第12話 第一種接近遭遇


「っ、もう」


 蒼也に背後からぶつかってきたのはそちらのくせして、随分な態度だった。膝より上のタイトスカートのセットアップで色はグレー、履いているパンプスのかかとはそこまで高くなさそうだった。


 (なんだ、ベータじゃん)


 先に走り抜けた男性が背中だけで分かるぐらいのアルファだったのに、蒼也にぶつかったこの女性はベータだった。まぁ、綺麗な顔立ちはしているけど、ベータだった。

 ここが、シェルターであるから蒼也は相手の心配なんてしなかった。むしろ手続きまでして入ってきたのだから何かしらの用事があるのだろう。二十代半ばぐらいの見た目だけれど、あちらのアルファとは夫婦とは思えない。一体なんの用でここに入ってきたのやら、蒼也にぶつかっておいて謝りもしないなんて随分なものだ。


「ああ、きみ大丈夫かい?」


 先を走っていたはずのアルファが、戻ってきて蒼也に声をかけてきた。思わずそちらに顔を向けると、まるで映画俳優のような顔をした男が、今まさに蒼也の前に膝をつこうとしているところだった。


「蒼也に触るなっ」


 そのアルファの男の背後から光汰が叫んだ。珍しく光汰の声が切羽詰まった感じがして、蒼也の意識は目の前のアルファを通り越して光汰へと向かっていた。


「先生」


 そんな空気を両断する勢いで、蒼也の隣で同じように転んでいるベータの女が口を開いた。けれど、蒼也もアルファの男も反応なんてしなかった。蒼也の意識は光汰に向かっているのだけれど、体が反応しなくて目の前アルファの男を見たまま固まっている。アルファの男もまた、蒼也を前にして中途半端に腰を落とした体勢で動かない。


「さっさといなくなれ!」


 光汰が駆け寄ってきて、蒼也に抱き着いた。アルファの男とベータの女の視界から蒼也を隠すような体勢だ。


「   あ、ああ、そうだね。すまなかった。その、きみ、怪我は  」

「さっさと行けよ!あんたアルファだろっ」


 光汰が叫ぶように言えば、ようやくおかしな空気がなくなった。けれど転んだせいなのか、蒼也は立ち上がることが出来なかった。


「佐々木くん、行くよ」


 アルファの男は転んだままのベータの女にそう声をかけると、素早く蒼也に背を向けて歩き出した。今度は早足だ。


「あ、先生待って下さい」


 ベータの女は素早く立ち上がり先生と呼ぶアルファの男の後を追う。その際、しっかりと蒼也と光汰に向かって舌打ちをしたのだった。


「なに、あれ」


 状況が全く把握出来ない蒼也は、尻もちを着いたような状態で光汰に抱きつかれたままだ。


「あれはこのシェルター専属の弁護士だよ。ベータの女は助手。     ムカつく」

「  うん、そうだね。舌打ちして、ぶつかったきたの向こうなのに」

「ほんと、それ」


 そういうと、ようやく光汰の拘束が緩くなり、蒼也は光汰の顔を見ることが出来た。入学したての高校で別れてからまだ二、三時間しか経っていないのに、なんだか様子がおかしい。


「   光汰、どうした?何かあったの?  」


 怒っているのではなさそうだけど、それでも光汰のまとうフェロモンが落ち着かなくて蒼也も思わずつられそうになる。いや、落ち着いてシェルターの雰囲気を感じ取れば、おかしなフェロモンが漂っていた。


「うん、ちょっと事件  かな」

「事件?」

「そう、事件。    歩きながらできる話じゃないから場所移そう」

「分かった」


 そう言った光汰が蒼也を連れてきたのはシェルターの中にある学習室だった。


「あ、蒼也くんも来た」


 学習室のソファーには今日から同じ高校に通い始めたオメガ女子たちが座っていた。


「みんなどうしたの?」


 プレイルームには小さな子が何人かいて職員と一緒に遊んでいるのが見えた。平日の昼間にこんなに人がいるのは珍しかった。


「蒼也くんは始めてかぁ……」

「もしかして、今帰ってきた?」

「ね、ここ座って」


 言われるままに光汰と二人でソファーに座る。一人にひとつクッションを渡されて、ソファーにはぎゅうぎゅうと身を寄せ合うように座ることとなった。


「事件が起きたの」


 声を潜めて言われたことは、先程光汰に言われたのと同じフレーズだった。


「事件?」


 蒼也が聞き返すと、光汰が蒼也のことを少し自分の方へと引き寄せた。


「ねぇ、蒼也。ここはシェルターって呼ばれているけど本物のシェルターが、どこにあるか知ってる?」

「本物のシェルター?」


 なんのことを言っているのか分からず蒼也は首を傾げた。


「ここ全体をシェルターって呼んでるんだけど、正真正銘のシェルターはこの建物の隣にある赤い丸い屋根の建物なんだよ」

「赤い丸い屋根?    あっ」


 少し考えてしまったが、わかった。施設を案内する時に『特別棟』と教えられたところだ。蒼也は当分関わらないところだと言われた記憶がある。


「わかった?」


 光汰が探るような目線を向けてきたので、蒼也はコクコクと頷いた。


「あそこはね、番に捨てられたオメガが隠れる場所なんだ」


 それを聞いて蒼也は心の中で納得した。確かに、蒼也は当分関わらないところだ。と言うよりも、生涯関わりたくは無いところだ。


「それでね。今年になってあそこに一人入った人がいたんだけど、やっぱりダメだったみたいなんだ」

「ダメだったって?」

「あのね、番契約って首のここんとこ、項の辺りをアルファに噛まれるわけじゃない。発情期の最中にさ」

「ああ、うん。そうだね」


 蒼也はコクコクと首を動かし光汰の話を聞く。抱き抱えるようにしているクッションは、何となく不安を和らげてくれていた。


「番ができると発情期は相手のフェロモンしか感じなくなるじゃない?それで安定した発情期が過ごせる訳なんだけどさぁ、僕たちオメガは一人のアルファとしか番えないのに、アルファは複数のオメガと番えるじゃん」

