第15話

 姉と出会ってから、気づけば五日が経過していた。

 この五日間、目的地も定めずとにかく町中を歩き回り、ヒントもないまま手がかりとなり得る〝何か〟を探し続けた。

 例のキャンプ場やバーベキュー広場のある施設にも三日目に再度足を運び、前回は調べなかった川原や、寒い中裸足になってまで川底を調査したりもした。

 聞き込み調査はしなかった。当然だ。何が知りたいのか分からないのに、何を訊けばいいのかなんて、僕や姉にも分からないからだ。

 結局、成果は未だに何も得られていない。

 今日もまた、商店街など比較的栄えている地域を散策してみたけれど、特に目を惹くものは見つからなかった。

 もしも今日見た物の中にヒントが隠されていたのだとしたら、答えを掴むのは絶対に不可能だと、僕はそう思う。


「姉ちゃん、いる?」


 晩ご飯を家族全員で食べた後、一旦自室に戻った僕は部屋を出て、隣にある姉の部屋の扉をノックした。


「いるわよ。どうかしたの?」

「いや、ちょっと話したいことがあって」

「わかったわ。入っていいわよ」

「うん」


 ドアノブに手を伸ばして回すと、扉を奥に押し込んだ。

 物置部屋が姉の部屋に変貌して六日目になるが、彼女の部屋は掃除が隅々まで行き届いており、物も散らばっておらず、綺麗に整理されている。

 彼女は椅子に座り、壁に沿って配置されている机の上で、ノートパソコンを開いていた。キーボードの上に片手をのせて、身体を僕に向けている。


「またネットをしてたの? 邪魔なら戻るけど……」

「いいえ、構わないわよ。没頭していたわけでもないから」

「そうなんだ。それなら、少しお邪魔するよ」

「ええ。優くんなら大歓迎よ」


 許可を得たので、部屋に足を踏み入れて扉を閉める。


「結構ネットにはまってるよね。今度は何を調べてたの?」

「あたし達にとって、とても大事なことよ」


 椅子に付いているキャスターを転がして、ノートパソコンの正面を空ける。画面を覗くよう促された僕は、近寄って視線を落とす。

 検索エンジンのテキスト入力箇所に、姉の調べている情報の答えが表示されていた。


「〝世界の破滅について〟って……姉ちゃん、いくらなんでも直球すぎるんじゃない?」

「かもしれないわ。なんとしてでも尻尾を掴みたくて、思い切って直接的に検索をかけてみたのだけれど、どれもこれも妄言やでたらめな仮説ばかり。困ったものね」

「滅亡の危機を察知してるのは僕と姉ちゃんの二人だけなんでしょ? だったら、僕達以外には分かるはずがないよ」

「あたしだって、そこまでは期待していないわ。ヒントを掴むためのヒントがないか、色んな人の書いた妄想を読みながら考えていたのよ」

「だけど、駄目だった?」

「正直参ってるわ。いったいどうしたらあの植物は成長してくれるのかしらね。いまのところまったく手応えがないわ」

「あれから、あの植物はどうなったの? 以前より成長してる?」

「分かるはずないじゃない。純白の空間には、優くんと手を繋いでいないと行けないのよ?」

「えっ、それじゃ、僕と姉ちゃんが会った五日前から、一度も成長具合を確かめてないの?」

「知覚できる変化が世界に起きていないから、見るまでもないと思ったのよ。それとも、優くんはこの六日間で、〝小さな枯れ木〟が〝ちょっとだけ小さな枯れ木〟にでも進化していると思う?」

「分からないけど……なんだろう……」


 〝十三月〟と書かれたカレンダーを作ることはできる。

 素性の知らない女の子を、僕が眠っている間に家に招き入れて、あたかもずっと昔から共に暮らしているように芝居をすることもできる。

 だけど、あの空間は、純白の空間だけは、どう仮定しても説明できない。


「あの空間の存在は、世界の破滅へのカウントダウンを意味する十三月において、最も現実からかけ離れている過去との変化だ。それに、あそこにある謎の植物が大きく関係しているなら、もっとよく見ておいた方がいいんじゃないかな?」

