第49話 知りたっかた事と知りたくなかった事と

「寄付金?」


 夏休み、二世帯住宅に建て替えられてまだ半年程度しかたっていない斉川家に、彩音の通う高校のOBだという中年男性が分厚い名簿をもってやってきた。祖父母の家の玄関先で話し込んでいるのだが、祖母が仕切りの扉を開けて彩音の両親を呼んだのだ。きちんと扉を閉めればいいのに、彩音の両親は扉を開けたまま祖父母の家に入ってしまった。だから、リビングでくつろいでいた彩音の耳に大人たちの会話が嫌でも聞こえてきてしまったのだ。


「なんの寄付金なんだろ?」


 行儀が悪いこととわかりつつtも、彩音は二世帯住宅の仕切りの扉に近づいた。夏だから、部活動に対する寄付金かと思ったら、秋に行われる文化祭の寄付金の話だった。斉川家が二世帯に建て替えられたことを知ったから、斉川家の誰が同居しているのか確認に来たようだった。


「商売しているわけじゃないからね。強制じゃないんだけどさ」

「うちはベータだからなぁ」

「そうそう、だから気持ちなんだよ」

「これ読んでさ、ほら、今はネットでできちまうだろ?だから、俺たちは話しに来ただけってことで、な?」

「はい。確かに受け取りました」

「な?強制じゃないからな?わかるよな?俺たちはベータだから。な?」


 そんなやり取りが聞こえて、ちょっとした挨拶が聞こえたから、彩音は慌ててリビングに戻った。決して盗み聞きをしたわけではない。そう自分に言い聞かせて普段通りにソファーに座りなおした。さっきまで見ていた番組は終わっていて、ドキュメンタリー番組に変わっていた。ネット配信の料理番組に切り替えると、かき氷のシロップを果物から作っているところで、煮詰められた鮮やかな果物に目を奪われた。


「あら素敵ねぇ」


 祖父母の家から戻ってきた母親がテレビ画面を見て率直な感想を口にした。彩音の両親はベータだ。隣に住む祖父母もベータ。曽祖父がアルファだったらしく、彩音はアルファの隔世遺伝だと言われている。ベータ家庭にアルファとして生まれた自分を彩音は誇らしく思っているのだ。世間からは『トンビが鷹を産んだ』とか言われているが、曽祖父がアルファだったのだから、隔世とはいえ立派な遺伝なのだ。彩音は自分のことを誇らしく思っていた。両親があの一之瀬家が代々卒業しているという高校出身だと知って、自分も通いたいと切望したのは中学に入ってからだった。それから彩音の希望を聞いて、祖父母と両親が二世帯住宅に建て替えを実行してくれたのだ。

 学校で習ったとおり、大きなショッピングモールがあり、シェルターがある。ショッピングモールの外壁は支援を担当している五大名家の二家の色で染められていた。それを見て心の中で静かに興奮し、自分はここで一之瀬様のために尽くすのが運命なのだと納得したのだ。だからこそ、祖父母と両親が二世帯住宅に建て替えをするのは必然だと感じたから感謝の念は特に抱かなかった。祖父母はアルファの彩音を自慢の孫として、ご近所に話しているのだから。


「文化祭でこういうの売りたいなぁ」


 文化祭でカフェをすると説明は聞いていたので、こういったおしゃれなものを提供したいと思ったのだ。


「あら、だめよぉ」


 それなのに、母親が当たり前のように否定してきた。


「え?なんで?なんでお母さんがダメとか言うわけ?」


 あの高校に通っているのは彩音で、彩音のクラスはカフェをするわけで、彩音は一組のアルファなのに。クラスの実行委員はベータに限るという規定があったため、実行委員にはなれなかったけれど、クラス内では女子のアルファとして発言権はあるのだ。


「カフェで提供するメニューは二階堂様が提案する決まりだからよ」


 なんてことの内容に母親がさらっというものだから、彩音の顔が引きっつた。


「二学期になったら言われるわよ。衣装も材料も二階堂様から支給されるって」


 そんなことを言いながら、母親はグラスにお茶を入れてリビングにやってきた。その後から父親が封筒をもって入ってくる。彩音の視線は父親の持つ封筒にくぎ付けになった。あの封筒にあの話の書類が入っているのだ。


「冷たい物でも飲みましょう」


 母親がそう言ってソファーに座った父親の前にグラスを置いた。彩音は自分の分のグラスをコースターと一緒に受け取るとりながら、父親の手元に視線を向けた。父親は、グラスに入った冷えたお茶を一口飲んでから封筒を開けた。もとから封筒には封はされていなかったようで、すんなり取り出された用紙を開いて読みだした。隣に座る母親と確認しあい、おもむろにスマホを片手に操作を始めたのだ。


「これが俺の分で、っと、これが母さんの分だな。旧姓を入れた方がいいんだったな」

「ええ、そうよ。旧姓を入れて頂戴」


 夫婦の会話は特に声を潜めていないから、彩音の耳にはっきりと聞こえた。もちろん、両親だって隠し事のつもりがないから、用紙はテーブルの上に広げられている。だから、彩音が見ようと思えばいくらだって見ることができるのだ。グラスをテーブルに置きながら、父親に向けておかれている用紙には、『文化祭寄付金についてのおしらせ』と見出しの文字が書かれていた。季節の挨拶に始まり、説明が書かれていて、最後に振込先が記載されていた。一口千円と言うことが書かれているだけで、それ以上の金額については何も書かれてはいなかった。文面から読み取れるのは、最低額の寄付金が千円と言うことだけだった。

