第46話 それぞれの思いはどんな味?

「アイスボックスクッキーか」


 教室に入ると女子たちがスマホ画面を見せ合ってはしゃいでいた。話題はもちろん文化祭のカフェで出すお菓子だ。女の子はかわいいものと甘いものが好き。とはよく言ったもので、かわいらしいスマホケースに入ったスマホの画面には、映えるお菓子が映し出されていた。


「僕たちでも作れそう?」


 光汰が画面をのぞき込みながら聞いてみる。


「アイスボックスクッキーは、型抜きしないから楽なのよ」


 そう言われても光汰はいまいちピンとこなかったらしく、今聞いたばかりのワードを検索していた。そして作り方を確認して納得したらしく、そのまま蒼也に画面を見せてきた。


「これってさ、食紅で色付けたらバリエーション増えるよね?」


 蒼也がそう言うと、すぐさま女子が反応した。


「そう、そうなのよ。蒼也くんわかってるぅ。型抜きして作ると割れやすいじゃない?これなら形も安定してていいと思うんだよね」


 女子たちがわちゃわちゃと騒ぐのを蒼也と光汰は黙って眺めていた。同じオメガだけれど、こういうところに入り込める感性を二人は持ち合わせてはいないのだった。

 そうして放課後、六組で情報共有しあったので、一組にも話を付けに行くと、実行委員の二人がさりげなく洋一郎を呼び寄せた。アルファである宮城洋一郎みやしろよういちろうは、光汰と同じ中学校から上がってきたから、一応オメガとの仲介役みたいな役割を買って出てくれていた。もちろん四ノ宮颯斗しのみやはやと一之瀬昴いちのせすばるもいるのだが、他の生徒を刺激しないようになのか、あまり六組の生徒に積極的にかかわってくることはなかった。

 が、呼んでもいないのにかかわろうとするものは少なからずいるものなのだ。


「なんか、だっさ」


 光汰が洋一郎に見せていたスマホの画面を横から覗き見た斉川彩音さいかわあやねが小ばかにしたような口調で鼻を鳴らしてきた。もちろん、昨日の今日だから、警戒して光汰が洋一郎に話しかけていたのだ。


「アルファとオメガの間に割り込まないでくださぁい」


 光汰はスマホの画面を洋一郎の方へかたむけながら、体をピッタリと寄せ付けた。


「二階堂様からの提案をバカにされたんですけどぉ」


 光汰がそんなことを言えば、教室の奥から一人の女子生徒が慌ててやってきて、彩音を引きずるように連れ去っていった。それを眺めながら、光汰は実行委員の二人に目配せをする。


「クッキーとケーキの材料は全部二階堂家からご支援いただけるから大丈夫だよ。包装のための素材はこの百均のアプリで発注するよね?」


 光汰がわざとらしく説明をすれば、教室の奥からはひそひそとした声が聞こえてきた。だが、光汰はそんなことは全く気にせず話を続ける。


「二階堂家から指導のためにパティシエの人が派遣されてるんだ。試作品を作って持ってきてもいいかな?」


 そんな話を聞かされて、断れるはずなどなかった。教室の奥から嬉しそうな返事が返ってきたのを聞いて、光汰はようやく洋一郎から体を離した。


「じゃ、僕たちこれからパティシエさんたちと試作品を作るから帰るね。何か連絡あったら洋一郎が僕にメッセージ送ってよね」


 光汰がそう言うと、洋一郎はスマホを素早く操作して光汰にメッセージを送る。ピロンという着信音がして、光汰がスマホ画面を確認した。


「オッケー、焼けたら写真送るから」


 そう言って六組のメンバーはみんな仲良く一組の教室を後にした。そうして六組の教室からカバンをとると、仲良く昇降口を通ってバス停に向かう。途中で花壇の手入れをする蒼也の姉亜弓の姿があった。文化祭前に花壇の植え替えをしているようだった。まだ残暑と厳しい中に大変そうだが、文化祭ギリギリではクラスの催しの準備で忙しくなるからだろう。植える予定の苗はまだ緑色のつぼみしかついていなかった。


「あ、蒼也」


 亜弓が蒼也に気が付いて駆け寄ってきた。軍手をはめた手を振ってニコニコと笑う姿はちょっと前まではまったく想像ができなかった。


「なに?」


 蒼也が立ち止ると、光汰が心配そうに亜弓を見た。だが、亜弓はそんな光汰の視線には気が付かない様子でそのまま蒼也に言葉を続けた。


「文化祭の招待チケット、お父さんとお母さんには私の分渡すから、あんたは気にせず渡したい人に渡していいからね」


 それだけ言うと、亜弓はすぐにいなくなってしまった。亜弓のあまりにも早すぎる行動に、さすがの光汰もあっけにとられたのか、蒼也の制服を摘まんだまま動きが止まっていた。


