第17話
高校一年生として迎えた冬休みが終わった。
課題を前半の内に片付けてしまい、持て余した時間を自堕落な引き篭もり生活によって消化しようと目論んでいた僕の計画は、突然現れた自らを姉と名乗る人物との出会いによって崩れ去った。
存在しないはずの姉からは、空想の物語でしか聞いたことのない常識から外れた話を聞かされた。どうして僕が巻き込まれたんだという理不尽さに辟易しつつも、世界の破滅を防ぐ名目で生まれ育った町を一週間も歩き回った。
長期休暇の最終日、成果は何も得られなかったと意気消沈していた矢先に、原因不明のまま成長した世界の命運を司る樹木を、僕達は目の当たりにした。
そして今日、冬休み明けの一日目。冬休みに与えられたいくつもの謎を何も解明できていないにも関わらず、僕はさらなる異変に遭遇した。
僕は、なぜこのような異変が起きることを教えてくれなかったのかと、一連の異状について情報を持っている姉に尋ねた。
そうして初めて、新たに現れた〝彼女〟がいかに特異な存在なのかを知った。
「ねぇおかあさーん、パパがどこにもいないんだけど、どこ行っちゃったのー?」
「パパなら今日の朝早くに出発したわよ。始発の便に搭乗するためにね」
「えぇー! うそー? だってパパ、理奈に行ってきますって言ってくれなかったよー?」
「あー……パパちょっとだけ寝坊しちゃってたからねぇ。荷物は昨晩準備しておいたみたいだから良かったんだけど、起きてすぐに用意してたスーツを着て、慌てて家を出て行っちゃったのよ」
「えぇーっ! なんで寝坊しちゃったのー? ママがいたのに、なんでパパは寝坊しちゃったのー? あっ! もしかしてママも寝坊したのかな?」
「理奈はかしこいわねぇ。理奈の言うとおり、ママも起きれなくてね。目覚ましは設定しておいたんだけど、スイッチを入れるのを忘れちゃったのよ」
「ママ駄目じゃん! 大切なパパと一ヶ月会えなくなっちゃうのに、なんでちゃんとしなかったの!」
「それ、パパにも散々言われたわ……」
「ママだって理奈とおにいちゃんみたいに一緒のお布団で寝てるんだから、ちゃんと起こしてあげないと駄目だよっ!」
「そうね…………って! 理奈、アンタまたお兄ちゃんの部屋で寝てたの? ちゃんとベッドを用意してあげてるんだから、自分のベッドで寝なさいよ!」
「いやっ! だって理奈、お兄ちゃんと一緒に寝た方がよく眠れるんだもんっ! お部屋だって、お兄ちゃんと一緒にしてくれたら良かったのに!」
「お兄ちゃんは男の子なんだから、一緒の部屋にはできないって、何度言ったらわかるの?」
「わかんないよっ! なんで女の子は男の子と一緒の部屋じゃ駄目なの? 理奈がいいって思ってるんだから、別にいいじゃんっ!」
「……もうっ、困った子ねぇ。優、アンタからも理奈にしっかりと注意しなさいよ」
「そ、そんなこと言われても、朝起きたら急にいたんだし……」
「神奈も、部屋を抜け出した時に注意しなさいよ。お母さん、何度もお願いしてるわよね?」
「え、ええと、そうだったかしら? ごめんなさいお母さん。あたし、あまり覚えていないわ」
「もうっ、頼りないお兄ちゃんとお姉ちゃんねぇ」
「理奈が一番えらい子だよねっ! ママもそう思うでしょっ?」
「はぁ……そんなわけないでしょうが」
「えぇーっ!」
「馬鹿なこと言ってないで、早くご飯を食べちゃいなさい。ゆっくりしてると、学校に間に合わなくなるわよ」
「はぁ~い」
「優と神奈も、ぽけーっと寝ぼけてないで、さっさと片付けちゃいなさい。アンタ達も、初日から遅刻するのは嫌でしょう?」
「う、うん。まぁ、そうだね」
「え、ええ。それは、そうね」
