明星は宵か明けか

 コテージでの卒業パーティーは夕方からだった。

 毎年の恒例行事であるから、アルファの参加率は多い。バーベキュー大会と違って室内だし、軽食が並んでいるから会話もしやすい。ただ、主役が未成年だからコテージなのにアルコールが出ない。おまけにオメガたちは全員高校の制服を着ているのだ。


「卒業しても僕たち友だちだよね」


 今更ながらに光汰がそんなこと言ってきた。


「うん。当り前じゃないか」

「よかった」


 光汰がぎゅっと蒼也を抱きしめてきた。ここに来た時、光汰は蒼也にとって頼れる兄貴的存在だった。卒業する今ではかけがえのない友だちだ。


「じゃあ、俺行くね」


 光汰の腕から力が抜けて、ゆっくりと二人の距離が離れた。光汰の後ろではにぎやかな声が聞こえる。三年間、どんなことがあっても自分を受け入れてくれた仲間たちだ。優しい職員の皆さんには、卒業式に行く前にたくさんお礼を言った。

 コテージの自動ドアを出ると、あの日自転車をこいで一人でやってきた景色があった。まだ浅い春の夜だから、あの冬の日にどこか似ていた。あの日、さまよう蒼也に声をかけてきたのはアルファだった。


「蒼也」


 今日、蒼也の名前を呼ぶのもアルファだ。


「っ、仁」


 卒業したら名前で呼び合う。そんな約束をしていた。


「いいこ。さあ、乗って」


 蒼也がこれから向かうのは両親との卒業祝いをするホテルだ。ホテルで卒業祝いとか、いかにもオメガっぽくてなんだかむず痒い。そうはおもっても、それはアルファ様の見栄なので、お断わりなんてせずにありがたくいただいておく。もちろん、一番喜んでいるのは姉だ。

 景色のいい個室に通され、綺麗な夜景なんかを眺めながら食べるのはフランス料理だった。まったく読める気のしないメニュー表は城崎が解説をしてくれた。父親も母親も飲みなれない赤ワインで酔っ払ったらしく、泣きながら城崎に蒼也をお願いしていた。


「まだ嫁に行くわけじゃない」


 蒼也は何回かそういっては頬を膨らませていた。一つ上の姉は飲めないことを悔しがっていたが、SNSに上げるのだと言ってやたらと写真を撮っていた。

 城崎が、蒼也の両親と姉の分まで部屋をとっていて、酒だけでなく雰囲気にまで酔っ払った両親は、ホテルのスタッフの手を借りて部屋に移動した。部屋の鍵を受け取っている最中、姉が蒼也の手に何かを握らせてきた。


「お母さんすっかり忘れてたから、はい、これ飲んで」


 アルミシートに入った粒の大きな薬はなんだか見覚えがあった。


「卒業するんでしょ」


 耳元で姉がそんなことを言ってきたから、蒼也の顔が一気に赤くなった。


「な、ね、ねーちゃんのくせに」

「姉だからこそ、でしょ」


 そう言いながら姉はちらと後ろを見た。鍵を受け取った城崎がやってくのが見える。


「ほら、早く」


 せかされて慌ててアルミシートから薬を取り出しかみ砕いて飲み込んだ。ごみは姉が受け取ってくれた。


「亜弓さんだけシングルになってしまって部屋が少しせまいんだ」

「とんでもない。こんな大きなホテルに泊まれるだけでありがたいことです」


 姉は城崎から鍵を受け取ると、お辞儀をしてさっさとエレベーターホールに行ってしまった。その背中を見送る蒼也の顔を城崎がのぞき込む。


「お姉さんと一緒が良かったかな?」


 そんなことを言われて、蒼也の上がっていた血が一気に下がった気がした。


「は?何言ってんの」


 じろりと城崎をにらみつける蒼也はまだ制服姿だ。時間的にこんなところにいるとそろそろ目立つ。


「俺たちも休もうか?」


 そう言って城崎が手を差し出すから、蒼也は迷わずにその手を取った。


「すげぇ」


 エレベーターの表示する階数を見て、蒼也は思わずつぶやいた。食事をしたレストランもなかなかの階数だったけど、泊まる部屋もなかなかの階数になっている。これはもしかしなくても、ものすごくいい部屋にお泊りなのではないのだろうか。