「そう、だね」


 だんだん話がなんなのかわかってきてしまい、蒼也はゴクリと喉を鳴らした。


「だからね、番に捨てられるオメガが、いる訳。他のオメガと番になったから、とか運命にあったからとか、そんな理由で捨てられるオメガがいるんだよ」

「捨てられると、どうなるの?」


 蒼也はおずおずと聞いてみた。


「昔と違って今は番の解除手術が受けられるの。アルファの同意はいらないくて、オメガ一人で受けられるわ」


 一番端に座っていたオメガ女子が口を開いた。


「でもね、番契約する箇所って項、ここじゃない?」


 そう言って髪をかけあげ指で項の箇所を示す。


「ここってさぁ、小脳も近いし頚椎も近いじゃない?だから危ないのよ、手術」

「ヤブじゃないけど、モグリとか下手な医者にされると後遺症が出たりするの」

「シェルターに逃げ込んでここで手術受ければ絶対に安全なんだけど、番のアルファが一方的に手術受けさせることがある訳よ。だって、邪魔になったから」


 蒼也は黙って頷く。


「そうなると、後遺症が起きたり実は番契約が解除出来てなかったりするわけなんだよ。分かる蒼也?」

「何となく」

「昔はさぁ、番がいなくなったオメガは衰弱したり発情期が上手く過ごせなくなって暴れたりしていたみたいなんだけど、今は抑制剤も種類が豊富だしシェルターもあるから僕たちオメガは安全に生活できるわけ」

「でもね」


 蒼也の隣に座るオメガ女子が顔をグッと近づけてきた。


「本物のシェルターに匿われるオメガはダメなの。番解除の手術に失敗してるか、手術が受けられないぐらい衰弱してるか、とにかくヤバい状態のオメガなの」

「それって……」

「オメガ保護法があるでしょ?っておもうでしょ?でもね、ダメなのよ。番のアルファに捨てられたって言ったところでどうにもなんないの。訴えないといけないのよ」

「……あ」

「分かる?交通事故にあうじゃない。その時その場で相手が警察に捕まったとしても、被害届を出して受理されないといけないのと一緒なの」


 何となく分かった。オメガ保護法があって、それに準じて施設があったり学校に隔離部屋が作られたり、企業はオメガを採用して尚且つ発情期休暇を与えなくちゃいけない。ってなっていても、性的被害にあったりアルファから暴力を受けたり、一方的に番を解除されたら訴えないといけないのだ。

 つまりそれがものすごい壁になっているということだ。何しろ相手はアルファ様だ。見た目だけじゃない。頭の良さもさることながら、社会的地位もいいものを持っている。逆に捨てられたオメガは何も持っていないことの方が多い。訴えたところで自分のことを自分で弁護するなんて器用なことができるわけが無い。逆に言えば、何でも持っているアルファ様は、有能な弁護士を雇う事が可能なのだ。


「それって、つまり……」


 蒼也がようやく声を絞り出すと、オメガ女子たちはコクコクと頷いた。


「シェルターに匿っていたオメガがヤバいことになったってこと。番契約の解除が上手くいったなかったんだよ。発情期が来ちゃって抑制剤が効かなくて、半狂乱になってフェロモン撒き散らしちゃったの」

「それって  」

「ま、シェルターにはオメガ専用の腕のいい医者がいるからね。直ぐに専用の抑制剤を調合して投与したから事なきを得たんだけれど、相手のアルファが受けさせた手術が成功していなかったのは明白。そんなわけでシェルター専属の弁護士が呼ばれたわけ」


 つまり先程蒼也が遭遇したのがその弁護士だということだ。


「ええっと、それじゃあ」


 これから起こる事を蒼也は頭の中で必死に考えた。今は自分には遠い未来である番契約ではあるが、未だ知識の浅い蒼也であるから、高校を卒業した途端にうっかりアルファと番契約をしてしまうかもしれない。そうなった時、その先に今回の事件のようなことが蒼也の身に起きないと限らないのだ。


「オメガ保護法に基づき訴えるね。そのための資料と現状を弁護士は確認しに来たわけ。あのベータの女は使えない感じするけどな」


 光汰がそう口にしたので、蒼也は思わず頷いた。確かにあのベータの女はシェルターに入ってきたというのに、シェルターの住人たる蒼也にぶつかってきたのだ。蒼也は見えていなかったけれど、それなりに端に避けたと言うのに。


「あのベータの女さぁ、絶対にアルファ狙いだね」

「アルファって、あの弁護士の人?」

「そ、シェルター専属の弁護士アルファ様ね」


 光汰がそう言えば、オメガ女子たちが顔を見合せ一斉に口を開いた。


「「「あのベータね!」」」


 その迫力に蒼也は思わず光汰にしがみついた。


「なに、知ってるの?」


 光汰が面白そうな話を聞いて嬉しそうに笑った。

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