自らを〝理奈〟と呼ぶ幼い少女が突然現れたという異変。
見ず知らずの妹ができたという異常事態。
彼女は姉の時とまったく同じく、母には既に認知されていた。詳しく確かめたわけではないけれど、おそらくは自分が生んだ子供の一人として、生まれた瞬間から面倒を見てきた実の娘として認識しているのだろう。
それだけならば、これまでと同様に十三月の発現によって引き起こされた数々の謎の一部と捉えることができた。
しかし彼女の顕現には、これまでとは異なる特性があった。
許される限りの記憶を与えられた姉は、変貌を遂げた世界の何が異常で、何が正常なのかを判断することができた。崩壊の予兆を察知できる能力が備わっているはずだった。
事実として、これまでに起きた現象に関しては、あらかじめ与えられた知識に縋って説明することができた。
けれども、今回の件を評価するための指標の一切を、彼女は所有していなかった。
前触れもなく、そこに存在していることが当然であったように、歪んだ時間に迷い込んだ人物。
十三月が一週間経過したと同時に出現した彼女の素性については、姉ですら何も知っていなかった。
制服に着替えて自宅を出た僕は、迷路のごとく路地が張り巡らされた住宅街の一角を、学校のある方角に向けて歩いている。
僕が在籍している東條高校は、自宅から歩いて約十五分の距離にある。自転車で通学すべきか徒歩にすべきか迷う移動時間ではあるけれど、僕は部活動には所属していないため、運動不足を気休め程度でも解消するために歩いて通うようにしている。
東條高校は県内有数の進学校と評価される頭の良い学校ではなく、かといって名前を書くことが唯一の入学試験のような場所でもない。普通と称される僕にはぴったりな、平均的な学力の生徒が集まる高等学校だ。
僕は、平凡な高校に在籍するつまらない高校生なんだ。
けれども、僕の両隣を歩く二人の女の子は、それぞれが凡人では信じられない特殊な事情を抱えていた。
「おにいちゃんっ、学校たのしみだねー!」
「う、うん、そうだね」
「またこうやっておにいちゃんと一緒に学校行けるの、理奈、とーってもうれしいなー!」
「はは……その、ありがとう」
「おにいちゃんも、理奈と学校に行けるの嬉しい?」
「え、ええと……まぁ、嬉しいよ」
「わぁーいっ! 理奈、おにいちゃんに褒められたーっ!」
「はは……ところでさ、ええと……理奈ちゃんだっけ?」
「理奈は理奈だよっ? なぁに、おにいちゃん。理奈に訊きたいことがあるの?」
「うん。その、家を出た時から気になってるんだけど、どうして僕の手をずっと握っているのかな?」
「何言ってるのおにいちゃん。昔から理奈とおにいちゃんは手を繋いで学校に通ってたじゃん! 理奈とおにいちゃんは仲良しなんだから、手を繋いで歩くのはあたりまえでしょ?」
「え、ええと……」
片手をぶんぶん振り回されながら、一歩後ろをついてきている姉に振り向き、救援を要請する意図を込めて目配せする。
妹の背中を眺めて思考に耽っていた彼女が、僕の困り果てた表情に気づいてくれたらしく、僕の隣まで寄ってきてくれた。
姉は黙ったまま、自分の耳を僕の口元に近づけてくれる。
「ちょっと姉ちゃん、助けてよ」
「そんなこと言われても、あたしにだって何がなんだかわからないのよ?」
「この子だって先代の仕業なんじゃないの? だったら、何かしらの情報が姉ちゃんに与えられてるんじゃないの?」
「あたしだってそう思ったわよ。でも、この子が十三月八日に現れることも、優くんに妹ができるなんて話も、一切記憶には見つからないのよ」
「それってつまり、姉ちゃんに隠してたってことだよね。知られると神様に不都合があるから、あえて情報を残さなかったってこと?」
