第4話

「お母さん、このお雑煮すごくおいしいわ! うう~んっ、やっぱり元旦はこれを食べなきゃ始まらないわね~」

「いきなりどうしたのよ。あんた、昨年まで『餅は嫌いだからいれなくていい』って言ってたじゃないの」

「あれ、そうだっけ? まぁまぁ、きっとあたしも年をとって味覚が変わったんだよ~。油っこい物が食べれなくなるっていう、アレよ、アレ」

「待て。それはパパに対する暴言か? どうして俺が最近めっきりヘルシー志向になったと知っている」

「えっ、そうなの? お父さんお肉食べれなくなっちゃったの? あんなに好きだったのに」

「言うな。別にいいさ。味覚が変われば好みも変わる。キャベツでもレタスでも人参だって構わない。そのうち新しい好物ができるはずだ」

「じゃ、あたしがお父さんの分までお肉を食べてあげるわ。新しい好物、早く見つかるといいね」

「わけわかんないこと喋ってないで、さっさと食べちゃいなさい」

「はーい」


 四人用の机にある〝空いている椅子〟に、さもそこが自分の定位置であるかのように座っている〝お姉ちゃん〟は、当然のように用意されていた自分の分の器に手を伸ばし、母さんの作った雑煮を幸せそうに味わっている。箸で餅を挟んで口に運び、対面にいる僕には目もくれず、瞳を閉じてじっくりと咀嚼している。

 両親とも自然に会話しており、カレンダーの件と同様に違和感を抱いている異常者は僕だけのように思えた。けれど、僕からすればここにいる僕以外の全員がおかしいことは、微塵たりとも疑う余地のない事実だ。

 彼女は絶対に何かを知っている。スローペースで食事を楽しむ姿を見ながら、僕は根気よく待った。僕の前にある器は既に空だ。それを見た父さんが、何気ない感じで話しかけてくる。


「優、おかわりはいいのか? お前もお姉ちゃんも成長期だ。正月太りなんて気にしなくていいから、たくさん食べろよ」

「いいよ。もうお腹いっぱいだし」

「あら、〝優くん〟は食べないの? あたしはおかわりしちゃおっかなー?」

「それでこそ俺の自慢の娘だ! 優、お前は負けてもいいのか? 男を見せろよ!」

「なんでおかわりすることが男を見せることになるのさ。僕はもういらないよ」

「どうしてそんなに怒ってるのよ。このお雑煮のお餅みたいに、ぷくーって膨れ上がってるわよ?」

「怒ってないし、膨れ上がってないし、雑煮の餅は膨らんでもないでしょ!」

「あっ、いいツッコミ。さすがあたしの弟ね、〝優くん〟」

「ッ! ちょっと――」


 僕は席から立ち上がり、一杯目を食べ終えておかわりしようとしている彼女の手を引いた。

 彼女は空の器から手を離し、僕に困ったような苦笑いを見せる。


「なによ〝優くん〟。そんなに慌てちゃってどうしたのよ。お姉ちゃんに急いで見せたい物でもあるの?」

「いいから、ちょっと来てよ」

「ああもうっ! そんなに引っ張らないで! もうっ、力が強くて抵抗できないわ!」

「そんなに強く引っ張ってなんかないよ!」

「お姉ちゃんはか弱いのよ! ああ駄目っ! お姉ちゃん、弟につれてかれちゃう~。お母さん、悪いけどあたしと〝優くん〟の器を片付けておいて~」


 僕は彼女の戯れに付き合ってやるほどの余裕もないので、手を引いたままさっさと食卓を後にした。

 彼女は僕に無理矢理連れて行かれたように装いながら、しっかりと自分の足でついてくる。


「相変わらず、あの二人は仲がいいわね」

「結構じゃないか! 姉弟ってのはああでなくてはな!」


 開けっ放しになった食卓からは、実在しないはずの姉弟の関係を喜ぶ、嬉しそうな声が響いていた。

 

