第6話

「さて、優くんはちゃんとあたしのお願いに答えてくれたし、今度はあたしが優くんの質問に回答する番ね。確か、十三月について詳しいことを知りたいって話だったわよね?」

「そうだよ。家中のカレンダーも、パソコンの日付も、僕の携帯電話の日付まで、十三月なんていう意味のわからない文字が表記されてる。こんなの、いつの間に仕込んだの?」

「仕込んでなんかいないわよ。冷静に考えてみなさい。紙製のカレンダーはともかく、パソコンや携帯電話のデジタルなカレンダーに、日付として十三月なんていう文字を表示する機能が備わっていると思う?」

「あり得ないよ。だから、誰かが僕の知らない間に中身の処理をいじって……」

「それって、既に組み込まれている集積回路を取り出して、細工した物とすり替えたってことよね? そんな高等な技術を持っている人は、そう多くはいないわ。それに、優くんにそんな手間のかかる悪戯をして、なんの得があるの? そもそも、悪戯としても面白くもなんともないわ」

「それは僕もそう思うよ。機械的な処理をしているのに、十三月なんて日付が表示されるのもありえない。製造段階の不具合にしても、パソコンと携帯電話の開発メーカーは同一じゃない。世間でもニュースにはなってない。偶然ぼくの買った両社の製品が、超局所的なカレンダーの不具合を起こしている可能性はあるけど、そんなの現実的じゃない」

「その認識であっているわ。カレンダーに十三月が表示されているのは、開発会社の不具合ではない。もちろん、悪戯好きな技術者が細工したわけでもない。もっと超常的な、言うなれば世界の理を書き換えることによって引き起こされた事象なの」


 そこまで喋って姉はおもむろに立ち上がり、部屋の本棚の上にある卓上カレンダーを掴むと、それを机の真ん中に置いて元の位置に戻った。

 手のひらより少しだけ大きな長方形のカレンダーを観察する。プラスチックケースに収められた紙の表は僕の方を向いており、反対側で二本の足がカレンダーが倒れないよう支えている。鈍角に傾いて見やすくなっている面に表記されている日付は、他の物と同様に〝二〇〇二年十三月〟の一覧だった。


「二〇〇二年十三月。優くんの言うとおり、そんな月は今も昔も、未来でさえ存在しない。それと、カレンダーがそう見えるのは、世界中であたしと優くんの二人だけよ。他のすべての人たちには、言わなくても知ってると思うけれど、〝二〇〇三年一月〟の正常な状態のカレンダーが見えているわ。でもね、多数決の原理だなんて考え方のある世の中だけど、間違っているのはあたし達の方じゃない」

「存在しないのに、間違いじゃない?」

「そうよ。でも、正しいからといって他人に吹聴するのは絶対に駄目。理解が及ぶより先に、精神病院に閉じ込められて一生を棒に振るのが関の山だわ。そんなのは、優くんだって嫌でしょ?」

「こんなこと、言いふらすわけがないじゃないか。自分でもまだ半信半疑なのに」

「あら。いつの間にか、半分くらいは信用してくれていたのね」


 もしも絶対的に起こり得ない事象が起きたのだとしたら、それを説明するためには、同等かそれ以上の絶対的にあり得ない要因が必要になる。大雑把な結論ではあるけれど、そう考えれば姉の話は一口に否定できるものでもないと思った。

 半分しか信じていないのは、誰かが細工を施したという圧倒的に現実寄りな可能性を捨てきれないからだ。


「このカレンダーが真実だとすれば、だけどね」

「賢明な考えだわ」


 一つ頷いて、姉はカレンダーの裏側を見た。


「ところで、十三月の次に迎える月の日付は確認したかしら? 正常な日付で言うところの、二〇〇三年二月のカレンダーのことね」


 昨日の夜から、今日の朝までの自分の行動を振り返る。

 そのどこにも、十三月以降の日付を確認した記憶はない。


「そういえば、一度も見てないかもしれない。十三月って強烈な文字に動揺して、気が回ってなかったみたいだ」

「やっぱりそうなのね。全然話題に上がってこないから、きっと見ていないのだと思ったわ」


 姉は視線の先にある卓上カレンダーに手を伸ばし、プラスチックの上部を摘んだ。

 このカレンダーは当月の紙を入れ物から引き抜くことで更新する作りになっており、上部に取り出し口がある。一年が終わると、ケースから紙がなくなるわけだ。


「ねぇ優くん。十三月の次の紙には、何が書いてあると思う? 見ての通り、十三月は三十一日まであるけれど、当然、三十一日が終われば次の月に移るわ。そうしたら、カレンダーも切り替えないといけないわよね?」

