第33話 寝ても覚めても


 映画館のスタッフにもう一本観覧する旨を伝え、誰も通さないよう厳重に注意した。だが、麗子を通してしまったスタッフを誰も攻めることなど出来ないのもまた事実だ。

 城崎はシートに座り、両腕で蒼也の体を抱き抱える。アクション物の映画であるから、派手なアクションシーンの度に随分な効果音がシートに埋め込まれたスピーカーから聞こえてくるが、蒼也が起きる気配は無い。

 この間も着ていたダボダボの上着の隙間から蒼也の首を確認する。シェルター特性のネックガードに表示される数字は安定している。抱き抱える蒼也の心拍数を確認しながら城崎は胸を撫で下ろした。数値に異常が出てたら、シェルター職員の小林が通知を受け取って、蒼也を探しに来ることだろう。嫌がる蒼也に思わずアルファのフェロモンを当ててしまったのは失敗だった。

 蒼也が口にした「嫌いな匂い」とは麗子のものだろう。やたらと城崎の腕に胸を押し付けていたから、そのせいだと推測はできる。だが、麗子に対して無意識に蒼也が威嚇していたのには驚いた。城崎には何ともなかったが、威嚇対象となった麗子は相当に落ち着きが無くなっていた。


「それを意識的に出来れば合格なんだけどなぁ」


 城崎は眠る蒼也の髪を撫でる。蒼也の呼吸は規則正しくて、本当に眠っているだけだった。なれないフェロモンの放出と、城崎のフェロモンで押さえつけられたせいで疲れてしまったのだろう。そんな蒼也だが、時折頭を動かして、城崎に自分を擦り付けるような仕草をする。


「まったく、無防備すぎんだろ   食っちまうぞ」


 耳元で囁くように最後の言葉を告げると、蒼也が小さく身じろぎしてうっすらと目を開けた。


「ゃあだ、食べないで   なくなっちゃう」


 そう言って城崎の顔に手を当てて押しのけるような動きをしたが、指先が城崎の唇にあたりその下にあるエナメル質の前歯に当たった。


「ダメっ、食べないでっ」


 慌てて手を引っ込めて、城崎の腕の中で逃げようと身を縮こませる。しかし、城崎の腕が蒼也の体をしっかりとホールドしているから、まったく蒼也に逃げ場はなかった。


「蒼也くん、寝ぼけてる?」


 城崎は体を丸める蒼也の顔を覗き込んだ。見れば蒼也の目は開いてなくて、閉じていた。どうやら寝ぼけているようで、夢と現実の区別がついていないようである。その証拠に支離滅裂な言葉を発して城崎の腕にしがみついてきた。


「お腹が空いてるのは蒼也くんだろう?」


 城崎がそう言うと、蒼也の目がゆっくりと開いた。しばらくぼんやりとしていたが、ゆっくりと焦点が合うのが分かる。


「   あ」


 目線があった途端に声が出て、直ぐにその瞳がキョロキョロと様子を伺うように動き出す。暗い室内と明るいガラス窓を交互に見遣り、ようやく状況を把握したようだ。


「なんで?」

「ごめんよ、蒼也くん。麗子が来たせいで興奮させてしまったようだ」

「麗子?」

「映画を観ているときに勝手に入ってきた女の人だよ」

「     ふーん」


 少し考えた風な表情を見せたけれど、それほど蒼也は麗子に関心がなかったらしい。


「麗子が入ってきて、蒼也くんから威嚇のフェロモンが出ていたからね。嫌な思いをさせてしまった」

「威嚇のフェロモン?俺、そんなの出してない」


 首をゆるゆると左右に振る蒼也に城崎は内心でため息をついた。やはり無自覚だったのだ。


「無意識に出ていたのかな?  そうだよね。楽しみにしていた映画だったのに、うるさい女の声がしたんだから」

「  ああ、そうかも    なんか、うるさかった」


 蒼也はゆっくりと思い出すように話すと、何度が瞬きをして首をゆっくりと動かした。ガラス窓の向こうにあるスクリーンを観て動きがとまった。


「あれ?このシーン    って?」

「ふふっ、二回目だよ」


 城崎に言われて蒼也はハッとした顔をした。


「え?なんで?俺寝ちゃったの?   うわ、え?オチ言わないで、言わないでよ」


 蒼也は素早く城崎の膝から降りると、隣のシートに座り込んだ。そうして再びスクリーンに目を向ける。その目は真剣で、映画の内容を食い入るように観ていた。


(もしかして記憶がないのか?)


 そんな蒼也の横顔を眺めながら城崎は首を傾げる。もちろん、城崎も映画なんてろくに観ていなかったから内容なんて分からない。だからオチを喋ってしまうなんてことは出来ない。だがしかし、蒼也はずっとシートに座って映画を観ていたはずなのに、覚えていないとはどういうことなのだろう。シェルター専属の弁護士をしているから、色々なオメガと出会い話を聞いてきた。発情期の記憶が曖昧なのはよくあることだが、平常時の記憶が飛んでいる事例はあまり聞いたことがない。可能性としては、まだフェロモンの状態が不安定な蒼也が、意図しないまま威嚇のフェロモンを出してしまったことにより失神してしまったのかもしれない。という事だ。

 若くて体力があったから、嫌な匂いのする部屋から逃げ出すために無理やり体を動かしていたとも考えられる。嫌いなアルファの匂いから遠ざかろうとするのはオメガの防衛本能だ。おそらく蒼也は、麗子が部屋に入ってきた辺りからフェロモンが相当不安定になったいたのだろう。


「うわぁ、すげぇ  全然分からなかった」


 蒼也が割と大きめな声を発したから、城崎は思考から引き戻された。さすがに蒼也のこの声の大きさは一般席ではマナー違反になるだろう。


「ああ、そうだね」


 クライマックスで敵の正体が明かされていた。カツラとメガネを外して自分の正体を明かす敵は、国民の誰もが知っている有名女優だった。作中何度も声を聞いていたはずなのに気づかなかったと言うわけだ。

 城崎も黙ってスクリーンを観ることにした。正体を明かした敵と対峙して、そうして主人公が追い詰めている。敵は最後の仕掛けを見破られて自暴自棄にも近い状態で捕まった。どうやら主人公は刑事だっらしい。城崎はエンディングロールでようやく知った。


「テレビ放送の時からずっと見てたんだ。こんなめちゃくちゃな刑事が、本当にいたら大変だよな」

「そうだね。法廷ではお目にかからないかな」


 最後に表示された制作会社を見て城崎はようやく分かった。テレビで人気のシリーズ物が映画された作品だった。派手なアクションと謎解きをする知的な姿のギャップが人気なのだ。その手の作品を蒼也が好きだとはなかなかいいことを聞いたと思う。


「楽しかった。ありがとう」


 約2時間ほど前に聞いたのとは違う口調で言われれば、ようやく重りが解き放たれた。


「それは良かった。私も久しぶりに楽しんだよ。どうかな?この後食事でも。お腹空いただろう?」

「  あ、うん」


 ポップコーンを沢山食べたのは随分前だ。けれど時間が微妙だった。


「カフェでパンケーキとか、おやつ代わりの食事なら夕飯に響かないと思うよ」

「 じゃ、あ、それで」


 蒼也はその後、芝生の広場が見えるカフェでゆっくりとパンケーキを堪能した。もちろん城崎の奢りで。連休だから、芝生の広場ではイベントが開催されたいて、なかなかの賑わいだった。そのイベントを上から眺める人影がひとつ。


「何よアレ  ガキじゃないの」


 ネイルが施された長い爪が強く手すりを掴んだ。

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