第21話 失意と喪失と待て
「あれで大丈夫なんですかね」
事務所に戻るにあたり、ハンドルを再び握ったのは幸城だ。一応幸城は城崎の元で弁護士になるための修行をしている身で、優秀なアルファということになっている。
「ま、若干は疑っているみてぇだけどもな」
後部座席で足を組み、とても品行方正な弁護士先生には思えない口の利き方をする城崎だが、幸城は別段驚きもしない。
「あっさり解決しすぎなんすよ。もうちょっとこう、オメガちゃんを泣かせるとか、そういう演出あった方が良かったんじゃないすか?」
「馬鹿言え」
言うなり城崎が運転席の背もたれを蹴った。
「俺のオメガに何させる気なんだよ」
「何もさせてないじゃないすか。だいたい、佐々木の雇ったチンピラベータは親父の組のモンすからねぇ」
「だからだろうが、そんな奴らが俺のオメガを泣かすなんざ許せるわけねぇだろーが」
そう言い放つ城崎は怒っているわけではなく、口元は軽く弧を描いていた。
「それにしても、見たか?薬飲まされたと信じきって俺のフェロモンに当てられてた顔」
「ええ、安心してください。見てませんから」
やや食い気味に幸城が返事をする。
「ちゃんとバックミラーを明後日の方向にして運転してましたからね」
言いながら幸城はこれみよがしにバックミラーを手で直す。角度を合わせれば、そこには後部座席でふんぞり帰るように座る城崎の姿が映った。時折対向車のヘッドライトに照らされて、ワイシャツ姿はなかなかに眩しいものだ。
「しっかし、可愛いよなぁ。ビタミン剤だってのに、信じて飲んじまうんだから」
「よく言いますよ。そもそも発情剤が空のカプセルだったんでしょ」
幸城が呆れた声で言い放つ。そもそも、亜希子の雇ったチンピラベータは幸城の父親の組の者で、幸城の指示の元、蒼也に中身の入っていないカプセル薬を発情剤だと言って飲ませたのだ。それを信じた蒼也は、拘束から逃れた安堵から全身の力が抜けている事に気づかず、更に部屋に飛び込んできた城崎があえてアルファのフェロモンを発したことに気づくことなく、そのフェロモンに反応して発情しかけたのだ。
つまり、蒼也本人はまるで気づいてはいなかったけれど、城崎のフェロモンは蒼也にとって心地よく発情を促していたのだ。そのため城崎に抱きしめられた蒼也の頭はぽやぽやしてしまい、体が熱くなりお腹の辺りが疼いたのだ。けれど、アルファのフェロモンを初めてまともに嗅いだから、経験のない蒼也は薬を飲んだせいだと信じきってしまった。
オマケに、蒼也を保護してくれた城崎は優しかった。動けなくなった蒼也を抱きしめて安心させてくれた。それがアルファの番を思う気持ちであるとは知らず、蒼也はそれに身を委ねたのだ。
その証拠に、城崎の匂いの染み付いたスーツのジャケットを頭から被り眠ってしまった。その匂いから離れることを本能が拒んだからだ。蒼也はスマホの入った自分のカバンより、アルファの城崎の匂いのするジャケットを手放したくなかったのだ。
「俺の匂いのついたジャケットを頭から被って可愛かったなぁ」
体躯のいいアルファである城崎のジャケットは、まだ高校生になったばかりのオメガの蒼也にとってはとても大きかったから、顔だけ出した状態の蒼也は赤子のようでとても可愛らしかった。それを一人堪能出来たから、城崎はとても満足していた。
ただ、何となく感ずいたらしい小林がクリーニングに出して返すなどと言い出したのはいただけない。
「クリーニングに出すつもりみたいですね」
小林の言ったことをちゃんと覚えていた幸城が、面白そうにそう言うと、すかさず城崎が運転席を、後ろから蹴った。
「余計なこと言いやがって」
「言ったのは俺じゃないですよ」
バックミラー越しに城崎を見れば、唇の片方だけを上げて笑っているのが見える。なんにしても今回の仕事は成功したのだ。勘違いを起こした馬鹿なベータ女を排除すると言う至極簡単な仕事だった。こちらがお膳立てするまでもなく、自分からことを起こし、それを元とし破滅へと突き進んで行ってくれたのだ。
おかげで、依頼主である佐々木氏は回りから同情されたうえに、番との間の子である隆成に期待が集まる結果となった。この界隈を制するアルファたちは、ベータとの間に子は成さない方がいいとまで言い出すようになってしまったから、それはそれでまた数少ないシェルターのオメガが狙われる結果になってしまった。
「まぁ、おかげで俺のオメガって確認もとれたしなぁ」
シートの上をペットボトルが転がった。それ蒼也に薬を飲ませた時のものだ。城崎はそれを拾い上げると、キャップを外して口元まで運ぶと手を止めた。ほんのわずか、本当に微かに蒼也のオメガのフェロモンが香る。
「たくよぉ、高校生とはなぁ」
そう悪態をついて残りの水を飲み干した。
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