第5話

 抑えていたものがだんだんと胸の奥から押し寄せてきて、自身を宥めるように自然とため息をつく。


「はぁ……しっかり答えるって言ったじゃないか。まだ僕をからかって遊ぶつもり? どこに住んでるのか知らないけどさ、そういう目的ならもう自分のうちへ帰ってよ」

「気を悪くさせたなら謝るわ。ごめんなさい。でも、あたしは嘘はついていないわよ? だって、本当にわからないんだもの。全てはあたしじゃなく、〝神様〟が身勝手に決めたことなんだから」

「……ちょっと待って。そうすると、君の言ってることは矛盾してるじゃないか。君は僕に、自分は神様だって教えたよね? だったらおかしいでしょ。それとも、〝神様〟っていうのは二人、もしくはそれ以上存在しているとでも? それって、〝設定〟にてしも無理があるんじゃない?」

「〝設定〟がなんのことかは察しがつかないけれど、神様が複数いるのは本当よ。といっても、あたしともう一人、あたしの先代にあたる存在だけだけどね。あたしが〝神様〟と呼称しているのも、人々が神様と崇めているのも、その先代のことよ。そういう意味では、あたしはまだ神様と呼ばれる地位には立っていないのかもしれないわ。でも、生き物としての区分で考えると、あたしは獣にも人間にも属していない。この世界の時間に換算すれば、九時間と十一分二十三秒前に神様によって生み出された、いずれ神となることを運命づけられた者。それがあたしよ」


 長々としたその説明を、自分でもよく頭に入れることができたなと、そう自負できるくらいには彼女の話を落ち着いて聴くことができた。

 提示された時間を現在時刻から巻き戻してみれば、ちょうど0時00分になる。カレンダーに異変が起きたあの時間だ。予想通り、日が変わった瞬間から彼女の計画は動き始めたわけだ。


「えーと……てことはさ、君はまだ〝神様〟になっていないってことだよね?」

「うっ! さすがね、優くん。それは正しい見解よ」


 彼女は痛いところを突かれたと言わんばかりに、顔に苦味を浮かべてたじろいだ。


「じゃあさ、とりあえずその〝神様〟と話をさせてくれないかな。君に喋る気がないなら、その人と直接話すよ。連絡先を教えてくれない?」

「無理よ。だって、先代はもう亡くなってしまったんだもの」

「亡くなった?」

「そうよ。ただ、自分の命を代償にして、とんでもないことをしでかしてくれたわ。優くんも不思議に感じている、十三月という時間を作り出したのも、あたしを生んで数多の知識と虚偽の記憶と人格を与えたのも、全て先代の仕業なの。優くんを、使命を背負わせるあたしの相棒――いえ、伴侶として選んだのもね」

「『数多の知識』とか『虚偽の記憶』とか、そういう意味のわからない羅列は置いといて、どうして僕が君の相棒なの?」

「あら、嫌なの? あたしはとても嬉しいのに」

「そ、そういう問題じゃなくて! 僕は理由を訊いてるんだよ!」

「ふぅん。分かったわ。ちょっと待っててくれるかしら。植えつけられた記憶の中に、該当する情報が用意されているか探ってみるわ」


 静かに瞼を下ろし、腕を両脇に垂らしたまま、眠ったように動かなくなる彼女。

 訪れた静寂は、やられたい放題に散々かき乱された僕の心を鎮めることに、大いに貢献した。

 彼女は本当に何者なのだろうか。どれだけ指摘しても現実味のある話をしないし、訊けば訊くほどに新しい話が口から飛び出す。両親との口裏あわせにしても、カレンダーの差し替えにしても、神様がどうとかという話にしても、あまりに手が込みすぎている。いったいどんな理由があって、そうまでして僕を困らせたいんだろう。

 だいたい、彼女とは初対面だ。怨みを買ったわけでもなければ、恩を着せた覚えもない。一連の行動の根幹にある彼女の意図を、僕はどうしても汲み取ることができずにいた。

 しかし、話を色々と聞いていくうちにひとつだけ収穫があった。

 日付が変わった直後から発生している不可解な現象に対する納得のいく理由が、ほんの小さい掴みどころのない感じではあるが、思考の片隅に浮かんでは消えるようになったことだ。


