第26話 お触りは何処まで?
「九時に迎えに行くよ」
なんて約束されたから、蒼也は九時より早くシェルターの外に出た。日曜日だから小林はいなくて、当直の職員に挨拶していつもの出入口から外に出る。ショッピングモール側には目隠し用の木が植えられていて、ちょっとオシャレな小路になっているのがいいと思う。
そのまま学校に行く時みたいに外に出で、駐車場を眺めると、チラホラと車が停まっているのが見えた。日曜日だから早朝の映画館の客かイベントの場所取りか、そんなところだろう。蒼也はとりあえず入口に近いベンチでも座ろうかと歩き始めた。すると、
「酷いなぁ」
そんな声とともに手を掴まれた。
「へっ」
驚いて手を掴んだ人の顔を見れば城崎だった。昨日見た服装とは違い大人のカジュアルスタイルだった。ジャケットは羽織っているものの、中は丸首のTシャツでズボンはジーンズだ。スニーカーじゃなくて革靴だけど、デザインはオフ感のあるものだった。
「おはよう。蒼也くん」
そう言って城崎が微笑むものだから、つられて蒼也も笑うしか無かった。そのまま手を引かれて、城崎の車まで移動した。城崎の車は蒼也でも知ってる国産の高級SUVだった。フロントグリルに張り付いたエンブレムが陽の光を反射してなんとも神々しい。さすがは弁護士先生のアルファ様だ。
「さ、乗って」
城崎が助手制のドアを開け、さりげなく蒼也をエスコートしてきた。光汰の言う通り座るのは助手席だった。少し背の高いSUVは乗り込むのに体を上に上げるから、そこをさりげなく城崎が補助してくれた。蒼也を座らせてドアを閉めた城崎は、運転席に周り車に乗り込む。
「シートベルトは締められる?」
「うん、大丈夫」
そう答えた蒼也を一度確認してから城崎はエンジンをかけた。自身もシートベルトを締めてから、蒼也に行き先を告げてきた。
「この車でね、春の海に行きたかったんだ」
「海……」
「まぁ、もう時期初夏になるけど、四月はまだ春でいいよね?」
「 うん、多分」
そんな季節の変わり目のことなんか蒼也には分からなかった。だいたいゴールデンウィーク辺りで初夏とか言っていた気がする。だからまぁ、とっくに桜は散って葉っぱが沢山出ているけれど、まぁ春だということにしておこう。
「嫌いじゃないよね?」
「は?なに?」
「海」
「別に」
会話なんか続くわけが無い。十以上も年の離れたアルファと何を話せばいいのか蒼也には全く分からないのだ。
「アルファと密室で緊張してる?」
「え、いや、そうじゃなくて」
「抑制剤は飲んできたから心配しないで」
「はぁ」
それを言うなら蒼也だって飲んできた。念の為と言われて医師から処方されたのだ。発情期が終わったばかりだったけど、蒼也はまだ安定していないからということで、お守り代わりに渡されたのがボディバックの外側のポケットにはいってる。
「朝ごはんは食べているんだよね?」
「食べました、けど?」
「ならこのまま高速に乗って海まで行くからね」
高速を走る車に乗るなんて久しぶりと言うより修学旅行以来で蒼也はずっと外を見ていた。景色がものすごい勢いで変わっていき、最初に見えたのは工業団地の向こうの海で、遠くにタンカーが見えた。海の水が綺麗なのか汚いのかは分からないけれど、それでも水面はキラキラしてた。高速を降りた後しばらく走って、城崎が車を停めたのはホテルの地下駐車場だった。
「親戚の経営しているホテルでね」
慣れた手つきで鍵を渡し、城崎は蒼也の手を引く。ホテルの廊下は白さが眩しい大理石で出来ていて、なんだか蒼也は場違いな感じがした。けれど、蒼也の手を引く城崎はお構い無しで、楽しそうに先を歩く。
「このホテルの売りがね、海の見えるレストランなんだ」
連れてこられたのは一面ガラス張りのレストランだった。昼食の時間には少し早いせいか、まだ一人も客は座っていなかった。
(変な形のテーブル)
レストランの入口から見える窓際の席は、三角形の変わった形のテーブルに椅子が二脚という配列で、なんだか不思議な光景だった。
「ようこそいらっしゃいました。城崎様」
完全に蒼也の視界の範囲外から声がして、いかにもホテルの給仕です。っていう服装をした男性が城崎に声をかけてきた。親戚の経営しているホテルだとは言っていたけれど、予約していたということなのだろうか?蒼也はそっと入口に置かれているボードを目をやった。
そこにはclosedの文字が書かれていて、営業時間は十一時からとなっていた。先程ホテルのロビーを抜けた時に見た時計はまだ十時半を過ぎたばかりだった気がする。ちょっと所ではない速さだと思うけれど、城崎も給仕の人も気にはしていないらしい。
「お連れ様の上着はお預かりしますか?」
ご丁寧に聞かれて蒼也は慌てて自分の服装を見た。ダボダボの上着はこんなオシャレな海辺のレストランにあっていないのでは無いだろうか?