 さすがに振り込みしたばかりの両親に金額を聞くことがはばかられて、彩音はそれとなく先ほどの母親との会話を切り出した。


「ねえ、お母さん。二階堂様がメニューを提案するってどういうことなの?」


 そう言って両親の方を見れば、二人ともニコニコととてもいい笑顔を彩音に向けてきた。


「一年一組はね、毎年六組と合同でカフェをするの。メイドと執事のコスプレをするのよ。その衣装も材料も全部二階堂様が用意してくださるのよ。カフェで提供するお菓子は六組の生徒がシェルターで二階堂様の指示に元作ってくるの。すっごくおいしいのよ。お父さんもお母さんもね、それに参加できたことが自慢なのよ。だから、彩音もするんだと思うと、嬉しくて仕方がないのよねぇ」


 母親がなぜかうっとりとした顔でそう言った。話しぶりからすると、二人はベータでありながら、一年一組に在籍できた優秀なベータであったらしい。


「さっき来たOBOGの人たちにちょっとだけ優越感があったのは内緒だぞ。彩音」


 そんなことをさらりと言ってしまう父親に内心呆れつつも、やはりあの高校で一年一組に在籍できることはある種ステータスなのだと彩音は確信したのだった。が、


「それとね、まだ聞いていなかったのならごめんなさいなんだけど、衣装はね、男子がメイドで女子が執事なのよ」


 母親がそんなことを楽しそうに言うものだから、彩音は思わず父親の顔を見てしまった。


「おいおい、その時は父さんだって十六だよ。この顔でメイドの格好をしたんじゃないって」


 困ったような顔をして父親に言われれば、彩音の頭の中のメイド姿の父親がかき消される。代わりに、金髪のオメガ男子が浮かんでしまった。色白で、綺麗な顔をしていた。ユニセックスの制服が推奨される中、細身のズボンを制服に着るような男オメガだ。クラスの女子たちはアルファベータ問わず「観賞用に最高」ともてはやしている存在だ。


「これは一之瀬様の提案らしくて、当時在校生だった一之瀬様自らメイドの格好をしたそうなのよ」


 そんなことをいって宙を見つめる母親は、どこか恋する乙女のような表情をしていた。



「第二次性に関係なく男子はメイド、女子は執事として衣装を着るのは差別や偏見をなくしたいという一之瀬様の考えなんだそうだよ。だから、彩音もそのお気持ちを立派に引き継いでくれよな」


 父親はとてもうれしそうにそう言って、テーブルの上に置いた用紙を丁寧に封筒に戻したのだった。

 あくる日、両親が仕事に行って夏休みの部活動から帰ってきた彩音を祖母が玄関先で引き留めた。


「彩音ちゃん、おばあちゃんを助けて頂戴」


 そう言って祖父母宅のリビングに入ると、渡されたのは昨日父親が持っていた封筒だった。


「寄付金を銀行に振り込みたいんだけど、おばあちゃんATMの操作が苦手なのよ。スマホでできるって聞いたんだけど、おばあちゃん一人でするのが怖くって」


 去年までは現金回収もしていた寄付金が、今年から振り込み一本になってしまったのだという。スマホの操作に慣れてはいるけれど、お金を振り込むという行為が祖母には怖いことらしい。


「いいよ、一緒に確認してあげる」


 彩音がそう返事をすると、祖母は嬉しそうに笑って、スマホを操作し始めた。銀行のアプリを開き、振込先の口座を入力していく。この辺りの操作は何の問題もないようで、祖母は必要事項を入力し終えると、おもむろに彩音に画面を見せてきた。


「確認して頂戴。これはおじいちゃんの分なの」


 言われて画面を確認した彩音は、衝撃的な内容を目にしてしまった。

 送金金額が千円なのだ。

 これは一口千円と書かれていた最低金額の寄付金である。彩音は驚きすぎてすぐには声が出なかった。


「振込先、あってるわよね?」


 祖母に聞かれて慌てて返事をすると、祖母は嬉しそうに送信してしまった。


「次はね、おばあちゃんの分よ。これはね、おばあちゃんの旧姓なの」


 初めて知った祖母の旧姓に少し感動しつつも、やはり振り込み婚額が千円なことに彩音は驚きを隠しきれなかった。無事二人分の振り込みができた祖母は、嬉しそうにお昼ご飯の支度をするといってキッチンに行ってしまった。手伝いをしようと慌てて立ち上がると、「着替えてからね」とやんわり言われてしまったため、慌てて自宅に戻り部屋着になって祖父母宅のキッチンに入る。祖母はそばをゆでるために鍋でお湯を沸かしていた。付け合わせは天ぷららしく、野菜を切って油の用意もしていた。


「彩音ちゃん、おそばをお願いね。おばあちゃんは天ぷらを揚げるから」


 そんなことを言われたので、祖母の隣に立ち、鍋の湯加減を確認しつつ口を開いた。


「おばあちゃん、なんで寄付金千円なの?」


 彩音の質問を聞いて、祖母は顔をあげ、なんてことの内容にさらりと答えた。


「ベータだからね」


 反論は認めない。

 祖母の言い方に彩音は二の句が告げなかった。

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