「……分かったわ」


 彼女は緩やかに瞼を開いて、綺麗な瞳をのぞかせる。


「詳しい選定理由までは不明だけれど、優くんは……そうね、言葉にするなら、とても〝普通の人間〟だったから、混乱の解決役に抜擢されたみたい」

「ずいぶんと抽象的な説明だね。まぁ、人に誇れることもないし、後ろめたいこともしていないから、自分が〝普通の人間〟っていう自覚はあるけど」

「そう自分を卑下にしなくてもいいわ。世の中には、様々な思考を持った人がいる。それこそ、生きている人の数と同じだけ、考え方の形があるわ。この世界の総人口は、現在は約六十億人。当然、常に世界の破滅を願うネガティブな性格を持つ人がいれば、挫けそうになる失敗を重ねてもまったく堪えないポジティブな性格の人もいる。人々の性格を数値化した時、ちょうど平均に位置する思考回路を携えた〝普通の人間〟。たった一人の、六十億分の一の存在。それが、たまたま優くんだったのよ」

「可もなく不可もなく、この世界で最もつまらない性格をした人だって、そう言いたいの?」

「そんな邪推しなくたっていいじゃない。普通っていうのは、案外悪くないと思うわよ?」

「まぁ、その意見には僕も同意するよ。でもさ、どこにでもいるような人間なのに、たったそれだけの理由で不快な面倒ごとに巻き込まれたんだとしたら、たまったもんじゃないね」


 隠そうともせず、はっきりと嫌悪感を声に表して、険しい顔つきをして見せる。

 僕の顔を見た彼女が、申し訳なさそうに頭を下げた。


「……ごめんなさい。あたしには、謝ることしかできないわ」


 犯した罪を詫びるかのような、気持ちのこもった真摯な声色だった。

 これだから感情を昂ぶらせるのは嫌いだ。それが正しいことであっても、相手の間違いを指摘するというのは、どうあっても関係に溝を掘ってしまう。

 だけど、今朝から続く異常な状況に冷静に対応できるほど、僕の人生経験は豊富じゃない。

 とりあえず、重苦しい雰囲気をなんとかするために僕は慌てて弁解する。


「い、いや、そんな仰々しく謝らなくたっていいよ。悪いのは君じゃなくて、その〝神様〟っていう奴なんでしょ? 責任があるのはそいつだよ」

「でも、あたしはそれを止められなかった。神様だからと好き勝手に振舞うことを、最も近しい存在でありながら阻止できなかった。それだけで、あたしにも十分な罪があるわ」

「できないことはできないよ。仕方なかったんじゃないの?」

「それでも、振り下ろす腕を押さえつけることこそが、あたしに課せられた使命だったはずよ。神様の暴挙を阻止する役目を完遂できなかった時点で、今回の件を引き起こしてしまった責任の一端はあたしにあるわ」

「そこまで悪いと思いたがるならそれでもいいよ。だけどさ、こんな話はもうやめにしない? 後悔してるだけじゃ、話が先に進まない」

「……ええ。そうね。優くんの言うとおりだわ」


 彼女の懺悔を聞いているばかりでは、数々の真実に関する情報が明らかにならない。もっと細かい事情まで喋ってもらうには、話題を変える必要があった。

 沈んだ低い調子で会話に応じる彼女に、僕はできるだけ棘のない、柔らかな声色で質問した。


「それで、質問の続きなんだけどさ。色々あるんだけど、とりあえず、十三月についてもう少し詳しく教えてくれないかな。君は知っているんでしょ? どうしてこんな悪戯をしたの?」

「世界の粛清を行う手段としてこの方法を考えついたのも、実行に移したのも先代だから、そこまで詳しいことは知らないわ」

「なら、君が知っている情報だけでも教えてほしい」

「わかったわ。でも、その前に、あたしからもひとついいかしら?」

「えっ? 君から、僕に?」

「そうよ。さっき教えたはずなのに、改善される兆候がみられないからね」


 彼女は眉を少しだけ吊り上げて、怒っているような、あるいはふてくされているような顔をして、不満を抱いていることを主張する。

 険しい視線を僕に向けているが、何か気に入らないことでもあるのだろうか。

 口を尖らせる彼女は、表情を崩さぬまま強めの調子で言った。


「あたしの名前を教えたのに、優くんは相変わらずあたしを『君』って呼んでいるわよね? でも、それってやっぱりおかしくないかしら? あたしは優くんのお姉ちゃんなのよ? 他に、適切な呼び方があるんじゃない?」

