第37話 それを運命とは言わない
マンションの部屋に入り、蒼也が案内されたのはリビングだった。さすがに麗子もいきなり寝室に連れ込んで致そうとは考えてはいなかったらしい。ただ蒼也は唯一の荷物であるカバンを取られてしまった。もちろん、ポケットに入れて置いたスマホもだ。座りたかった訳では無いけれど、部屋にいたスーツ姿の男に肩を抑え込まれる形でソファーに座らされてしまった。
そうすると当然のように斜め前に麗子が座る。
(なんでこのソファーL字型なんだよ)
先程の車よりは離れているけれど、ソファーがL字型のせいで座っている座面は一緒だ。蒼也は両膝の上に置いた手が自然と握る形になっていた。
「あら?緊張しているの?」
麗子がおどけたような軽い口調で言ってきたけれど、蒼也は目線を動かして麗子の様子を確認するだけだ。先程のスーツの男は部屋からいなくなったようで、気配がしない。その代わり、麗子から漂うフェロモンが強くなった気がする。
通された部屋には大きな窓があり、その向こうには広いバルコニーが見えた。ウッドデッキにパラソルや椅子が見える。
「お腹が空いてるのならお菓子でも食べる?サイダーが好きなんでしょう?用意してあるわよ」
麗子が蒼也の事をそれなりには調べていることに警戒心が強くなる。何をどこまで調べているのだろう。そもそも、シェルターに報告されている内容を見られていたらと思うとゾッとする。
「心配しないで、私は二階堂家のアルファだから、シェルターのオメガの情報は見ることができるの。そのくらいは知ってるわよね?」
それを聞いて蒼也は思わず麗子を睨みつけた。
「あら、怖い顔。美人が台無しよ」
余裕たっぷりの口調で麗子は言うけれど、それが本心では無いことぐらい蒼也でも分かる。単なる嫌味だ。蒼也だってベータの亜希子をブス呼ばわりしたけれど、アルファの麗子から見ればオメガの蒼也なんて鼻で笑いたくなる程度の容姿なのだろう。だから口を開く度に蒼也を美人と言うのだ。
「あなたの方が美人ですよ。 って、言って欲しいんでしょ?おばさん」
蒼也はそう言って麗子を睨みつけた。それはささやかな抵抗だった。なぜなら、部屋に入った時から感じている圧がどうにも苦しくて、蒼也は息をするのも辛いのだ。呼吸をする度にどうしても吸い込んでしまうアルファのフェロモンが、じわじわと蒼也の思考を奪っていた。
「なかなか強情なのね」
麗子はそう言って顎に手を当てた。そうやって考え込むような仕草をしているけれど、それはあくまでもパフォーマンスにすぎない。
「この間みたいに出さないの?フェロモン」
「この 間?」
思い当たる節がない蒼也は首を傾げた。この間とはなんだろう?おそらく映画館でのことを言っているのだろうけれど、蒼也は途中で寝てしまったから実の所はよく覚えていないのだ。気がついたら城崎に抱き抱えられて寝ていたのだから。
「あらぁ、とぼけないでいいのよ?映画館で威嚇のフェロモンを放っていたでしょう?」
「威嚇? 俺が?」
出しているのはあんただろう。そう言いたいぐらいに空気が重たい。蒼也の呼吸は知らず浅く短いものになっていた。
「そぉ、無意識?困ったわねぇ、私そう言うの好きじゃないのよ」
麗子はそう言うと蒼也に近づいた。浅い呼吸を繰り返す蒼也は、ソファーの背もたれに体を預けた状態になっていて、麗子が自分の膝の間に片膝を付いたことに反応出来なくなっていた。
「な、に?」
「ふふ、私のフェロモンに反応してるのね。これなら大丈夫よ。ちゃんと発情させて項を噛んであげられるわ。そうして私の番にしてあげる」
「は?何言って んの 俺、外さな い、よ」
麗子が近づいたことで、より一層重苦しいフェロモンが蒼也の上に降り注ぐ。それを吸い込んでしまい蒼也は息苦しくて頭がぼぉっとしてきて言葉を発するのも辛くなってきた。