「平常ならそうだね。次の月か……今が十三月だから、単純に一を加算して十四月とか?」

「違うわね」

「なら、この一ヶ月が終われば異常は解決して、正常な二月になるとか?」

「そうであればとても良かったのだけど、残念ながらそれも違うわ」

「……これが両方とも外れだっていうなら、僕にはもう分からないよ」

「まぁ、そうよね。意地悪な答えだから、そう簡単には思い浮かばないわよね。そう気落ちしなくてもいいのよ。それが普通なんだから。じゃ、答え合わせといきましょうか」


 もったいぶって止めていた指先を動かし、手前の紙をプラスチックケースから引き抜く。彼女の所作は、幼い頃に見せられた紙芝居を彷彿とさせた。

 次の紙が表れる。

 翌月が記載されているべきの紙に描かれていたのは――


「……白紙?」

「ええ。そうよ」

「……えっと、これは、どういうこと?」


 しなやかな動きで抜き取られた紙の後ろから表れたのは、まさしく予想外の、日付も絵も描かれていない長方形のまっさらな紙だった。

 普段であれば、真っ先に業者の過失による欠陥品だと断定していたように思う。けれども、異常にまみれた時間を過ごしたことにより、僕は正常な思考ができなくなっていた。

 真っ先に浮かび上がったあり得ない憶測を、どうしても拭いきれない。


「理解していると思うけれど、これは印刷ミスなんていう現実的な原因によるものじゃないわよ」

「なんとなく、そうなんだろうなって思ったよ。どうせ、僕みたいな平凡な奴には想像すらできないような、常識外れの答えが用意されてるんだろうね」

「常識外れという点については否定できないわね。でも、この白紙が示す意味というのは、それほど複雑なことでもないわよ?」

「単純だとしても、予想できないっていう答えに変わりないよ。だけど、複雑じゃないっていうのは、どういうこと?」

「至極簡単な話よ。白紙だとしても、これがカレンダーであることに変わりはないわ。カレンダーの役割は、日付を表すこと。月単位で記載されるタイプなら、それぞれに当月の情報が記されるわよね? だとしたら、これで正しいのよ。この何も描かれていない日付一覧が、十三月の翌月の情報を正確に表しているの」


 一切の感情を伴わない機械的な響きを伴う声で、そう説明された。

 彼女の言葉を聞いてから、カレンダーの白紙の表紙を抜き取ってみる。

 次に表れたのも、抜いたばかりの物と同じまっさらな白紙だった。

 その次も、その次も、十二枚入っている紙をやや雑に全て引き抜き、表面か裏面に何か描かれていないか焦りながら確認する。

 白紙、白紙、白紙……ケースの中身が空になる。

 十三月が表記されている一枚を除き、まともにカレンダーの役割を果たしている紙は見つからなかった。


「十三月の次にはね、日付はもう存在していないのよ」


 その発言を受け入れて、頭の中で砕いて吸収しようと試みたが、もう限界だった。

 世の中に存在しないはずの時間・十三月。空想上の人物であるはずの神様。父さんと母さんにも認知されている、幼い頃から一緒に育ってきて、今日初めて出会った姉。そして次に聞かされたのは、十三月の翌月は存在しないという話。

 ゆっくりと、硬い物を口に入れた際にそうするように、処理しきれない膨大で歪な形の情報の塊を噛み砕く。彼女の話が全部真実だと仮定したうえで、翌月がないという発言が何を示唆しているのか推察する。

