第2話

 二〇〇二年の大晦日。僕は普段と同じように、部屋に置いてあるデスクトップ型パソコンの前で、キーボードを叩きながら画面と向き合っていた。


《隼人:お前さ、少しはこんな風に思わないか。「大晦日なのに、僕はどうして家にこもってチャットなんかしてるんだろう」って》

《優:それは隼人も同じでしょ。嫌だったら友達でも彼女でも誘って、初詣にも行けばいいじゃん》

《隼人:それでもいいんだけど、そうすると優が寂しくなっちゃうだろ?》

《優:別に、そんなことないけど。変な気をつかわなくていいから、今からでも合流したらどう? クラスの人、何人か神社に行ってると思うよ》

《隼人:そうじゃねぇだろ。知ってるだろ? オレはな、そうやって群れるのは好きじゃない。なんでそのオレが、大して仲良くもない奴らとつるんで夜中に散歩行かなきゃならないんだ》

《優:知らないよ。じゃあどうしたいの》

《隼人:オレからすれば三十日も三十一日も関係ない。いつもと同じように、お前とこうして話してるだけでいいんだよ》

《優:え、うん》

《隼人:それに、今から外に出たって間に合わない。時計を見ろ。あと1分も残ってないぞ》


 チャットをしている友人に指摘されて、画面上にある矢印型のカーソルを右下に移動させる。

 そこには〝23:59〟と表示されていた。

 時刻にカーソルを重ね、マウスをクリックする。画面上に小さく新しいウインドウが開き、十二月のカレンダーとアナログ時計が現れる。時計は常に更新されており、秒針は四十秒を通過したところだった。

 時刻を確認したところで、中央にあるチャット画面が更新された。


《隼人:せっかくだし、大晦日らしくカウントダウンでもするか》


 さっき否定したばかりの行事を急に意識する友人の発言に、僕は吹き出しそうになった。妙なところで純粋なんだ、彼は。

 動き続ける時計のウインドウを固定する。チャットのメッセージ入力欄にフォーカスを合わして、秒針が五十五秒を指すのを待つ。

 やがて、五十五秒を通り過ぎる。


《隼人:5》

《優:4》

《隼人:3》


 交互にカウントするとは言わなかったのに、自然と息があって気持ちがいい。


《優:2》

《隼人:1》


 発言してすぐに次の数字を入力して、送信ボタンをクリックする代わりにエンターキーを押す。一度もミスすることなく最後の数字を打ち込み終えた僕は、時計の三本の針が全て重なったタイミングで、意気揚々とエンターキーを押し込んだ。


