第24話 それは想定の範囲外です


 城崎から聞かされた報告に、蒼也はただただ頭を上下させるだけだった。何しろ蒼也は自分を拉致した人たちを見ていないのだ。だからどんな特徴なのかもわからないし、人数だって知らない。覚えているのは声と、最初に自分をさらった人のたくましい腕だ。まだ高校生になって日も浅く、誕生日が来ていないからまだ十五歳で、しかもオメガとして目覚めたばかりのひ弱な体は、あの瞬間、紙のように軽く車の中に引き込まれた。抵抗なんてしようと考える間もなく、スマホを取り上げられて目隠しされた。

 ドラマみたいなんて思ったのは、恐怖からの現実逃避だったのだと思う。人は本気で恐怖すると笑ってしまうらしいから、あの時蒼也は笑っていたのかもしれない。ドラマみたいだすげー、なんて考えて必死に面白いことにしようとしていたのかもしれない。

 そう思うようになったのは、医師にカウンセリングを受けたから。なし崩し的に発情期に入ってしまい、心と体のバランスがズレちゃったかもね。なんて医師は言いながら蒼也にアレコレ説明してくれた。シェルターのオメガはベータからの反感を買いやすい。と言われていて、受験や就職の絡みで逆恨みが大半だと聞かされた。

 で、今回は亜希子の一方的な逆恨み。シェルターのオメガを一方的に見下して、自分と城崎の仲を引き裂いた。と思い込んだ。ということだ。


「まったくね、私は佐々木くんのことをそんなふうに見てはいなかったんだよ」


 柔らかい声で城崎が話をする。


「シェルター専属の弁護士だから、とにかく私の第一はオメガの皆さんの安全であり、幸せなんだ」


 言われて蒼也はまた首を縦に振る。もう、壊れた首振り人形みたいに見えたとしても、この際構わないとさえ思う。


「それに、まぁ、私はアルファだから、こういう事を言うと誤解されてしまうかもしれないけれど、つまり、まぁ、私の恋愛対象はオメガなんだよ」

「            はぁ」


 油断していたところでバッチリ目が合って、それで微笑まれたらなんて答えたらいいのか分からなくなる。いや俺男だし、オメガって言っても全然まだまだのお子様なんだけど。そう思っている蒼也に向けて、それでも城崎は極上の笑顔を向けてくる。いや、まって、俺はなんて答えたらいいんだろう?なんて思っているのに付き添いの小林はとっても無表情で、蒼也の事を庇ってなんかくれない。


「あ、そうそう」


 と、思っていたところで小林が突然声を上げ、ポンっと手を叩いた。


「オメガで思い出しました。ご連絡したと思いますが、あの後蒼也くん発情期に入ってしまいましてね。お借りしていた城崎さんのジャケットに粗相をしてしまったんですよ」


 おいおい、粗相って犬や猫じゃあるまいし、もうちょっと言い方と言うものがあるだろう。蒼也は内心そう思ったのだけれど、小林がそんなことを話したら、以外にも城崎の表情が変わった。それをガラス張りの面談室を観葉植物の陰に隠れて見守っていた光汰は見逃さなかった。


「あっ、あのっ」


 今がその時だと蒼也は大慌てで紙袋を差し出した。昨夜洗濯したジャケットが入っている。この紙袋は洗濯ネットを買う時に「そのまま返すのはダメだよ」なんて誰かが言ったからだ。まぁ百均で買ったから、税込百十円だ。洗剤と洗濯ネットと紙袋合わせても千円にも満たない。それでも、ぐちゃぐちゃのまま返すより、黙って捨てるよりはよっぽどマシだ。

 それにしたって小林の話題の転嫁の仕方は酷いと思う。城崎の会話を思いっきりぶった切っただけじゃないか。


「か、借りていたジャケットなんですけどっ」


 蒼也は頭の中で必死に考えてきたセリフを思い出す。生意気なオメガと思われないように、いかにも学生らしい年下のあざといセリフを必死に考えておいたのだ。ネットで調べて自分が言っても恥ずかしくないセリフを厳選したと言うのに、いざとなるとそのセリフが口からまったく出てこない。


「ああ、小林さんから聞いているよ」


 そう言って、城崎はまた極上の笑顔を蒼也に向ける。まだまだアルファに免疫のない蒼也にとってはものすごい毒だ。


「その、汚しちゃった、から  洗ってみたんです、けど」

「洗った?」


 蒼也が洗ったと言ったら分かりやすく城崎が反応した。その少し落胆したような表情は、光汰の目にはバッチリ見えていた。


「だ、だだだ、って、汚いままじゃ返せないし、捨てたら怒られそうだし、だ、だって、これ高そうだし」


 結局蒼也が必死に考え出したセリフは、頭からどこかに消えてしまった。だからそう、蒼也は本音をダダ漏れにしているだけだ。


「そう、だね。まぁ、高いと言えば高いかな」


 城崎は苦笑しながらも、蒼也の手から紙袋を受け取った。受け取りながら中身を確認なんてないところがアルファだ。ただ、アルファだから匂いは嗅いだかもしれない。


「そ、の、弁償、とか、する、の、俺」


 上目遣いに蒼也が聞けば、城崎がさも面白そうに笑いだした。


「ぃや、ごめん」


 突然笑い出した城崎に蒼也が驚くと、ひとしきり笑った後に城崎が謝った。その様子を小林はただ黙って見ている。小林からすれば、あんなことがあっても城崎は、シェルターにとって大切な専属弁護士なのだ。下手に口を出して機嫌を損ねるわけにはいかない。


「弁償なんて、そんなこと必要ないよ。むしろ、解雇したとは言え、元は私の事務所のアシスタントが君に迷惑をかけたのだから、お詫びをしなくちゃいけないと考えていたんだよ」


 サラッとそんなことを言って、自分の顎の下で両の手の指を組んでポーズを決めている。ほんの少し首を傾げているのも様になって、本当にアルファは狡いと思ってしまう。


「お、わび?」


 言われた意味がわからない蒼也が本気で首を傾げる。


「君に怖い思いをさせてしまったし、そのせいで発情期の周期を狂わせてしまっただろう?だからそう、お詫びをさせて欲しいんだけど、ダメかな?」


 真正面から見つめられて、そんなことを言われてしまい、蒼也はなんて答えたらいいのか分からなくて、今度こそ本気で小林に助けを求めた。首を完全に曲げて小林を見たけれど、目が合った小林はなんとも曖昧な微笑みをして、その後少し頬が引きつったような感じの顔になり、そうして口を開いた。


「ご迷惑じゃなければいいんじゃないかな?」

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