 澄んだ眼差しで返答を待っていた彼女に、僕はようやく回答した。


「存在しないってことは、もしかして、十三月はひたすらにループするとか? 何か条件を満たさないと、三十一日を迎えても、また一日からやり直しになっちゃうみたいな?」

「あら。優くん、なかなか面白い考えね。そんな推論が返ってくるとは思わなかったから、びっくりしちゃったわ」

「おかげさまで、多少はついていけるようになったみたいだよ。だけど、その口ぶりからすると、これも間違いなんだね」

「そうね。……そうであれば、まだいくらかマシだったのだけど」

「一定の時間が無限ループすることがマシだなんて、その大層な答えって何なのさ? 十三月が終わったら、いったい何が起きるの?」


 健闘して導き出した推論にも正解をもらえず、僕は彼女に答えを教えるよう求めた。

 これに対し、姉は今日一番の深刻な表情を作り、一息おいてから、冷淡に口を開いた。


「十三月が終われば、世界は破滅するわ」


 それが、僕のまったく想像できなかった問題の解答だった。

 お互いに黙り込み、視線を交し合う。

 少しして、耐えかねたように姉が肩から力を抜いた。


「ちょっと、何か返してくれないかしら? 反応がないわよ? どうしちゃったのよ」

「いや……さすがに世界の破滅なんて言われても、全然ピンとこなくて。どう反応したらいいのか……」

「そうね。優くんの気持ちも察するわ。こればっかりは兆候も現れていないし、他のどの異変よりも一線を画した事象であるものね。だから、証拠になりそうなものを見せてあげる」


 姉は腿に沿えていた右手を挙げると、拳にして机の中央に差し出した。手の甲を上にした状態から反転すると、蕾が花弁を広げるように手が開かれる。

 手のひらには何も握られていなかった。渡したい物があったわけではないようだ。

 姉の挙動がどのような意図を示しているのかを考えて顔をうかがってみると、彼女は柔和に微笑みを浮かべていた。


「これは、僕に何かを渡すよう要求してるって解釈でいいのかな?」

「あたしの手を握って欲しいという意味よ。でも、あたしにプレゼントしたい物があるのなら、喜んで受け取るわよ」

「ど、どうして手なんか握らなきゃいけないのさ」

「いいじゃないの、手を握るくらい。あたしと肌を重ねることに、そんなに抵抗があるの?」

「へ、変な言い方しないでよ! さっきからそうだけど、なんで指示する行動の意図を先に説明しないんだよ」

「だって、これに関しては短時間で優くんが納得してくれそうな解説をするのは難儀なんですもの。百聞はなんとやらって慣用句くらい知っているでしょう? それを見せるためには、あたしと優くんが手を繋ぐ必要があるのよ」

「手を繋いだら見えていない物が見えるようになる? なんだよそれ。意味が分からない」

「もうっ! 強情ね、優くん。それなら、机の上に手を差し出すだけでもいいわ。それならいいでしょう?」

「まぁ、それなら……」


 頑なに彼女との握手を拒絶する理由が、中学校に上がり高校一年になった現在に至るまで、一度も異性と手を繋いだことのない事情に起因する恥ずかしさであるなど、それこそ恥ずかしくて告白できるはずもない。

 なんとか説得して譲歩してもらい、僕は床に触れていた片手を挙げて、言われるがままに机の上に差し出した。すると、彼女が身を乗り出して僕の方へ手を伸ばし、咄嗟に引っ込めることも叶わず、強引に手を握られる。

 肌の触れ合った部分から彼女の温度が顔につたっていき、頬の温度が急激に上昇していくのを感じた。


「う、うわっ! ちょ、ちょ、ちょっと! なにするんだよ!」

「うふふっ、捕まえたわよ優くん! さぁ、行くわよ」

「行くって、いったいどこに!? 出かけるなら付いていくから、まず手を離してよ!」

「駄目よ。こうしていないと転移できないようになってるの。これから行く、十三月の終焉を司る聖地にはね」

「まさか、ワープでもするっていうの?」

「正確に言うなら、現実には存在しない場所へ向かうわけだから、異空間の扉を開けるって表現が正しいのかしら? でもまぁ、なんだかややこしいからワープでいいわ」


 勝手に納得した彼女は、僕の手を強く握ったまま両方の瞼を閉じる。表情から順に力を抜いていき、僕の手を拘束する握力も和らいでいく。もう手を離すことはできたけれど、その仕草からただならぬ気配を感じとり、無理に剥がすことが憚られた。


「――目的地の名は、|純白の空間(サルベーション・サンクチュアリ)」


 姉が聞いたこともない単語を口にした瞬間、視界に映る景色が白く淀み始める。それは気のせいなどではなく、あっという間に淡紅色の部屋全体を、窓の外に広がる世界すらも濃度を上げていく白色で包み込んでいく。僕の知っている感覚で表現するなら、突如足元から発生した霧に、逃げる間もなく全方位を支配されたという状況だ。

 これまでで一番露骨ではっきりと現実離れした現象に、僕はひどく焦った。

 彼女は変わらず、静かに目を閉じて落ち着いている。

 視線を右往左往している間にも霧は更に濃くなっていき、やがて僕の世界は、完全な白に覆われた。

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