「ご家族とは違う棟になるからね」


 城崎がサラッとそんなことを言うので、蒼也は思わず城崎を見た。


「このホテルは全部で4つの棟からできているんだ。食事をしたレストランはいわゆるビジネス棟になるかな、会議室とかそういった設備もあるホテルだから」

「ニュースで見たかも、海外から来た人が商談に使った。って」


 蒼也は何となく見ていたニュースで、このホテルが海外との商談に使われるほどのホテルだと聞いていた。もちろん、そんなニュースを見たきっかけは、「海外のアルファってかっこいい」なんて周りが騒いでいたからだ。


「この棟が一番新しいエリア」


 最上階について、城崎が蒼也を案内してくれた。本来ならコンシェルジュがいるらしいのだが、オメガをエスコートするアルファの時は、呼ばれるまで出てくることはないそうだ。

 城崎が開けた大きな扉に鍵はついていなかった。なぜなら、この部屋の鍵を持っていないとこの階にエレベーターが止まらない仕組みになっているからだった。スタッフが使うのは違うエレベーターらしい。

 大きなリビングには10人以上は座れそうなソファーがあって、ダイニングテーブルもものすごく大きかった。なぜかキッチンが2個もあって、グランドピアノまで置かれていた。それだけでも驚きなのに、さらにプールまでついていて、水が張られているうえに、ライトアップまでされていた。


「なにこれ」


 あまりのことに蒼也の足が止まると、城崎は面白そうに笑った。


「メインはこっちだ」


 ひかれるままに歩いたけれど、よくよく考えたら靴を履いたままだ。泥汚れはついていないけれど、こんなピカピカな床を歩くのは気が引ける。おまけに、メインの寝室の床は毛足の長い絨毯だった。足音なんて立ちようがなくて、それでも緊張のあまり歩き方が不自然になってしまう。だって、部屋の中央に置かれているベッドは、見たこともないような大きさで、おまけにわけのわからない数の枕だかクッションなんかが置かれていた。天井にはプロジェクターがついているから、テレビは白い大きな壁に映すのだろう。


「ひっろっ」


 口からこぼれた感想はそれだった。とても寝るだけの空間とは思えないほどに、無駄に広かった。


「うわ、夜景がやばい」


 レストランで姉が散々写真を撮っていたが、この部屋からの夜景もまた違っていた。きらきらとした都心の明かりが今にも手に届きそうな距離に見える。けれど実際は大きなガラス窓の向こうに広がる夜景である。


「気に入ってくれたかな」


 ガラス窓に張り付くように眺めていた蒼也の背後に、城崎が立っていた。ほんの少しだけ離れているのがなんとも城崎らしかった。


「恋人に、思い出をプレゼントするって洒落てるだろ?」


 城崎のそんなセリフをガラス越しに聞いた。

 蒼也の目には、暗い夜空を背景にした大きな窓ガラスが、鏡のようになって城崎の姿を映し出しているだけで、その姿は半分夜景に隠れていた。そんな不確かな姿をした恋人に、蒼也はほんの少しだけ笑みを向けると、噛みつくようにキスをした。

 この三年ほどで、いろいろ恋人として過ごしてきたけれど、蒼也から仕掛けたことはなかった。年上のアルファは、想像以上に手練れだった。ようやく発情期を迎え、オメガとして生き始めたばかりのひよっこがどうこうできるわけがなかったのだ。

 だが、あれこれと教わることはたくさんあった。シェルターのオメガたちからも色々な知識を教えられたけれど、アルファと共に行動することで、世間がオメガに抱いていることや、課せられる『そうあるべき』ということがわかったのだ。

 だから、アルファを立てなくてはならないときは、そうあるようにふるまった。そうすると、穏やかなアルファのフェロモンが包み込んでくれるのだった。でも、蒼也がなりたいのは強いオメガである。それがどのような姿なのか、何となくだが形が定まってきた気はする。


「卒業、させてくれるんだよな」

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