「いや、我が姉ながら」


 蒼也はそう言って歩き出した。確かに、文化祭の招待チケットは生徒一人に付き五枚である。両親や祖父母などを招待したいと思うと五枚では足りない場合もあるだろう。そもそも高校だから、蒼也と亜弓のように姉弟で同時期に通学していることの方が稀なのである。


「渡す相手いないって宣言したようなもんじゃん」


 蒼也が苦笑交じりにそうつぶやいて、歩き出せば蒼也の制服を摘まんだままの光汰もつられて歩き出す。


「だって生徒会長の四ノ宮さんを狙ってたんだろ?うちの姉は」


 蒼也がため息交じりにそう言えば、光汰は鼻で笑った。


「そういえばそうだったよね。オメガの弟を餌にしてアルファを釣ろうとしてたんだっけ」


 ずいぶんと辛らつなことを言われてしまったが、事実なので否定のしようがなかった。まあ、蒼也に超お金持ちのアルファがいることが分かってからは、姉からは何も言われることはなくなった。夏休みも一週間ほど実家に滞在したけれど、特に何もなかったし、城崎のことを聞かれることもなかった。お土産を普通に喜んでいたし、今だって、メールで送ればいいものを、わざわざ呼び止めて伝えてくるあたり、蒼也に対して姉らしく振舞いたいだけなのかもしれない。


「さあ、そこんとこがよくわかんないだよね」


 校内でたまに見かける姉は同性のベータの生徒と一緒にいて、アルファの生徒を遠巻きに眺めているだけなのだ。やっていることは普通のベータ女子の行動なのだ。蒼也に迷惑が掛かるようなことは何もないので、嫌悪感もなければ、以前のような嫉妬心も湧かなくなった。


「蒼也がいいなら僕はかまわないけど。人んちの家庭の事情に踏み込むつもりはないからね」


 そんなことを言われて蒼也は自分がうっかりしていたことに気が付いた。


「あのね、『お下がり』なんだって」


 バスに乗り込む光汰の背中に蒼也は言った。


「え?なに?」


 空いている二人掛けの席に座りながら光汰が聞き返す。


「年子だから、『お下がり』なんだってさ。家から一番近い高校ここに俺が入るから、姉ちゃんが入学してラッキーって思ったんだってよ。うちの母親は」


 蒼也がそう言いながら隣に座ると、光汰はキョトンとした顔をして、しばし蒼也を見つめた。


「は?『お下がり』って」


 ちょっと理解に苦しむ光汰に蒼也は続ける。


「節約なんだよ。うちってベータ家庭じゃん?だから節約なんだってさ。年子だから使いまわしが当たり前なんだって。俺がオメガだけど男だから、生理痛がなくていいわね。って話をされたよ」


 だいぶ端折ってしまったが、要約するとそう言うことだ。そして、そんなことを聞かされた光汰と言えば、まるで苦虫をかみつぶしたかのような顔をして、目線だけで蒼也のことを上から下までじっくりと確認をして、そのままゆっくりと周りをこれまた目線だけで確認をすると、隣に座った蒼也の耳元に顔を近づけてきた。


「ちょっとよくわかんないんだけど」


 感情のこもっていない、棒読みのような言葉が蒼也の耳に入ってきた。


「うちの母親さ、しょっちゅう主語が抜けてるんだよね。しかも言ったつもりで結果だけを口にするの」


 蒼也がそんなことを言えば、すぐそばにある光汰の顔はますます歪む。


「え?なんなのそれ」


 母親という存在にほとんど触れたことのない光汰からすれば、まったく理解しがたいことなのだろうと、蒼也はわかっていた。もちろん蒼也だって、つい最近までこの母親の思考回路が理解できていなかった。いや、今だってわからないことだらけだ。ただ長年一緒に暮らしてきたから、「ああ、そういえばこういう人だった」と思うだけなのだ。それは理解したとか納得したとかではなく、もうそういうものなのだと自分のなかにおとしこんだだけなのだ。


「なんて言ったらいいのか、母親と姉は分かり合ってるんだよね。共感しあっているって感じ?」


 蒼也の説明も、光汰にはイマイチ響かなかったらしい。


「うん、その手の独特な世界観、僕にはちょっとわからないかも。でもまぁ、ベータにはアルファとオメガの世界観が伝わらないのと同じなのかもね」


 光汰なりの落としどころが見つかったのか、一人納得したように何度か頷いていた。コミュニティが違うのだから、そこは無理を押し通さない。そんな感覚はシェルターで育ったからこそ光汰の中に存在しているのかもしれない。


「まあ、そんなところかな。家族ならではってところかな。ま、俺も最近まで全然わかんなかったけどね」


 蒼也がそんなことを口にして笑えば、光汰も笑ってくれた。

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