《優:0!》


 妙に高揚した気分のまま、打ち込んだ数字と感嘆符が送信される。

 チャット画面には、友人が現在文字を入力中であることを示すメッセージが表示されていた。

 彼が文字を打ち終わるのを待ちながら、ふと画面の右下にある時計を確認する。

 時計は、年が変わっても正確に時を刻んでいる。隣にくっついているカレンダーも更新されて、マークされている日付が〝1日〟に切り替わっていた。


「……あれ?」


 なぜか、違和感があった。

 当たり前のことが当たり前でなくなっているような、あるべき物がないような、そういう漠然とした正体不明の違和感。

 ディスプレイ全体を観察する。開いているウインドウは2つだけ。チャット画面と、時計とカレンダーが一体となっているウインドウだけだ。

 背景を飾っているデフォルトの壁紙も、意図しない画像に切り替わってはいない。そこに置かれているアプリケーションのアイコンも、増えていないし減ってもいない。


《隼人:あけましておめでとう、ってか》


 チャット画面が更新される。表示されたメッセージは、離れた場所にいる隼人がいま送信したものだ。これに対して、特におかしいとは感じない。


「気のせいかな?」


 もともと根拠のない気まぐれだ。ただの勘違いだったのだと、僕はそう結論付けようとした。

 しかし、気を緩めて椅子の背にもたれかかった時、ようやく謎の正体に気がついた。

 思わず上半身を起こし、食い入るように画面に目を近づける。

 勘違いなんかじゃなかった。

 その異質な〝数字〟は、はっきりと画面上に表示されていた。

 マウスを操作して、カーソルをカレンダーの年月部分に合わせる。

 〝2002年13月〟


「なんだ、これ……」


 十三月。そこには確かに、〝2002年13月〟と書かれていた。

 僕の知識では、十三月なんて月は存在しない。

 数年、数十年、あるいは数百年に一度だけ、十三月までを周期とした年が訪れるなんて話も聞いたことがない。

 そもそも、大晦日とは年の終わりを示す日であるはずなのだから、その後に同じ年が続くのは矛盾している。

 何かの見間違いだと思った。けれども、数十秒が経過した今でも、目に映る数字は変化しない。

 となれば、これは正しいということだ。

 それはつまり、パソコン側のバグということになる。この会社の製品は、世界中に多くの利用ユーザがいるはずだ。全世界で同様の現象が起きているのなら、間違いなく大事件に発展するだろう。


「かなりやばいんじゃないの、これ」


 数時間後には大きなニュースとなって、様々なメディアを介して報道されるに違いない。既に新聞社の人、テレビ局の人などは、年末年始の休みを返上して喜んで調査を始めているかもしれない。


《隼人:優? どうした? トイレか?》


 彼は気づいているのだろうか。

 このチャットアプリは携帯電話にも対応しているけれど、以前パソコンで利用していると聞いた覚えがある。おまけにパソコンの製造元も、オペレーションシステムも、僕と同じだったはずだ。

 だとすると、彼の自宅にある端末でも同様の現象が発生しているはずだ。

 僕は新年の挨拶をすっとばして、回線の向こう側にいる相手への質問文をチャットに打ち込んだ。


《優:隼人、パソコンのカレンダー見てみて。どうなってる?》


 同じように表記がおかしくなっているのなら、僕の利用端末固有の不具合ではないことがほぼ確定する。全世界のユーザの多くが、僕と同じように信じられないという驚きと、何かが始まる予感に胸を高鳴らせているだろう。

 メーカーの人には申し訳ないけれど、普遍的な日常にない変化というのは、それが誰かにとっての不幸であったとしても胸が躍ってしまうものだ。特に、法的に絶対的な安全を保障されているユーザにとってみればなおさらである。

 我ながら悪いことを考えているなと思っていると、チャット欄に返信メッセージが表示された。


《隼人:なんだ? 普通に1月1日になってるぞ》


 返答は予想外のものだった。念のため確認をする。


《優:ほんとに? 年も2003年って表示されてる?》

《隼人:あたりまえだ。なんだそれ。初笑いでも誘ってるのか?》

《優:僕は真剣だよ。じゃあ、僕のやつがおかしいのかな?》

《隼人:すまん。それにしても、なにかあったのか? パソコンが壊れたのか?》

《優:そうなのかな? なんか、カレンダーの表示がおかしいんだよ》

《隼人:12月31日から切り替わってないのか?》

《優:2002年の13月1日って表示されてる》

《隼人:は?》


 もっともな反応だ。きっと、僕も逆の立場なら似たような反応をすると思う。


《隼人:マジか。そんなバグ聞いたことないぞ》


 彼の言うとおり、僕もこんな現象が発生したなんて話は聞いたことがない。おそらくは、ほとんどの人が僕の冗談か嘘だと断言して話を切り捨てるだろう。

 僕の言葉を信用したうえで話を続けてくれるあたり、彼はとても良い友人だ。


《優:ほんとだよ。こんなのありえないよね》

《隼人:ああ。というか、正直信じらないな》

《優:なんとかして見せたいんだけど。ケータイで撮って送ればいいかな?》

《隼人:そんな手間のかかることしなくても、スクリーンショットで撮ればいい》

《優:あ、そうか》


 普段まったく使わないから忘れていたけど、パソコンには画面の状態を画像として保存できるスクリーンショット機能がある。そして、チャットには相手にファイルを送信する機能も備わっている。パソコンの画面を手元にある携帯電話のカメラで撮ってメールで送ろうだなんて、電子機器を使いこなせないにも程がある。

