第18話 緊急事態で緊急接近
高校から帰宅するにはバスに乗ればそれで済む。直行ではないけれど、ショッピングモールから私鉄の駅をつなぐ順路に蒼也たちの通う高校があるのだ。途中には工業団地もあるから、朝はそれなりに混んでいた。朝は高校の校門付近のバス停で降りるけれど、帰りは反対側に回らないといけないから少し面倒だ。
図書委員になった光汰がミーティングに参加すると言うので、蒼也は一人で先に帰ることにした。蒼也は何故だか体育委員にさせられたのだ。授業の兼ね合いもあり、クラスに一人は必要だと言われた時、何故だかクラス全員の視線が蒼也にきたのだ。理由はおそらく蒼也がズボンを履いていることと、シェルターでうっかり中学の部活がバレーボール部だったことを話してしまったからだろう。
大抵のオメガは運動部には所属しないのだそうだ。差別につながるからダメなのだけれど、フェロモンで誘惑したと言われるからだ。発情期が安定して体に合った抑制剤が服用できていれば高校から運動部に入るオメガもいるらしいが、大抵は個人種目らしい。
理由はやっぱり発情期があるからだった。団体競技はやはりアルファがレギュラーを占める率が高いため敬遠されるらしい。
「運動、したいよなぁ」
蒼也は放課後グラウンドで走る生徒たちを横目で見ながら校門を目指した。校門を出たら右に曲がって、横断歩道を渡ってバス停に行く。片側二車線の幹線道路だから、横断歩道が地味に長くて割とだるいのだ。流石に高校生ともなれば手をあげたりはしないし、走る様なこともない。私鉄の駅まで自転車に乗る生徒が割と多いことぐらいだ。
(雨の日は大変だよな)
中学で自転車通学していた蒼也は思う。冬は冷たい雨で手がかじかんでどうにもならないものなのだ。
そういえば姉はどうしているのだろう。蒼也の助成金で通学定期を買っていたのだから、支給されなくなった今、バイトでもしているのだろうか。そう思ったのだけれど、自転車で行けない距離ではないのだ。電車とバスを使う方が遠回りで、自転車の方が早くつく。姉はおそらく自転車で通学したくなかっただけなのだ。高校生活におかしな夢を見ていたのだろう。蒼也がバス停に立った時、校門から自転車に乗って出てきた姉が見えた。
赤い自転車は見覚えがないから、きっと買ってもらったのだろう。残り二年間、頑張ってほしいものである。
「次のバスはぁ 」
スマホに時刻表を入れてあると言うのに、ついついバス停に来れば時刻表を確認してしまう。ヒラヒラとゴールデンウィークの臨時の時刻表がぶら下がっているのが見えた。特別ダイヤらしいから、蒼也は念の為写真に納めた。部活に入ってはいないから、連休中に学校に来ることはないけれど、なにがあるか分からないから念の為だ。
蒼也が時刻表に気を取られていると、一台のワンボックスカーがバス停に停った。けれど時刻表に書かれた注意事項を読むのに気を取られている蒼也は、スライドドアが開いたことなんて気づきもしなかった。いや、音が聞こえていたけれど、関係ない事として認識しなかったのだ。だが、それがいけなかったのだと後から知ったところで今の蒼也を誰が叱れるだろう。
「 っわ」
背後から伸びてきた手が蒼也の口を塞いだ。ご丁寧に布があてがわれて蒼也の声を押し込める。
「オメガちゃん大人しくしてくれよな」
耳元で囁かれた言葉に蒼也は心臓が跳ねた。適当に選んだのではなく、蒼也がオメガだと知ってのことなのだ。ただ、蒼也は高校とシェルターの往復でしか外出はしておらず、買い物は隣接するショッピングモールでしかしていないのだ。蒼也をオメガと認識したというのなら、ショッピングモールでしかないわけで、見た目は派手にはなったが、誰かと関わった記憶など一切ない。