「可能性としてはあり得るけれど、でも、なぜかしら。世界の破滅も、救済の条件も教えているのに、数ある異変の一つに過ぎない妹の顕現を、どうして隠蔽するのかしら」
「僕の家族として現れたのは、姉ちゃんと同じ理由なのかな?」
「先代が仕組んだのだと仮定するなら、おそらくはそうでしょうね。もしかすると、あたしと同種の生き物なのかもしれないわ」
「じゃあ、この子も神様ってこと?」
「わからないけれど、先代が生み出したのはあたし一人だけという情報も残されていない。この子もまた先代によって創造されて、あたしと同じく使命を受託しているかもしれない」
「だとしたら、どうしていまさら……」
「それもわからないわ。ただ、この子はあたしと違って――」
妹に聞こえないよう声を潜めて姉と話しこんでいると、急に片方の腕が重くなった。
否応なく重量物を持たされて、僕の半身が重力に引っ張られる。崩れた体勢を踏ん張って支えると、眼下で小柄な妹が僕の腕を両腕で抱え込んでいた。
「ちょ、ちょっとっ! 急に引っ張らないでよ!」
「ぶーっ! おにいちゃんがいけないんだよっ! おねえちゃんとばっかくっつきすぎなんだからっ! 理奈だっておにいちゃんとくっつきたいもんっ!」
「く、くっつきたいって、君はなにを言ってるんだ! だいたい、姉ちゃんともくっついてないから!」
「ひどいっ! ひどいよおにいちゃんっ! 理奈のこと君って呼んだぁー! 理奈は理奈だもんっ。ちゃんと理奈って呼んでくれないと嫌だよ!」
「いや、そんなこと言われても……」
「ひどいひどいっ! さっきは理奈ちゃんって呼んでくれたじゃん! 理奈のことはそうやって呼んでよっ!」
「わ、わかったよ。り、理奈ちゃん……。これで許してくれるかな?」
「ふんっ! そんな簡単に理奈が許すわけないじゃんっ! ちゃんと謝ってくれないと、理奈の機嫌は直らないもんねっ!」
「え、ええと……ごめんね、理奈ちゃん。僕が悪かったよ」
「謝って許してもらえると思ったら大間違いだもんねーっ!」
「えぇ……いったい、僕にどうしろって言うんだよ……」
なんと面倒な性格の妹なのだろうと困り果てつつも、彼女の強気なところは少しばかり姉を彷彿をさせると思った。本物ではないにしろ、第三者の立場で何も知らずに姉妹だと聞かされれば、疑問も持たずに納得してしまいそうだ。
僕は再び姉に助けを求めようとしたが、姉はまたもや思考に耽っていて、今度は僕の視線にも気づいてくれない。
「ああっ! またおねえちゃんの方みてるー!」
「そ、そんなことないよ。あっちの景色を見てただけだよ。ほら、今日は遠くの山が綺麗に見えるよ?」
「山なんか見飽きたよ。理奈、山には興味なーし。そ、れ、よ、り~!」
ようやく腕を解放してくれたかと思うと、家を出た直後と同じように、強引に手を握られ引っ張られる。
「理奈とお話しようよ、おにいちゃん! 理奈、いーっぱい、おにいちゃんに話したいことあるんだよっ?」
「そ、そうなの? ま、毎日それなりに話してなかったかな?」
「あんなんじゃ足りないもんっ! ねぇ、おにいちゃんいいでしょ~? 話してくれたら、理奈、おにいちゃんを許したげるよ?」
「じゃ、じゃあ……僕と分かれるところまでなら、話を聞いてあげるよ。理奈ちゃんはどこの学校に通ってるの?」
「変なこと言わないでよおにいちゃん。理奈、一学期も二学期も、おにいちゃんと同じクラスで一緒に勉強してきたじゃんっ! 理奈の知らない間に、おにいちゃんおかしくなっちゃったの?」
――同じ……クラス……?
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