第17話 最悪にして最高の


「いつまで謹慎してればいいのよ」


 流石に一週間も部屋に閉じ込められて亜希子は癇癪を起こしていた。元々アルファの娘として生まれ育ったから、例え母親がベータであったとしても自分は優秀で特別なのだと自負してきたのだ。父親の会社の業績は順調だし、自分がベータであったとしても、優秀なアルファと結婚するものだと思っていた。

 だって学生時代、自分には誰もがかしずいていたのだ。中学に入る時の二次判定で亜希子がベータだとわかった後でも、周りのアルファたちは亜希子を見下したりはしてこなかった。それは父親の会社の業績が良く、五大名家の経営する企業とも何らかの繋がりがあったからだ。亜希子の周りにいたアルファたちは、親からの支持で亜希子から離れなかっただけだった。

 亜希子がそれに気づいたのは大学で就職活動が始まった頃だった。アルファたちは親や親戚筋の会社に就職を決めていく中、なんの活動もしない亜希子は取り残されたのだ。亜希子が父親の会社の経営に何も関わらないことを知ると、アルファたちはあっという間に亜希子から離れ、そして亜希子からの連絡に一切答えなくなってしまったのだった。

 それからだ、遠巻きに見ていたベータたちでさえ亜希子から離れていったのは。

 その事は亜希子のプライドを大きく傷つけた。たとえ自分がベータであったとしても、その辺にいるようなアルファに劣らない優秀なベータであると自負していたからだ。容姿だって、アルファの隣りに立っても遜色ないはずだ。だって母親はベータでありながらアルファの父親と結婚をし、亜希子を産んだのだから。アルファの子を産めるだけの美貌と才能を持ち合わせたベータの母親から産まれたのが亜希子であり、父親はそんな亜希子をアルファの元に政略結婚させるのだろうと思っていた。

 そう、大学を卒業するまでは……


 大学の卒業式の後、卒業パーティーに参加するため一度自宅に戻り着替えをしようとしていたところ、父親に呼ばれてリビングに行った。するとそこには逞しい体躯をした見目麗しいアルファがいたのだ。それも父親の隣に立っている。その姿を見た途端亜希子は気色ばんだ。

 しかし、ソファーの横に立つ母親の姿を見て亜希子は怪訝に思った。顔色が良くないのだ。目の前に一目で上位のアルファだと分かる男性が立っているというのに、母親はどこか塞ぎ込むような、暗い雰囲気で下を向いていたのだ。なので亜希子は「これは良くない結婚なのだろうか」と勘ぐったのだが、それも違った。父親の口からとんでもない事を聞かされたからだ。


「番との間の息子隆成(たかなり)だ。大学を卒業して今年の春から私の会社で役員として働くことになっている。住まいは……」

「ご心配なく、学生時代にFXで稼いでマンションを購入してますから、今まで通り母との時間を邪魔するなんて無粋な真似はしませんよ」


 そう笑いながら語り合う姿を見て亜希子はその場で崩れ落ちた。目の前に立つアルファは、父親の隠し子なのだ。いや違う、アルファとオメガにおいては番との間に生まれた子こそが本物だ。


「ああ、心配しないで下さい亜希子さん」


 そう美しい微笑みで声をかけてきた。


「今まで通り亜希子さんはこの家で暮らしてもらって問題ありませんよ。俺はこちらの家庭に興味はありませんから、それに番もいますからね」


 あなたが邪魔さえしてこなければ、ほおっておいてあげますよ。なんて頭の上で言われたけれど、亜希子の耳にはほとんど聞こえてはいなかった。よく分からないが全身が震え言葉を発することさえ出来なかったからだ。目線だけで確認をすれば、母親もまた青ざめた顔で立っているだけだった。

 それからのことはよく覚えてなどいない。ただ、とても卒業パーティーに参加などすることなどできず、リビングのソファーに置物のように座っていた。

 道理で父親が卒業式に来なかったはずだ。一人娘であるはずの亜希子の晴れの門出だと言うのに、母親しか来なかったのだ。重大な仕事でも入っていたのかと思っていたのに、それは違ったのだ。


「シェルター出のオメガなんですって   コテージで出会っていたそうよ。   私との結婚の前から、ね」


 吐き捨てるようにそう言った母親は、亜希子の向かいにある一人がけのソファーに乱暴に腰を下ろし、両手で顔を覆った。


「そうよっ、割り込んだのは私。どうしてもあの人と結婚したくてお強請りしたのよ。父の会社と業務提携していたから、双方に利益にもなる。って、そう信じていたわ」


 母親はその姿勢のまま亜希子を見ない。既に父親と隆成は居なくなっていた。関連企業のパーティーで隆成をお披露目するためだそうだ。つまり父親の会社の正式な跡取りとして隆成が立つのだ。


「アルファを産めなかったから……その時から捨てられていたのよ」


 つまり、捨てられていたのは亜希子も同じだ。どちらかと言えば産まれる前から捨てられていたのだろう。隆成と亜希子が同い年という事は、そういうことなのだ。

 アルファとオメガの間にベータは入り込めないだなんて、亜希子は認めたくはなかった。父親と母親は仲睦まじかったではないか。いつも母親の作った朝食を食べて、出勤する時は母親が必ず見送っていた。家政婦はいるけれど、父親の身の回りの世話は母親がしていたのに。母親は番の存在に気づかなかったというわけだ。


「所詮私たちはベータだと言うことよ」


 そう言い放って母親は泣き崩れた。

 それは亜希子にとって最悪な思い出となった。

 だから、亜希子はシェルターにいるオメガが心底嫌いだった。親に捨てられたくせに国に守られ、アルファと番になることが当たり前として生きている。そんなヤツらを潰してやりたいと思っていたところ、シェルター専属の弁護士事務所で事務員の募集があった。その弁護士はアルファである。それもかなり上位の。所詮アルファはオメガの為に動くのかと思うと亜希子は吐き気がした。だから、自分が教えてやらねばならないと思ったのだ。そうして、シェルターに巣食うオメガたちに制裁を与えねばならないと思ったのだ。


「ああ、そうだ。オメガ保護法だ」


 事務所に入った時、城崎から渡されたオメガ保護法の本を手に取った。シェルターのオメガたちを守るために必要な事だから覚えておくよう言われたのだ。

 だが今は、亜希子の復讐のために役に立つ知識だ。


「オメガのくせに、私の邪魔をするからよ」


 付箋のついたページを開き、その一文を指でなぞる。


「そうよ、これこれ。邪魔するオメガちゃんは、ずっとシェルターにいてもらいましょうね」


 嗤いながら亜樹子は言った。

 

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