよ?」

「すぐには真似できそうにないな。よくもそんなもっともらしい理由が瞬時に思いつくね」

「物事を円滑に進めるためには、嘘は便利なの。あたしはそういった知恵を会得しているから、状況に合わせて自然と思いついてしまうのよ。あ、でも、優くんに嘘をついたことは一度たりともないから、安心してちょうだい」

「それも嘘だったりして」

「うふふっ、それを言われたら困っちゃ――」

「え――――?」


 和やかで笑い声さえ混ざっていた雰囲気から一転、楽しいという感情が奪い取られたように、僕達は同時に表情を強張らせた。

 姉がそうなのか確実とは言えないけれども、おそらくは同じ理由によるのだと思う。

 僕と姉は、小さくなっていく老人の背中を見送りながら、交差点の方を向いて話していた。

 その最中、老人が交差点を左に曲がろうとした瞬間――。

 身体が、視界から消え去った。

 角はまだ曲がっていなかった。充分に見える位置に立っていたはずなのに、瞬きをした拍子に老人は忽然と姿を消してしまった。

 咄嗟に駆け出して交差点にまで移動すると、周囲を見回す。

 交差点から分かれる道は、いずれも脇道のない見通しの良い道路だ。けれども、つい先ほどまで僕達と会話していた老人の姿は、もうどこにも見えない。

 緊張した真剣な面持ちの姉が、後から鷹揚とした足取りで歩いてきて、僕に追いついた。


「消えてしまった、のでしょうね」

「そんな……だけど、どうして?」

「なんとなく、わかったかもしれないわ」

「消えてしまう理由が?」

「それは破滅の日が近づいているからでしょう。そうではなくて、消えてしまう人間の法則についてよ。もちろん確証はないけれど、あのおばあさんが本当に消えてしまったというのなら、有力な仮説を立てることができるわ」

「初対面のおばあさんが学校の人達と同列に扱われたんだから、逆に僕はわけがわからない。だって、あのおばあさんが消えてしまったのなら、誰が消えたっておかしくないでしょ」

「ええ。そうかもしれないわね。けれどあのおばあさんは、つい数分前までは他人だったとしても、消える瞬間には他人ではなかった。あたしと優くんと一言二言だけではなくて、何度か言葉を交わしたわよね。きっと、あのおばあさんはあたし達の顔を覚えたでしょう。あたし達が、あの人の顔を覚えたように。こうなるともう、他人と言うよりは〝知り合い〟と呼ぶのが世間では適切よね?」

「そうだろうけど…………いや、そうか。そう考えれば、あのおばあさんも学校にいた人達も、僕にとってはそう大差がない」

「帰納的に導いた推測になるけれど、おそらくは、世界から抹消される順番は優くんとの関係の深さによるのではないかしら?」

「僕にとっては、きちんと友達と呼べるのは隼人だけだった。家族がみんないなくなって、友達も消えて、今日は知り合いが対象になったってこと? だとしたらおかしいよ。同じ学校に通っていても、喋ったこともなければ見たこともない生徒だって多くいたはずだ。その人達は、〝知り合い〟とは呼べないでしょ」

「そうね。だからあたしの考えは不完全なのよ。明確な条件についてはまだ判然としていないわ。ただ、優くんの関係で判定されるのではないかって、そう思ったのよ」


 同調することはできないけれど、否定できるだけの矛盾も見出せず、僕はもう一度自分の通うべき場所だった建物を見上げた。


「……もし、本当に姉ちゃんの言ってる通りだとすれば……」


 僕と関係を持ったばかりに、救済を待たずして消えてしまうというのなら……。

 鬱屈とした靄が覆いかかるが、それを片手で振り払う。

 神様とやらは、どこまで勝手な存在なのだろうか。予告もなく人を救済者に任命して、自分はさっさといなくなり、挙句の果てには責任を任命した人物に押し付ける始末だ。やってることは、〝要求を満たせないのなら、人質を一人ずつ殺す〟なんていう戦争映画で耳にする陳腐な展開そのものだ。違う点があるとすれば、映画の中のヒーローは大抵の場合犠牲者が出る前に事件を解決するけれども、現実ではもう無惨な数の人々が亡くなってしまっている。

 僕がやらなければいけないのか。

 文字通り誰一人いなくなったとしても、人々の住んでいる世界を救うためには、僕が成し遂げなければならないのか。

 当初は身に余る規模の決意を迫られ、真剣に向き合うことを拒絶した。


 ――だけど、いまは違う。


 世界のために、身を賭して事態の解決に努める強固な意志が胸に宿っている。

 僕の考える世界とは、この地球上の生命全てを指しているわけではない。

 僕の考える世界とは、もっと狭い、僕を僕として存在させてくれる世界だ。

 家族がいるから、僕は自分が何者なのか知っていて、友達がいるから何が楽しいのか理解していて、学校があるから何をすべきか教えられている。それらは全て無くなってしまったけれど、それでも、僕の世界にはまだ、僕にとって大切な物が残されている。

 ただひとつ、そのためだけに。

 最も大切な物を、守るために。


 ――僕が、やらなければならないんだ。


 状況は絶望に落ちていく最中にあるのに、僕の信じる僕自身の意志は、まったく揺らぐことがない。いつの間にか手に入れた鋼鉄の心は、誰に見せ付けるわけでもないけれど誇らしかった。


「僕と関わってしまうばかりに消えるのなら――」


 僕は校舎より更に上空を見上げ、空模様を両目で眺める。

 粉雪は舞っていなかったけれど、重たい灰色の空は、あの日の色と同じだった。

 あの日から少しは強くなれた僕ではあるけれど、自分と言葉を交わしたり、目を合わせたりした人物が次々と消えていく現実には耐えられそうにない。

 もう、心が壊れてはいけないんだ。失敗はもう、許されない。

 だから僕は、咄嗟に思いついた最良の対策を、唯一の協力者に持ちかけることにした。

 僕には、こうする以外に思いつけなかった。


「姉ちゃん、この町を離れよう」

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