「はい、暗くするからねぇ」
ドラマなんかで見たような、薬を嗅がされて眠らされる展開はなく、目隠しをされて口には先程の布があてられたままだ。オマケに扱いは乱暴ではなく、シートの上に寝かせられた。そこそこ揺れはするものの、ご丁寧に頭の下にはクッションを置いてくれて、蒼也は随分と落ち着いた心持ちで誘拐されていた。
バス停で手にしていたスマホは電源を落とされ、蒼也のカバンの中にしまわれたことは見えていた。よく分からない親切な対応をされて謎だけが増えていく。目隠しをされてからは声をかけられることも無く、ただ黙って車に揺られていた。普段乗りなれているバスより揺れが少ないから、体感でどのくらい走ったのかなんて分からなかった。
止まったところで降ろされるのかと思っていたのに、なぜだか蒼也は抱き抱えられて運ばれた。別に寝ていた訳では無いのに、横抱きにされて運ばれたからだいぶ驚いたのは確かだ。
「はい、オメガちゃん着いたよ」
なんだかとても丁寧に降ろされる。座らされた感じからいって、床ではない。背中に何も当たらないから、椅子とかソファーでもないようだ。蒼也は体のバランスをとるために両手をついた体勢を取ってみた。
「やっぱ、オメガって、綺麗っすね」
あまり耳馴染みのない低い男の声がした。シェルターの小林ぐらいの歳の感じがするが、聞いた事はなかった。蒼也は思わず声のした方を見たけれど、目隠しをされたままだから何も見えない。
「オメガちゃん、見えた方がいいかな?それとも怖いから見えない方がいいのかな?」
そんなことを聞かれたけれど、さっぱり分からないから蒼也は首を傾げた。
「オメガちゃんは、これから俺たちに襲われちゃいます」
そんな宣言を聞いて、蒼也はすぐにはなんの事だか理解できなかった。
「……え?なに?なんて?」
見えないながらもキョロキョロと首を動かせば、誰かの手が蒼也の頭を掴んだ。
「怖がらなくて大丈夫よ。こいつを飲めばオメガちゃんは俺たちのことほしがっちゃうからね」
顎を捕まれ口を強引に開けさせられれば、そこになにかカプセルが入れられて、ペットボトルから水が注がれた。
「うっ、ぐっ」
思わず飲み込んでしまった。
「はい、これでオメガちゃんは発情しちゃって俺たちに足を開いちゃいます」
「えっ?」
何を言ってるんだこいつは。とは思ったけれど、小林から抑制剤があるように発情剤もあるのだとは聞かされていたから、思わず背中が寒くなる。発情剤はそのままの意味で、飲めばオメガの発情期のような状態になる薬だ。ベータが使うものとは違い、発情期があるオメガはどんな粗悪品を飲まされても確実に発情するらしい。ただ、効き目が違うだけだ。
「はーい、じゃあ、制服脱いじゃおうねぇ」
蒼也に薬を飲ませた男の手が、蒼也の制服のネクタイを解こうと触れてきた。一瞬、ネクタイを引っ張られて首が苦しくなったけれど、それはすぐになくなり、首回りが楽になった。
「ってえぇぇ、おいぃぃぃぃっ」
蒼也のネクタイを外し、ボタンに手をかけた途端男が叫んだ。
「な、なんすかっ」
「どうしたんっすか」
周りの男たちもつられて騒ぎ出す。
「おいっ!このネックガード、シェルターのじゃねーかよっ」
「えっ、マジすか」
「げ、マジだ」
「やばいじゃないすか」
男たちがこれだけ騒いでも、誰も何も文句を言ってこないあたり、ここはずい分と隔離された場所なのだろうと蒼也は考えた。だがしかし、どうしてシェルターのネックガードだと言うだけでこんなにも騒いでいるのだろうか?