 もとは物置部屋であった彼女の部屋にまで辿り着くと、中に入って繋いでいる手を離した。

 彼女はわざとらしく頬を膨らませ、そこに僕から解放された手を添える。


「もうっ! びっくりしちゃったわ! 意外と強引なのね、〝優くん〟!」

「ねぇ、ずっと気になってたんだけど、その〝優くん〟っていうのは、もしかしなくても僕の名前を呼んでるんだよね?」

「それはもちろん、そうに決まってるじゃないのよ。そこ、疑問を持つところ?」

「間違いなく持って正しいところだよ。僕、そんな風に呼ばれたこと一度もないよ?」

「あらそうなの? 健って名前の男の子が『健くん』って呼ばれるように、優くんは『優くん』って呼ぶことが普通だって思ったからそうしたのだけど、違ったのね」

「そうやって呼ばれるのは多いかもしれないけど、僕に関して言えば、そう呼ばれたことはないから」

「おかしいわねぇ……一応説明しておくけど、優くんの名前が|桜庭優(さくらばゆう)だから、優くんなのよ? この世界では親しい人は愛称で呼ぶしょう? だから、あたしなりに考えてみたんだけど、嫌かしら?」

「別に嫌ってわけじゃないけど……」

「なら、いいじゃないのよ。あたしはこれから、あなたのことを優くんって呼ぶから、そういうことでよろしくね」


 勝手にそう宣言してから、彼女は先程と同じようにベッドを椅子代わりに腰かけた。脱力するように両足を床へ伸ばし、どこに腰を落ち着ければいいのか分からず立ったままでいる僕を上目遣いで見つめる。

 濁りのない綺麗な瞳に映されても、さっきのように照れたりはしなかった。心がそれほど平静ではなかったからだ。


「親しい間柄って言うけどさ、僕と君は今日初めて会ったんだよね? 少なくとも僕は君を知らないし、自分に姉がいたなんてことも知らない」

「それで合ってるわよ。でも、それとこれとは話が別じゃないかしら。あたしと優くんは出会ったばかりだけど、周りの人は十年以上同じ屋根の下で暮らし、同じ釜のご飯を食べてきた間柄と認識しているの。だったら、親しく接した方が世界の在り方に沿っているとは思わない?」

「君が何を言っているのか、僕にはよくわからないよ。……というか、初めて会ったはずなのに、どうして僕の名前を知ってるのさ」

「知ってる物は知ってるんだから仕方ないじゃないのよ。だって、あたしは神様なんだから!」

「はぁ、またそれか……」


 冗談にしても面白くない。彼女はとてもじゃないがまともじゃない。初対面の相手に理解のできないことを挑発的に言ってしまう点もそうだけど、発言の内容が「自分は神だ」などとぶっ飛んでいるのだから、頭のネジが2本3本抜けているとかそういう次元じゃない。しかるべき病院を案内して、脳の状態を診てもらったほうがいいとさえ思う。

 低い位置から僕を見上げている彼女は、顎を引くと人差し指と親指の間に乗せて、考え込む仕草を見せた。表情から、溢れ出る自信が消失する。


「……それとも、優くんはあたしが神様だってこと、信じられない?」

「信じるとか信じないとか、そういう問題じゃなくてさ、ふざけるのはもうやめてよ。君が言っていることも、君の行動も無茶苦茶だ! いつ父さんと母さんに知り合ったの?」

「知り合うって、なんのこと? さっきも言ったけど、あたしはお父さんとお母さんの間に生まれた子供なのよ。そんなの、生まれた時からに決まってるじゃないの」

「だから、そういうのはもういいって言ってるんだよ。どういう理由からそうなったのかは知らないけど、僕を驚かそうとしてるんでしょ? 口裏あわせするだけじゃなく、部屋中のカレンダーまで変な作り物と差し替えてさ。あれも、君や父さん達の仕業なんでしょ?」

「それはどうかしら? ……なんて、いじわるするつもりはないのよ。ただ、焦ってる優くんがかわいいから、ついからかってみたくなっちゃったの。ごめんね」


 姉は手をベッドの角に置くと、体を前のめりにして僕を覗き込むように一層強く見つめてくる。


「それはそうと、さっきからあたしのことを〝君〟って呼ぶのはなぜかしら? あたし達は姉弟なのよ? 関係ないのが他人、関係あるのが友人、より深い関係にあるのが家族でしょう? 〝君〟って……あたしに対してそんな他人行儀な呼び方は駄目でしょ」