「心配しなくていいわ。二階堂家にはね、そのネックガードの緊急解除キーがあるのよ」
そう言って麗子は蒼也の首に巻かれたネックガードを指先で弄んだ。特殊な繊維で作られているから、首にフィットしながらも伸縮性があり、通常は苦しさを感じることは無い。だがいまは、唾を飲み込むのも辛いし、息をするのも苦しい。
「私の番になればもう他のアルファの匂いなんて分からなくなるわ。そうして発情期が来る度に私だけを求めるの。素敵でしょう?」
「な、に、言って んだ?俺、未成年 なんだから、な」
「大丈夫よ。おじい様は運命の番に弱いの。私が泣いてお願いすれば緊急解除キーぐらい貸してくれるわ」
「バッカ じゃねーの 運命だったら、それこそ 自分で外すだ、ろぉ が」
蒼也が必死で言葉を紡ぐと、麗子の形のいい眉がピクリと動いた。それはそうだ、互いに運命と分かっていればオメガ自らがネックガードを外して項をアルファの前に晒すだろう。そもそも緊急解除キーの使用目的は、発情期のオメガの首からネックガードを外すためのものでは無いのだ。不慮の事故などにあった際、応急処置を施すのに邪魔だと判断された時に使用するものなのだ。
「ごちゃごちゃうるさいわね。じゃあ、さっさと外しなさい」
「断る。 俺は、あんた なん、か 嫌いだ」
「生意気な子ね。いい?私のフェロモンが嗅ぎ分けられるってことは、運命なのよ。現に、ほら、私のフェロモンに当てられているでしょ」
「はっ、な、に、言って んの? 臭くて 苦し、いん だ、よ」
蒼也が、そう言って麗子を押しのけようとした時、麗子がその手をとった。
「ごちゃごちゃうるさいわね。いいから私の言うことを聞くのよ」
そう言って麗子は蒼也の手をネックガードにあてがう。
「発情状態に入ってなければ解除できるのよね?ほら、外しなさい」
麗子がフェロモンの力を使って蒼也を服従させようと試みる。目線を合わせて無理矢理言うことを聞かせようとしているのだ。
「あ、ぅあ やっ」
「抵抗しないの、いい子ね。私のフェロモンを受け入れなさい。そうして私の番になって、私しか分からなくなればいいのよ。そうすれば、発情期の度に私にしか反応出来なくなるのよ。素敵でしよ?気持ちなんかどうでもよくて、体が私だけを求めて私しか受け入れられなくなるのよ」
麗子の言っていることはものすごく恐ろしかった。麗子しか分からなくなる?そんなのは嫌に決まっている。あんな不愉快な匂い、出来れば一生嗅ぎたくなどない。
蒼也は必死に抵抗しようと試みるが、麗子の発するフェロモンが蒼也から思考を奪い、力も削ぎ落としていく。指先に入るはずかな力は、意味がなく、むしろネックガードの解除の為の指紋認証を容易くしているだけだった。
電子音が小さく鳴り、その後に金属音がした。蒼也の首からネックガードが滑り落ちる。
「あっ」
首元に風を感じる。そして、麗子の指先が項に触れた。約三年、ネックガードに守られてきた項、首筋は一際しろかった。
「もう、こんなものはいらないわね」
片方の手で蒼也の首元に引っかかるネックガードをつまむと、麗子はソレを放り投げた。毛足の長い絨毯に落ちたからなんの音もしない。麗子の指先が触れる項から、蒼也はただただ気分の悪くなる刺激を受けた。
「いや、だ」
麗子の手を振り払いたい。麗子のフェロモンから逃げ出したい。早く体を動かして一刻も早くこの部屋から脱出したい。しかし、蒼也がそう思っているだけで、体はまるで言うことを聞かなかった。
発情期の熱とは違う何かグズグズとした得体の知れない熱が、じわじわと蒼也の体に広がっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます