第23話
週末を翌日に控えた金曜日の正午。僕と姉、それに妹とついでに隼人は、冬季連休明けからすっかり恒例となった四人揃っての昼休みを過ごしていた。
「それにしても桐生くん、毎日毎日よくそんなにたくさんのパンを食べられるわねぇ。今日は五個? それとも六個かしら?」
「神奈ねぇさん、これにはちゃんと理由があるんすよ。俺がただの小麦粉中毒ってわけじゃないっすから、誤解しないでくださいね?」
「小麦粉中毒ではなくて、グルテン中毒ね。あまり身近では聞いたことがないけれど、結構な人が罹患していそうな病よね」
「俺はそいつらとは違いますからね? 見てくださいよ神奈ねぇさん。これ、全部種類が違いますよね?」
「あんパンにクリームパン、ホットドッグにコロッケパン。蒸しパンにタマゴサンド……言ってる通り種類は違うみたいだけど、それに何の意味があるのよ」
「実は、俺が今日買ってきたパンはこれだけじゃないんすよ。なぁ、理奈ちゃん?」
隼人はあんパンの袋を雑に開けながら妹に話を振り、一口で半分以上を食いちぎりもしゃもしゃと咀嚼する。
名指しされた妹に目をやれば、彼女はリスのようにちまちまと、昼休みが終わるまでに食べ終えられるのか心配な速度でいちごジャムパンを食べ続けている。
いちごのつぶが混ざったジャムを微量だけ口の端に付けたまま、彼女は一旦手を止めた。
「そだよっ。理奈が食べてるこのパンもねー、隼人おにいちゃんが買ってきたものなんだよっ! そーなんだよねー?」
「なーっ?」
「ねーっ?」
「なーっ?」
妹と隼人は顔を合わせ、片方はジャムを付けたままの幼く穢れのない笑顔で、片方は口を大きく開けて更に嬉しそうな笑顔で、一つの音でコンタクトを取り合う。史上最大に上機嫌な隼人の口内には、食べたばかりのあんパンがまだ残っていた。
汚らしく視界に入れたくないものが意図せずとも目に入ってしまうほどに、彼は口を裂けんばかりに開いていた。
「なんだろう、これ」
「あれで意思疎通ができているのか、甚だ疑問だわ。別段知りたいとも思わないけれど」
「そうだね。なんとなく、どうでもいいことのような気がするし」
「同感ね。状況から察するに、隼人くんが理奈の分のパンも買ってきたんでしょう。小間使いみたいに」
「んぐんぐ……んっ! ……さすがっすね、神奈ねぇさん。その通りっすよ!」
二口で完食したパンを無理に飲み込み、隼人が姉に返答する。
「そんなの誰だってわかるわよ。でもそれは、食べきれないだけのパンを買ってきた理由にはならないわよね?」
「それがなるんすよね~。実際、俺が多種多様なパンを用意したのは、百パーセント理奈ちゃんのためなんすから!」
「ふぅん。いまいちどころか、まったく考えが及ばないわねぇ。優くん、隼人くんが言っている意味、わかるかしら?」
「もしかして、理奈がどのパンを食べたいかわからないから、できるだけ多くの異なる種類のパンを買っているとか? いやでも、まさかね?」
「いやぁー、優もすげぇなぁ。俺まだヒントすら出してねぇのに、的確に言い当てやがったぜ。流石、俺との付き合いが長いだけあって、俺の頭ん中も理解してくれてんだなぁ」
「えっ? ……正解なの、これ?」
もっともあり得ないであろう理由を口にしただけなのだが、矢は的を射抜いてしまったようだ。
「ふぅん。事情はわかったけれど、わざわざたくさん買ってこなくとも、売店まで二人で行って選べば済む話じゃないかしら?」
「理奈も、隼人おにいちゃんにそう言ったんだよ? 一緒に売店行って選ぼーって。でもね、隼人おにいちゃんがついてきちゃ駄目って言うから、理奈はいつも隼人おにいちゃんに任せてるんだよ?」
「なんで理奈は売店に行っちゃ駄目なのよ。桐生くん、説明してくれるかしら?」