「ふざけんな、俺は降りる」
「えぇ、兄貴そりゃないっす」
「兄貴が、降りるなら俺も」
「お、俺もっす」
男たちが口々に叫ぶように言うと、バタバタとした足音が聞こえた。
「え?なに?どうなってんの?」
蒼也は恐る恐る手を動かし目隠しの布を外してみた。急に眩しさに襲われて思わずギュッと目をつぶってしまったが、ゆっくりと目を開けると周りには誰もいなかった。
「なに、それ」
完全に肩透かしをくらい、蒼也は呆然と室内を見渡した。ものすごく広くて豪華な部屋で、蒼也はその部屋の真ん中にあるベッドの上に座っていた。と言うより、ベッドしかない部屋だった。
「うわぁ、これって、もしかして ラブホ?」
無駄に豪華な部屋に、大人が五人ぐらい寝られそうな大きなベッド、ガラス張りの向こうに見えるのはジャグジーのついた大きな風呂だ。そうして、やっぱり男たちは誰一人として見当たらない。本当に蒼也を置いて逃げてしまったようだ。
「そんなに、コレが怖いのかな?」
首に巻かれたネックガードを指先で確認する。ロックを解除するには、登録された指を正確に当てる必要がある。それに、発情中はロックが解除出来ない仕組みになっていた。
「あ、スマホ」
確か電源を落とされて蒼也のカバンの中にしまわれたはずだ。部屋の中をもう一度ゆっくりと見渡せば、入口付近に蒼也のカバンと靴が転がっているのが見えた。
「よかった。あった」
立ち上がり、ヨタヨタとしながらカバンの所までたどり着いたけれど、蒼也はそこで力が抜けたように座り込んでしまった。
「あれ?」
上手く力が入らなくて、カバンを開けることが出来ない。蒼也は頑張ってカバンを開けようと試みるのだけれど、どうしても上手くいかない。
「あ、薬 発情剤、飲んだ から?」
発情剤なんて飲んだことがないから分からないけれど、名前からしてなんだか危ない。このまま発情期に突入してしまうのだろうか。急に不安になり蒼也は思わずカバンを抱きしめた。
「ここかっ」
ものすごい勢いで目の前の扉がひらいた。内開きのドアは、蒼也の目の前をものすごい勢いで動いた。
「ひゃぁっ」
驚いて腰が浮いたけれど、それ以上はどうにもならない。蒼也は首を動かして扉を開けた人物を確認した。
「あ……」
走ってきたのか少し荒い息遣いで、少し乱れた髪、けれどそれでもあまりあるほどに整った顔立ちと均整のとれた体躯がスーツの上からでもよく分かる。あの日シェルターで見た弁護士だった。
「きみ、大丈夫かい?」
言うなり蒼也の両肩をがっしりと掴んできて、蒼也の顔を覗き込んできた。
「え、あ、うん。大丈夫、で、す」
そう、答えたものの蒼也はなんだか頭がぼぅっとしてきた。
「そう、どこか痛いところは?」
「な、にも」
「本当に?何もされてないかい?」
「あ 薬、飲んじゃった」
ふわふわとしてきた頭で、蒼也はようやく言葉を発していた。うん、そうだ。男に発情剤を飲まされた。
「薬?どんな?」
「はつ、じょう、ざ、い、って 」
「発情剤?」
弁護士が驚いて大きな声を出したけれど、なんだかとても遠くに聞こえる。
「ああ、大変だ。きみ発情しかけてるね」
弁護士はそうって自分のスーツのジャケットを脱ぎ、蒼也に被せた。
「幸城くん、そこの靴を持ってくれ」
「はい」
弁護士の後ろにもう一人いて、幸城と呼ばれた男が蒼也の靴を拾い上げた。
「急ごう」
蒼也抱えた弁護士は、幸城にそう告げると大股で歩き出した。抱える蒼也を気遣ってか走るようなことはしないらしい。自動ドアの操作も何も幸城がして、弁護士に抱かれた蒼也はふわふわした頭でそれを眺めていた。
「車に乗るよ。心配しないで」
「ふぁい」
頭がぽやぽやしていて、耳に聞こえる声が心地いい。お腹の辺りがなんだか温かくて、今までの発情期の感じとは違っていた。これが薬のせいだと言うのなら、まるで辛くなどなかった。
「大丈夫?顔が赤いね」
「頭、ぼーっとする。 体、あつい」
蒼也がそう答えれば弁護士は安心させるためなのか、蒼也の髪を撫でた。
「大丈夫、このままシェルターに帰るからね」
「ぅ、ん」
カバンを抱きしめていた蒼也は、いつのまにか被せられたジャケットを自分で頭まですっぽりとかぶる様に動かしていた。そうして襟に部分に頬をすりよせ目を閉じる。
「 んっ んん。抑制剤、を、飲もう」
そう言って蒼也の口に錠剤を一つ含ませて、次にペットボトルの口をあてがう。
「抑制剤だよ、飲んで」
言われるままに蒼也は錠剤を飲み込んだ。
「いつものと、ちがぁう」
「緊急用だからね」
「きん、きゅう」
蒼也はそう口にするとニコっと微笑み目を閉じた。ジャケットを握りしめる手はそのままに、コテリと体を預ける。
「ん、な 寝た、のか?」
規則正しい呼吸音を微かに立てて、蒼也は動かなくなった。ネクタイを外されて制服の第一ボタンを外されているから、蒼也の首が晒されている。シェルター特製ネックガードに守られた項は見えないけれど、喉仏のない細い首はオメガ特有のもので、どうにも欲を刺激する。
一度大きく深呼吸して、それから蒼也が頭から被ったジャケットでそっと隠した。シェルターまであと少し。
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