「優くん……?」

「な、なに、姉ちゃん」

「……いえ、優くんがそこまで考えてくれているとは思っていなかったから、少し驚いてしまったのよ。世界が破滅するっていっても、兆候は一切確認できていない。優くんに実感がわかなくても仕方がないって考えていたから、少し意外だったわ」

「実感はないよ。だけど、異常がもう六日間も続いてる。今日は〝十三月六日〟だ。悪化はしてないけど、状況も変わってない。周りの人と同じ世界にいるのに、見えている景色は違うし、見えない終わりに追われてる。こんなのは僕の頭が本当におかしくなる前に終わらせたいから、姉ちゃんの言葉を受け入れてるだけだよ」

「未だに事態が好転しないのは、あたしの力不足だわ。優くんを不安にさせてしまってごめんなさい」

「姉ちゃんが謝る必要はないよ。姉ちゃんだって、巻き込まれた側なんだから」

「それじゃあ……ありがとう、優くん」

「いや、謝るのが違うからって、お礼を言う必要はないけど」

「そういう意味じゃないわよ。純粋に感謝しているの。あたしだって一人きりだったら、手がかりのない謎の究明を時間制限付きで強制されて、いつまでも平静を保っていられる自信はないもの。優くんがいるから、あたしは今もあたしでいられるのよ」

「ぼ、僕は勝手に選ばれただけでしょ!」

「でも、あたしの伴侶は優くんだから。あたしは、優くんに感謝の気持ちを伝えたいの」

「い、いや、うん。わかった。わかったよ。と、とりあえずさ、純白の空間に行ってみようよ。変化は何もないかもしれないけどさ」

「うふふっ、そうね。そうしましょうか」


 椅子に座ったまま、ノートパソコンの前で立っている僕に手を差し伸べた。


「手を握らないと移動できないんだっけ?」

「ええ、そうよ。もう、躊躇しなくても良いでしょう?」

「えっ?」

「あたし達は、初対面の間柄でもないじゃない。あたしが優くんのことを、与えられた情報だけじゃない本物の優くんのことを少しだけ理解できたように、優くんだってあたしのことを同じくらいは知ってくれたでしょう? それとも、これはあたしの自惚れかしら?」

「そ、そんなことないよ! ……僕も、少しずつだけど姉ちゃんのことがわかってきた、と思う」

「うふふっ、嬉しいわね。なら、早く行きましょう」

「うん。そうだね。行こう」


 姉の手を握る。柔らかく、ただ重ねるように優しく。

 見下ろすと、彼女は口元に笑みを作っていた。それは、出会った初日に何度も見せたいたずらでわざとらしい笑顔ではなく、自然にこぼれた真実の感情のように見えた。

 視界が白く染まっていく。淡紅色の調度品が、強烈な白い光に塗りつぶされていく。

 明朗に笑う姉の顔が見えなくなって、僕の目に映る世界は、再び完全な白色に支配された。

 

「……ねぇ、優くん。これを見てちょうだい」

「っ! これは……」

「どう思う? いったい、何が影響したのかしら?」

「僕に聞かれても……僕はほとんど姉ちゃんと一緒に行動してたし、姉ちゃんがわからないなら、僕にだってわからないよ」

「あたし達、町の探索と買い物くらいしかしていないわよね?」

「探索では成果も得られていないし、他は家で何気なく過ごしていただけだ」

「でも、これは〝成果〟になるのではないかしら? あたし達が探索していた理由を考慮すれば、結果的に充分な収穫が得られたと言って過言ではないと思うわ」

「かもしれないけど…………だけど、どうして……?」

「それは、あたしにも判然としないわ」

「……たった六日でこんなに大きくなるなんて、信じられない」


 二度目となる純白の空間で僕が再会した植物は、〝小さな枯れ木〟なんて卑小な呼称が見合う容貌ではなかった。

 前回は見下ろしていた植物を、今回は見上げていた。

 高い位置で、丈夫そうな中心の幹から無数の枝が分かれている。枝の先には、折り重なるようにして新緑の葉が瑞々しく飾られている。

 あまりに急速に成長した樹木は、僕と姉の頭上を枝葉で傘のごとく覆っていた。けれども、地面に影はない。思いついて背後の地面を確かめてみると、やっぱり自分の影もできていなかった。