「そ、そんなこと言われても、僕は君と違って君の名前を知らないんだから、しょうがないじゃないか。他にどう呼べって言うんだよ」

「あら? あたし、まだ自分のこと名乗ってなかった?」

「名乗ってないよ。妙に馴れ馴れしい感じだったけど、名前も知らない相手にそんなことされたら、大抵の人間は困惑するって」

「うーん、それはごめんなさい。あたしとしたことが、すっかり失念していたわ」


 座ったまま腕を組んだかと思えば、急にベッドから立ち上がり、またも僕と同じ目線の高さになる。

 ようやくこの素性の知れない見ず知らずの女の子の正体が分かるかと思った矢先、彼女はまたもや悪戯が頭の中に浮かんだ子供のように、歪んでいながらも無垢な表情で僕を見た。


「ねぇ優くん、あたしは誰だと思う?」

「分からないから、こうして聞いてるんじゃないか。早く答えてよ」

「それじゃおもしろくないじゃない。ねぇ、あたしはお姉ちゃんだと思う?」

「思わない。僕の家族は父さんと母さん、僕の三人だ。姉は生まれてから一度もできたことはないし、今もいない」

「ふーん、それが優くんの答えね。でも、残念でした! 私は優くんのお姉ちゃんよ! 名前は|桜庭神奈(さくらばかんな)! 優くんが大好きで、優くんが大好きな、桜庭家の長女! そういう感じだから、これからよろしくねっ!」


 聞いてもいないのに、彼女は一方的に自己紹介を始めた。


「いやだから、僕に姉はいないんだって」

「なら、今日からはあたしがお姉ちゃんよ! これからよろしくねっ!」

「昨日までいなかった姉が、どうして今日突然誕生するんだよ。そんなのあり得ない」

「そんなことないわ。再婚して新しい伴侶と一緒になって、相手の子供が女性で自分より年上なら、紛うことなく本物のお姉ちゃんになるでしょ? あり得ないことではないわよね?」

「そんな屁理屈を聞いてるんじゃないよ!」

「いい、優くん? 世界というのはとても広いのよ。優くんが知らないところで、常に移り変わっているわ。昨日までは、優くんには兄弟がいなかったかもしれない。お姉ちゃんと呼べる関係にある家族はいなかったかもしれない。でも、今日からはあたしがお姉ちゃんなの。それが新しい世界の在り方よ。おとなしく受け入れなさい!」

「ごめん、意味がわからないよ」

「うそっ!?」


 どうしてそこで心底意外そうな顔をするのか。彼女は口元に手を当て、目を大きく開いている。


「本当にわかんないの? うーん……それじゃ、順番に教えていってあげるわ。結構長い話になると思うから、まぁそこに座りなさい」


 わざとらしい反応を示した後、彼女は部屋の中央に置かれている座卓の前に移動して、腰を下ろした。


「うーん、この座り方ってあんまり健康に良くないのよね。でも、女の子の座り方っていったらこれなんだから、こうするべきなんでしょうね」


 正座の体勢から両足を崩し、太腿の横へ流す女座りになった彼女が、なにやら俯いてぶつぶつと呟いている。聞き流しつつ、僕は彼女の対面に腰を下ろした。

 僕が座るのを待っていたように、彼女は顔を上げて、机に両肘を乗せる。


「さて、それじゃ、何から話そうかしらね。あたしには優くんがどんな悩みを持ってるのかわからないから、優くんの方から質問してくれないかしら? 大丈夫。今度はしっかり答えてあげるわ」

「そうは言うけどさ、訊きたいことが多すぎて、どれから訊いたらいいのか……」

「構わないわ。あたしは優しくて賢いお姉ちゃんだから、かわいい弟の悩みなら全部解決してあげるわよ! 順番に話してみなさい!」

「え、えーと。じゃあ、まず……君は僕のお姉ちゃん、つまり姉なんだよね。でも、しつこいようだけど、僕には姉と呼べる存在はいない。少なくとも、昨日までは絶対にいなかった。もしも君が言ったことが本当だとして、どうして両親は君を認知してて、家族の中で僕だけが君を知らないの?」

「わかんないわ、そんなの」


 笑顔のまま、そう答えた。

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