第20話 覚醒と微睡みと


 色々と事務処理をしていると、小林の机の上にあるタブレットがチカチカと点滅した。何かのお知らせが来たらしく、小林は慌ててタブレットの画面ロックを解除する。


「んん、数値異常……ってぇ」


 届いた通知の内容を見て、小林は慌てて立ち上がった。


「小林さん、どーしましたかぁ」


 時間的に既に夜勤タイムで、常勤の職員は帰宅したあとだ。小林は、担当の蒼也の事故の後始末をしながら、そのまま泊まりの予定である。シェルターに来てまだ半年程度の蒼也は、発情期の間隔が安定しおらず要観察の対象者でもある。


「蒼也くんの数値が上昇してる」


 タブレットを握りしめ、小林は蒼也を寝かせてある処置室へと急いだ。


「蒼也くん?」


 職員の名札をかざしてロックを解除して入室すると、室内は暗かった。非常灯が微かな明るさで足元だけを照らしている。


「蒼也くん?」


 もう一度呼びかけてみるけれど、返事はない。蒼也は相変わらず城崎のジャケットに包まれた状態で寝ていた。だが、よく見ればほんの少しだけ動いている。頭が小さく揺れていて、非常灯の鈍い灯りが蒼也の耳についたピアスに反射していた。

 近づいてよく見れば、蒼也は城崎のジャケットに頬擦りをするような行動をとっていた。目を閉じたままだから、もしかすると眠っているのかもしれないけれど、首に巻かれたネックガードを見ればそこに表示された数値はゆっくりと上昇している。


「くそっ、アルファの匂いか」


 ベータである小林にはさっぱり分からないけれど、アルファである城崎のジャケットにはアルファのフェロモンが相当着いているのだろう。だから、不安定で不確定な蒼也は反応してしまったのだ。何しろ人生初の拉致と、強姦未遂を経験して、そこをアルファに助けられたのだ。包み込むようなアルファのフェロモンにさぞ安堵したことだろう。


「蒼也くん、これ返して」


 眠っているだろう蒼也に声をかけ、城崎のジャケットを取り上げようとしたけれど、蒼也からの抵抗が凄かった。イヤイヤをするように頭を振り、ジャケットを握りしめる指先に力が入る。


「ああ、数値が上がっていく」


 そうやって抵抗する蒼也は、城崎のジャケットを取られまいと必死だ。体を丸めるようにして、城崎のジャケットを自分の体の下に隠そうとするのだ。


「ああ、ごめんね。蒼也くんそれが大切なんだね」


 小林は慌てて手を離した。発情状態のオメガから、アルファのものを取り上げるのは危険だ。見たことはないがオメガの巣作りと言う行動もあるぐらいに、オメガはアルファの匂いの着いたものを集める習性があるのだ。


「困ったな、もう」


 したかなく小林は部屋にある非常ボタンを押した。


 『どうしましたか』

「すみません、今日経過観察になった石川蒼也ですが、数値が上昇傾向にあり発情期に入りそうです」

 『はーい、了解しました。隔離棟にベッド毎運んでくれる?』

「分かりました」


 小林は通話を終えるともう一度蒼也を見た。蒼也は相変わらず目を閉じていて、城崎のジャケットに自分の体を擦り付けるように動いていた。よく見れば、項を押し付けるようにしている。


「…………嘘でしょ」


 シェルターに勤務して長いから、さすがに数々のオメガの行動を見ては来ている。アルファの執着の強さもさることながら、特定の匂いを求めるオメガもなかなかなものだった。

 だから、まだオメガとして覚醒して日の浅い蒼也が、特定の匂いを求めるとは思ってもいなかったし、まさか無意識にマーキング行為を行うとは思ってもいなかった。


「   ふぅ、蒼也くん、ベッド動かすからね」


 小林はベッドのロックを外し、蒼也を乗せたままベッドを移動し始めた。行先は隔離棟だ。シェルター所属では無いオメガが発情期を過ごすための部屋がある。

 蒼也はシェルターに自室があるものの、この状態で部屋に戻すのは困難で、経過観察が必要であったから医師と看護師の監視のある特別棟預かりとなったのだ。


「蒼也くん、少しの間揺れるからね」


 落下防止の柵を出し、蒼也に声をかけながら移動をすれば、静かな廊下にタイヤの音が響き渡る。蒼也の数値の上昇は緩やかで特に問題なく特別棟まで運ぶことが出来た。


「あらあら、蒼也くんはこのアルファの匂いがすきなんだぁ」


 当直の看護師はベッドの上の蒼也を見るなりそう言った。隔離棟では見慣れた光景なのだろう。


「はーい、お預かりしますねぇ」


 隔離棟の入口まで来れば、当直の看護師がすぐにやってきて、そのまま蒼也をベッド毎中に運び込んでいく。


「じゃあ、学校への連絡よろしくお願いしますね」

「はい」


 タブレットで短い引き継ぎを行うと、小林はすぐに事務所へと戻った。そうして蒼也の事件についての事後報告を書き上げると、ようやくパソコンの電源を落とした。


「ああ、なんかヤダ」


 机に突っ伏した状態で思わず愚痴をこぼせば、顔の横にチューハイの缶が置かれた。


「お疲れ様。これ飲んで寝なよぉ」

「はは、ありがとう」


 小林は蓋を開けると勢いよく中身を喉に流し込んだ。アルコールの入った炭酸が程よく喉を刺激する。


「くぅぅ、当直室はいりまっす」


 チューハイの缶を片手に小林は当直室へと消えていった。こんな気持ちになったのは初めて担当を持った時以来だった。

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