第27話 思い出の想い


 ウッドデッキみたいな場所を歩いて、そうして階段を降りればそこは砂浜だ。蒼也は城崎から手を離し階段を一人で降り始めた。段数は大してないから、それほどのことはなかった。が、


「うわぁ」


 降りきって砂浜に一歩足を下ろしたら、バランスを崩してしまった。


「っ  う」


 前のめりになった蒼也の体を後ろから城崎が支えた。と、言うより背後から回ってきた腕が蒼也の体をガッチリとホールドしたのだ。


(あ、この匂い)


 城崎の腕が回ってくると同時に、蒼也のことを包み込む香りがあった。どんな匂いかなんて説明は出来ないけれど、あのジャケットからしていた匂いだ。思わず回された腕を掴んでしまった。


「大丈夫、蒼也くん?」


 体勢のせいで耳元で言われてしまい、息がかかって思わず首がすくんだ。城崎の唇が外耳に当たったような気がする。それに、項の辺りに触れたのは、城崎の髪の毛なのだろうか?くすぐったくて身をよじる。


「砂浜は足元不安定だからね。気をつけて」


 そう言って、城崎の腕が蒼也から離れた。包み込むような匂いから逃れるように蒼也はそのまま前に出る。砂浜を踏みしめる感触を確かめるように歩いて、言い訳するように口を開いた。


「海に来たの久しぶりだから」


 そう、口にしてから蒼也の動きが止まった。


 (最後に来たのはいつだった?)


 蒼也が思い出そうとして、ふっと思考がさまよった時、城崎の手が伸びてきて蒼也の頬に触れた。


「どこか痛かったのかい?」


 城崎の中指の甲が蒼也の頬をゆっくりとなぞった。どこか不安そうな目をした城崎が蒼也の顔を覗き込む。


「な、に?」


 蒼也が驚いて城崎を見つめていると、城崎はその中指をそのまま自分の唇に当てた。


「泣いてる」


 慌てて蒼也は自分の手で、目の辺りを触ってみる。確かに濡れているのが分かった。けれど理由が分からない。


「海、嫌いだったかな?」


 城崎が困ったような顔をして蒼也を見ている。けれど蒼也は海は嫌いじゃない。嫌いじゃないのに、どうして随分と来なかったのだろう。蒼也は思い出そうとして、ゆっくりと記憶をたどった。そうして、思い出したことを口にする。


「オメガ、って、言われてから   来て、無い、かなぁ」


 ようやく思いだしたのは、それ。中学校に入り行われた検査で、蒼也にオメガの判定が出てからだ。それ以来家族で海に出かけなくなった。毎年恒例の海水浴だったのに。それに、中学ではプールにも入れなかった。何の設備もないからと、オメガの蒼也だけプールの授業の時は視聴覚室に行って、第二次性のビデオを観させられたのだ。ラッシュガードを着れば肌は隠せるのに、オメガ用の更衣室がないからと、断られたのだ。


「そうか、感動しちゃったのかな?」


 城崎がそんなことを言ってくるから、


「ちげーよ。   っかじゃねーの」


 城崎に顔を見られないようにして悪態をつく。さすがに面と向かってアルファ様に言っていい言葉では無い。


「ここはホテルのプライベートビーチだから、誰も来ないよ」


 先を一人で歩く蒼也の背中に城崎が言う。蒼也は聞こえない振りをしてそのまま波打ち際まで歩いていった。レストランの窓からは見えない位置に、海の家みたいな建物があって、そこではドリンクの提供だけしているようだった。カラフルなドリンクを飲んでいる女子の二人組と目が合った。けれど蒼也はニコリともせずにその前を通り過ぎる。寄せては返す波の動きは不規則で、それに合わせて蒼也の足の動きも不規則になる。


「蒼也くん、歩くの早いなぁ」


 カジュアルとは言え、革靴ではさぞや歩きにくかったであろう城崎が、大股でゆっくりと蒼也に近づいてきた。そうして蒼也の手を掴み、そのまま恋人のようなつなぎ方をしてきた。その一連の動作が自然すぎて、もう蒼也は断るとか振りほどくとか出来ないでいた。ドリンクを飲んでいた女子二人が何やら騒いでいるけれど、もうそんな声も蒼也には聞こえない。


「ここならゆっくり泳げるよ。夏にも来ようか?」

「ナンパかよ。おじさん」

「おじさんは酷いなぁ」

「俺まだ十五だし」

「それは困ったな」


  そんなことを言いつつも、城崎は全然困った顔なんてしてはいなかった。


「予約制で使える人数が決まっているから安心だよ。お友だちも一緒にどうかな?」

「だからおじさん、ナンパ?」


 この状況でナンパも何もないのだけれど、蒼也から見れば城崎は大人すぎた。


「ナンパじゃなくて、アルファとしてオメガの蒼也くんをお誘いしているんだけどな」

「ナンパじゃん」


 手は振りほどかないけど、蒼也の顔は波打ち際に固定された。ちゃんと見ていないと、買ってもらったスニーカーが濡れてしまう。


「誘ってはいるけどね」


 城崎の声が頭の上から降ってくる。海風は少し冷たくて、繋いだ手がとても温かく感じた。

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