「少し肌寒いから着ていた方が良さそうかな?」
城崎が蒼也の耳元で聞いてくる。空調はきいているけれど、そこまで暑いわけでもなく、体感温度は外気温に近かった。蒼也は黙って頷いて城崎の後ろに着く。
「ご案内致します」
案内された席は先程蒼也が変わったテーブルだと思った窓際の席だった。給仕はなんの躊躇いもなく蒼也のために椅子を引いた。座り心地のいい椅子に腰かけそのまま顔をあげれば目の前はキラキラと輝く海だった。
「わぁ 」
思わず口から声が零れて、しばし蒼也はその眺めに釘付けになった。ホテルの造りのせいなのだろうけど、レストランの前には実際は道路があってその向こうに砂浜と海が広がっている。けれど、道路より一段高く建てられて、目隠しのために植えられた南国風の木々のおかげで、目の前には海しか見えなかった。しかも水面はキラキラと輝いている。まだ春先だから誰も泳いでなんかいない。
「眺めがいいだろう?」
頬杖をつくようなポーズで城崎が蒼也の事を見つめていた。白を基調とした店内に城崎の服装はよく映えた。マリンブルーとは聞いたことがあるけれど、なるほどデニムの藍色は大人の休日にあっている。
「う、ん」
テーブルに手をついて、思わず前のめりになっていた蒼也は、ゆっくりと姿勢を戻した。城崎に見つめられるとなんだかソワソワとして落ち着かない。抑制剤を飲んでいると言うからなのか、別段アルファの匂いはしないのにこうも落ち着かないのはなぜなんだろう。
「海が近いから、当たり前にシーフードがお勧めなんだけど、どうかな?」
城崎が、そう言ったタイミングに合わせて給仕の人が蒼也にメニューを見せてきた。ファミレスとは違い写真なんかない、文字だけのメニュー表をみて蒼也は内心ドキドキしてきた。なんだかオシャレなネーミングの料理名の下にちょっとした解説が書いてあって、そのまま横に視線を動かせば値段が書かれている。どれもこれも四桁の金額で、三桁なのは飲み物だけだ。
今更だけど、シーフードって高いじゃないか。産直だからと言って安くなるわけじゃない。新鮮だからの値段だし、そもそも観光地のホテルのレストランの値段なんて高校生の蒼也からすれば驚きの金額だ。お腹が空いているかと言われれば、どっちつかずな返事になりそうだ。けれど、目の前に出来たてが出てくれば食べてしまえる自信はある。
「アレルギーは無いんだよね?ピザとかどうかな?採れたてのしらすがのってるの」
「しらす?」
そんなの何処に書いてあるんだろうと蒼也がメニュー表で探し始めると、城崎の手が伸びてきて、綺麗な指先が一箇所を示した。
「これだよ。朝採りしらすのチーズピザ」
チーズの上にしらすが乗っているのだろうか?なんにしても写真がないから想像するしかない。蒼也の知っているしらすはスーパーの魚コーナーにある白いトレイに沢山乗ったやつだ。
「シェアできるからね、気にしないで」
「うん」
「生魚は平気?サラダも食べようか?」
そう言いながら城崎が注文していく。やはりオシャレなレストランだから海鮮丼なんてメニューはなくて、季節の握りなんてものはあった。ただ値段が優しくない。何巻出てくるのか分からないけれど、お腹がいっぱいになる量が出てくるとは思えなかった。
「 米、食いたい」
メニューを見てもなんだか分からないから、とりあえず主張してみた。握りは米だと分かったけれど、その他はさっぱりだ。
「食べ盛りだもんね」
城崎はそう言って更に注文を追加した。
「蒼也くんは何を飲むかな?」
見せられたドリンクメニューに蒼也はゲンナリした。だって、ミネラルウォーターとか炭酸水が六百円とか暴利だ。観光地だって自動販売機で二百円で買えるだろう。
「ジンジャーエール」
サイダーがなかったから、これにした。コーラは母が飲ませてくれなかったから未だに蒼也は飲みなれない。
「ここのジンジャーエールは店で手作りなんだよ」
「え?作れるの?」
そんなこと初めて知った。ジンジャーエールが作れるなんて驚きだ。
「ここはコーラも作ってるよ。ほら、ここに書いてある」
言われてそこを読んでみれば、確かに自家製の文字があった。コーラも自家製。それなら八百円するのもまぁ許せるかもしれない。ペットボトルで買ったものだとしたら、どれだけ利益が上乗せされていることだろうと頭を悩ませるところだった。
「これが手作り」
運ばれてきたジンジャーエールのグラスを思わず上に持ちあげた。だいぶお行儀が悪いことぐらいわかってはいるけれど、それでも陽の光に当たりグラスの中身はキラキラと薄い黄金色に輝いていた。炭酸の小さな粒がグラスの中を登っていくのが見える。
「食べ歩きもしたいから、ここでは程々にしようね」
そんなことを城崎は言うけれど、三角形のテーブルの上はなかなか渋滞していた。テーブルが三角形なのは食べながらでも自然に外が見られて、しかもカップルの視線も自然に合うようになっている。だから蒼也が顔を上げると城崎と目が合ってしまうのだ。その度に城崎が微笑むものだから、蒼也もその度に海の方へと視線を逸らす。露骨な態度だと思われようとも、そうしないと身が持たない。
「食べ足りない?」
蒼也がジンジャーエールを飲み干すと、すかさず城崎が聞いてきた。食べ歩きをすると言ってきたのは城崎なので、蒼也はそこそこにしか食べてはいない。だって、米が食べたいと言ったら、本当に握りが出てきたのだ。しかも一種類ずつ七巻だ。回転寿司だと三皿適度にしかならない。美味しかったけど、食べた実感はだいぶ薄い。
「別に」
答えられるのはこんな言葉しか出てこなかった。もう本当にどうしていいのか分からないのだ。
「じゃあ、食後の運動をしようか」
そう言って城崎が蒼也の手を取る。レストランを出て廊下を歩き、気泡の入ったちょっと変わったガラスのはめ込まれたドアを開ける。そこには白い砂浜が広がっていた。
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