 通常なら疑問の一つに加わるところだろうけれど、目の前の樹木を観察していたら、そんな些細なことは吹き飛んでしまった。


「〝立派な大木〟とでも表現するべきでしょうね。これは〝小さな〟とも〝枯れ木〟とも呼べないわ」

「信じられないくらい異常に成長してるけど、これじゃ素直に喜べないね」

「……ええ。そうね」

「理由がはっきりしていないんじゃ、こんなの、運が良かっただけだ」

「でも、破滅の回避に一歩くらいは近づけたんじゃないかしら?」

「どういうこと?」

「植物が成長したのは、あたし達が前回見た時から今日までに、隠されている条件を満たしたからよ。あたし達は自覚しないうちに、〝小さな枯れ木〟を〝立派な大木〟にまで成長させていたのよ」

「おかしな出来事はたくさん起こったけど、それは初日の朝だったし、最初にこの白い空間に来たのはその後だったし……僕達、何か特別なことしたっけ?」

「山に探索に行って、町で買い物をして、川に行って町中を歩き回って、ただそれだけよね。変わったことをした覚えは、少なくともあたしにはないわね」

「僕は……」


 振り返ってみる。

 存在しないはずの姉が生まれたあの日、物置だった場所が派手すぎる女の子の部屋に変貌して、十二月が終わった僕の世界は一月ではなく十三月の日の出を迎えた。

 いや、これらは純白の空間を訪れる前の記憶だ。あの時点ではまだ〝小さな枯れ木〟だったのだから、振り返る必要はない。

 その後は?

 その後は、姉に手を引かれて半ば強引に調査をさせられた。

 初日は裏山の麓にある施設を調べた。何を調べるのかすら分かっていない僕達は、当然のことながら成果も得られず、昼食を摂るために一旦自宅に帰った。

 そうしたら、母さん達が外出していて、家にいなくて……。

 僕達は隼人の働くコンビニに買出しに行って、そこで、強盗に巻き込まれたんだ。あれは珍しい不幸だったけれど、人為的な事件だから植物の成長とは無関係だろう。

 初日に起きた出来事が多すぎた。あれから今日に至るまで、新しい異変は何も確認していない。強いて挙げるなら、ここにあった小さくて脆そうで弱々しかった植物が、力強くそびえ立つ立派な樹木に突如として成長したことくらいだ。他には、思い当たることはまったくない。姉と二人で東條町を歩き回り、冬休み後半の一週間は過ぎ去った。

 ……やっぱり、十三月や姉の出現に匹敵する説明不可能な不思議な出来事は起こっていない。

 そうなると、単なる偶然ではあるけれど、強盗に遭遇した件が最も現実から離れた出来事だったように思う。

 十三月とは関係がなくとも、僕にとっては嫌な記憶として鮮明に残っている。


「初日に、コンビニで強盗の現場に遭遇したよね?」

「そんなこともあったわね。うふふっ、あのおでんの玉子で拷問する桐生くんの発想には、思わず笑ってしまったわ。彼、とても素敵な発想力を持っているわよね」

「ま、まぁ、隼人は昔から独特の感性を持ってるから」

「でしょうね。あたしも、彼が数々の珍事を引き起こしてきたことを、情報として与えられているわ」

「頭を抱えた回数は数え切れないくらいあったけど、あの件に関しては隼人が特殊な性格で助かったよ」

「あたしも驚いたわ。どこか変なのは知っていたけれど、まさかあそこまでとはね。ああいう場面って、大抵の場合は自分の命を守るために店の儲けを簡単に差し出すわよね? だって、別に自分のお金でもないんだし、仮に自分の物でも、命には換えられないと判断して犯人にお金を渡すと思うのだけれど」

「僕だってそう思うよ。確か、姉ちゃんが僕の姉になったのって、僕が圧倒的に普通の人間だからって理由だったよね? なら、隼人は絶対に選ばれないだろうね」

「先代の決めた今回の選考基準で考えるなら、間違いなくそうでしょうね。あの子は、普通と呼ぶには精神面も肉体面も強すぎるわ」

「……僕だって、普通というには弱すぎると思うけど」

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