「神奈ねぇさん知らないんすか? この学校の売店は、昼休み開始から十分間くらい、死屍累々の戦場と化すんすよ!」
「売店の人気商品の競争率が高いのは知っているけれど、いくらなんでもその表現は過剰すぎではないかしら?」
「そんなことないっすよ。あの現場の空気的に、相応の喩えなはずっす。殺るか殺られるかの戦地に、理奈ちゃんを連れてけるわけないじゃないっすか!」
「桐生くんが行っているのは弾丸の飛び交う戦場ではなく、平和な学校の売店よね?」
姉の見解を耳にして、隼人は突然席から立ち上がった。
「同じようなもんすよ! 神奈ねぇさんは見たことあるんすか! 人混みが落ち着いた後、棚に残っている大量の塩おにぎりを目の当たりにして一日の気力を全て失って絶望に溺れる男達の姿を! 別に塩おにぎりが不味いわけじゃないんすよ。あそこのおにぎりは米自体が質の良いブランド米を使ってますから、どの味も充分にうまくて、それは塩おにぎりも同じなんすよ! ただ、あいつらは! あいつらは、連日塩おにぎりしか食べれてないんすよ! 腕っぷしの力がなかったり、即断即決できない優柔不断な奴は、食べたい物を目の前で奪われる哀しみに打ち震えることしかできないんすよ! あの売店では!」
「桐生くん、とても感情の篭った力説をありがとう。言いたいことはたくさんあるだろうけれど、とりあえず座りましょうか」
「そうっすね。まだ飯の途中っすからね」
指摘されるとあっさりと受け入れ、席に腰をおろすと三角形のタマゴサンドの袋を開ける。
「とにかくっすね、あそこは理奈ちゃんみたいな、か弱い女子が踏み込むべきところじゃないんすよ」
先ほどの説明を要約しながら、彼は二つ入っているサンドイッチをまとめて鷲掴みにして、またもや大きすぎる一口で齧って咀嚼する。
「実際の光景は見たことないけれど、なんとなく桐生くんの言いたいことはわかったわ。でも理奈、家でもお母さんに言われてるけれど、あなたもあたしや優くんと同じように弁当を作ってもらえばいいじゃないのよ。自分のお小遣いでパンを買うのはもったいなくないかしら?」
「理奈はご飯よりパン派なのっ! だから、パンにお小遣いを使うのはもったいないと思わないもんっ!」
「というか理奈、桐生くんにパンを買ってきてもらってるようだけど、奢ってもらっているんじゃないでしょうね?」
「理奈がそんな悪いことするわけないじゃんっ! ちゃんとお金払ってるよね、隼人おにいちゃんっ!」
「おう。今日もきっちり払ってくれたよな」
「ねーっ?」
「なーっ?」
「そう。それなら、あたしからは特に言うことはないわ。実の妹が甘えた生き方をしていたら、姉として更正させなければいけないと思ったけれど、杞憂だったようね」
「むーっ、理奈、おねえちゃんが考えているよりずっとしっかりしてるんだよ?」
ようやく折り返し地点にまでやってきたジャムパンを両手で掴みながら、相変わらず端を汚したままで口をへの字に曲げる妹。
対照的に、不満の矛先である姉の表情は柔らかく、苦笑と微笑が混ざり合っている。
「そうみたいね。失礼なことを言って悪かったわ。許してくれるかしら?」
「いいよっ! 理奈のおねえちゃんだし!」
秋の空どころではない早さで表情を裏返した妹が、パンから片手を離して親指を立てる。
それぞれの会話を見守っていた僕としては、妹が見せた一連の言動に、彼女の魅力や純真さが如実に表れているように思った。
ごく小さなわだかまりではあったけれど、僕の胸の片隅に、十三月を生み出した先代の神様に対する明確な敵意が生まれつつあるのを感じる。
桜庭理奈という女の子を、自らの欲を満たすだけに作り出した行為に対しての反感こそが、その感情を招いた理由であった。
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