 決して安くない金額がかかっているのだ。便利な機能は使いこなさなければいけないなと反省しつつ、僕はカレンダーにフォーカスを移した状態でスクリーンショットを撮る。作成された画像ファイルを、チャットで友人に送付した。

 相手がファイルのダウンロードを開始したメッセージが表れたかと思うと、すぐに消えた。画像ファイルの送受信なんて一瞬だ。今頃、彼は僕が直面している不可解な状態を目の当たりにして、さぞ驚いていることだろう。

 どういう感想が来るのか楽しみに待っていると、次に彼から受信したメッセージもまた、想定していなかった意外な内容だった。


《隼人:普通に2003年1月1日って表示されてるじゃん。送るファイル間違えたのか?》


 指摘されて作成されたばかりのファイルを開く。

 新しく開いたウィンドウに映し出されたのは、おかしな表記のカレンダーが映っている僕のデスクトップ画面だ。決して間違いではない。

 ファイルの名称についても、ダウンロードが完了しているファイル名と一文字も違わず一致している。


《優:隼人こそ、自分のパソコンのカレンダーと見間違えてるんじゃないの? ほんとに僕の送った画像見てる?》

《隼人:そんな間抜けな間違いするわけないだろ。早く送りなおしてくれよ》

《優:おかしいな。それで間違いないはずなんだけど。実際、送ったファイルを確認したらちゃんと映ってるし》

《隼人:寝ぼけてんのか? 眠いなら早く寝た方がいい。大晦日だから夜更かししなきゃ駄目ってわけでもないぞ》


 隼人が僕に嘘をついているとは思えない。けれども、改めて表示させてみたパソコンのカレンダーにはやっぱり、彼に送った画像と同じく二〇〇二年十三月の日付一覧が載っていた。

 眠気も疲労もあまり感じていない。まだまだ起きていられるくらいには意識が冴えているつもりだけど、幻覚に近い症状が長いこと続いている辺り、自覚はないがとてつもなく疲れているのかもしれない。

 元旦から体調を崩したくはないし、彼に気遣われるなんて初めてだ。おとなしく休んでおいた方が、後々後悔せずに済むだろう。


《優:そうだね。じゃあ悪いけど、もう寝るよ》

《隼人:おう。目が覚めたら、わけのわからんことは言うなよ》

《優:わかってるよ。おやすみ》

《隼人:ああ》


 彼らしい素っ気無い返信を見てから、僕はパソコンの電源を落とした。

 ハードディスクの駆動音が鳴り止む前に部屋の明かりを消すと、ベッドの上で横になり、枕元に携帯電話を置く。そのまま目を瞑り無理矢理に眠気を誘っても良かったけれど、いつもの癖で一度手を離した携帯電話を取ってしまう。

 電源ボタンを押してスリープ状態を解除すると、画面に大きく現在時刻が表示された。

 新年を迎えてから、まだ三十分ほどしか経っていない。

 これから寝ることに若干のもったいない気持ちを抱きながらも、時刻を示す4桁の数列の左下にある日付の表示欄に目が移った。

 〝13月1日(火)〟

 僕は呆れて携帯電話を枕の横へ置いた。しかしすぐさまもう一度手に取ると、ブックマークしたウェブページ一覧からお気に入りのニュースサイトを開く。

 国内、国外の大小あらゆる情報が集約されたそのページの上部には、新年を祝う派手なメッセージが飾られていた。こっちは電子機器が年を越してくれない問題に悩んでいるというのに、そうとも知らず暢気なものだ。

 皮肉とも受け取れるそのページの新着ニュースから、電子機器のカレンダー表記に関する記事を探す。トップには見当たらないので、検索エンジンにキーワードを打ち込んでみる。

 だが、出てくるのはかすりもしない無関係な記事ばかりだった。


「はぁ……寝よ……」


 今度こそ携帯電話を離して、掛け布団を首元までかぶって瞼を閉じる。すると、さっきまで覚醒していた意識に急激に靄が差し、強烈な眠気がなだれこんできた。

 それが未知の経験に悩まされたことによる疲労なのか、単純に体力が尽きてきたからなのかは判然としない。けれど、原因を考える暇もなく、僕の意識は深い暗闇の底へと落ちていった。

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