「おかしいのは君の方でしょ。何度言ったかもう覚えてないけど、僕にはお姉ちゃんはいない。君が一方的に僕のお姉ちゃんを名乗っているだけじゃないか」

「あたしにしてみれば、おかしいのは優くんなのよ? あたしの記憶には、あたしに桜庭優という名前の弟がいることがしっかりと刻まれているの。更に言えば、今の世界では、桜庭優という男の子には、桜庭神奈という名前の姉がいることになっているわ。ここはおとなしく受け入れた方が楽よ?」

「そんなの、証拠もないのに信じられないよ」

「証拠? うーん、それもそうねぇ……」


 両手を組んで悩むそぶりを見せる彼女。しばらくして腕を解くと、両手をパンッと合わせて音を鳴らした。


「じゃ、こうしましょう。あたしをお姉ちゃんだと思う必要はない。代わりに、あたしの弟を演じてくれるだけでいいわ」

「演じるっていっても、具体的にはどうすれば?」

「呼び名を変えてくれるだけでいいのよ。敬語とかは使わなくていいから、あたしのことを自分の姉のように呼んでくれるだけで充分よ」

「まぁ、君っていうのも呼びづらいから、それくらいなら構わないけど……。だけど、僕には姉なんていないから、どうやって呼べばいいのか見当もつかない。なんて呼んだらいいの?」

「そうねぇ……〝お姉ちゃん〟っていうのは、ちょっと面白みがないから、名前を頭にくっつけて……そうだわ! 〝神奈お姉ちゃん〟というのはどうかしら!」

「ちょ、ちょっと、顔が近いよ」


 彼女は目を輝かせながら、食い入るように机の上に身を乗り出した。


「そんなのどうだっていいじゃない。それより、どうなのよ? ――いえ、ちょっと、待って。単純にくっつけるよりも、短縮した方が仲睦まじい感じが出ていいわね。神奈とお姉ちゃん……そうよ! 〝|神(かみ)ねぇ〟なんて、素敵だと思わない?」

「普通に〝神奈さん〟じゃ駄目なの?」

「そんなの駄目に決まってるじゃないの。お姉ちゃんなんだから」

「じゃあ〝姉さん〟でいいでしょ? そうやって呼び合ってる姉弟は多いよね?」

「そうかもしれないけど、それも駄目だわ。だって、かわいくないじゃない」

「そこ、大事なところ?」

「当たり前じゃないのよ。男の子の優くんには理解が難しいかもしれないけど、あたしは女の子なのよ? かわいさのアピールが最重要事項の一つであることは確かよ。あたしのことを〝神ねぇ〟って呼ぶのは、そんなに嫌?」

「今日出会ったばかりなのに、そんな気の通った間柄みたいな呼び方はしづらいよ」

「あたしはそれでも構わないけれど、優くんがそう思う気持ちは分からなくもないわ。そういうことなら、単純に〝お姉ちゃん〟でもいいわよ? さん付けというのは、距離感を含んでいるようで好きじゃないわ」

「せめて〝姉ちゃん〟で許してくれないかな? 〝お〟を付けるのは、僕が幼いみたいで恥ずかしいよ。それならいいでしょ?」


 奇妙な交渉に決着をつけようと最大限の譲歩をしてみせると、彼女は軽く嘆息してから、乗り出していた身を引っ込めた。


「まぁ、少し残念な気持ちは残るけれど、それが妥協点ね。あんまり自分の主張を貫いていると、嫌なお姉ちゃんになっちゃうからね。優くんにそう思われるのは心外だから、その呼び方でいいわ。これからはあたしのことを自分のお姉ちゃんと認識して、意識してそう呼ぶのよ。よろしくお願いねっ!」


 〝姉〟は、僕の提示した条件でようやく納得してくれたようだ。

 まったくもって自分勝手な人であり、どうやら自覚もしていないらしい。

 分析した結果を口にすると余計面倒な問答が始まりそうなので、黙っておくことにした。

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