第41話 夏の準備はお早めに
「なんで補習免れたのに夏休みに授業あんの?」
渡されたプリントを見て蒼也は声を大にして訴えた。高校なのに夏休みに登校日があったのだ。しかもそれは体育の授業の補習と言う。
体育委員だから夏休み中のプール当番があったのだ。小学校じゃあるまいし、とは思ったけれどオメガと言う性に配慮してプールの授業が夏休みの補習扱いになっているらしい。
「石川、ちゃんとみんなに説明してくれよ」
体育教師がそんなことを言う。そんなの授業で説明すればいいのにとはちょっと言えなかった。プール解放日に登校して、約三時間プールに入れば体育のプールの授業の単位が取れるという話だった。実技だから見学ではダメらしく、アルファやベータの生徒もこの補習に出るそうで、そのための時間割のプリントだった。
「先生は作るの大変そうだよね」
「大変だったよ、分かってくれるか?石川」
「うん、まぁ」
男女別学年別更に大二次性別に組まなくてはならないだなんて、考えるだけで疲れるだろう。でもそれは生徒たちも似たようなもので、自分の参加出来る枠を探すのがなかなか大変なのだった。
「ベータ男子の枠には一緒に入れるみたい」
「ベータ男子のくせして、プールが補習ってなんなの?」
「うーん?なんだろうね」
光汰からすれば、ベータやアルファの男子がプールの授業を補習する事態になるなんておかしい。と言うことらしい。
「ほら、プールの授業の日に風邪ひいちゃったかもしれないじゃん。冷房でさ」
「蒼也は優しいんだから」
「でも、俺たちはラッシュガードが必須だって」
「ほんとだ」
なるほど、去年姉がこのプリントをもらっていたからこそのお下がりなわけか。
「蒼也もってたね」
「うん、ねーちゃんのお下がり」
「なにそれ」
「うん、ほんと、なにそれだよな」
乱れに乱れて安定していない蒼也の発情期ではあるが、七月にはならなさそうだったから、光汰と相談して七月の補習に参加する約束をした。
そうして、一度ならず二度までもやらかしてしまった城崎のジャケットだ。洗って返すか返さないかはもう蒼也が自分で考えるしかなくて、テスト期間とか追試が怖いとか、そんなことがあったから、夏休みになるまで城崎と会うことが出来なかった。いや、ただジャケットを返すだけなら簡単だった。けれど、前回お詫びのお礼とかそんな感じで出かけてしまったから、今回も城崎からお詫びと称してお出かけプランを提案されたのだ。
もちろん、断るなんてことはできないから、本当にほんと、蒼也が追試を免れたらね。なんて言って夏休みまで引き伸ばしてみたわけだ。
「夏に海に行くのは、ちょっとベタすぎるよね?」
そんなことを言って城崎は蒼也を高原へと連れ出した。車は前回と同じ国産高級車のSUVだ。光沢のあるピカピカのボディが夏の陽射しを反射して蒼也の視界の端の方が眩しかった。高原に行くからと日除けと兼ねてカーディガンを着てみたけれど、車内のエアコンにも対応出来て正解だった。
「寒かったら自分で調整して構わないからね」
ハンドルを握る城崎にそう言われたけれど、蒼也は風向きを変えるだけで済ませた。そうして、どうやって話わ切り出そうかと思っていたら、やはり先に口を開いたのは城崎だった。
「ごめんね。二度も私の回りの騒動に巻き込んでしまって」
「別に、一回目は何も無かったし、二回目だって気分が悪くなったぐらいだから」
「でも、知らない男たちに拉致されて怖い思いをしただろう?」
「ああ、それね。だからネックガードにGPSが付いてるんだって」
そう言って蒼也は首元のネックガードを手のひらで撫でた。あの後メンテナンスをしてもらったから、今日も正常に作動している。
「そういう問題では、ないんだが、な」
ハンドルを握ったまま城崎は困ったように眉根を下げる。その顔は本当になんとも言えなくて、大型犬がマテをされているように見えてくる。だが、蒼也はもう知っている。だからこそ、今がチャンスなのだ。
「俺さ、人がぶっ飛ばされるの始めてみたよ」
できるだけ、意識しないで口にしてみた。それでも、城崎の反応が見たくて目線だけは横を見る。
「っ……」
「あんた結構口が悪いんだな。女の人相手に情け容赦しないし、マジでびっくりした」
気持ちが悪くて、これ以上麗子のフェロモンを浴びたら吐く。そう思っていたら、物凄い罵声が聞こえて、次の瞬間目の前にあった麗子の顔が一瞬歪んで飛んで行ったのだ。鈍い音が聞こえたけれど、それが麗子のどこからしたのかなんて分からなかったし、分かりたくもなかった。ただ、その瞬間に麗子の匂いが消えて、心安らぐ匂いが蒼也を包み込んだのは確かだった。
「意識があったのか?」
「ぼんやりとだけどね。人の顔って物理的に歪むんだね。お笑い番組で強風とかで歪むの見たことあったけど、ぶっ飛ばされてあんなに歪むとは初めて知ったよ」
「あ、ああ、そう、なのか」
わかりやすいぐらいに城崎が動揺していて蒼也は内心腹を抱えて笑っていた。知的なイケメン弁護士が、チンピラみたいな暴言を吐いて、あろうことか名家のアルファ、しかも女の人を殴り飛ばしたのだ。そんなこと、許されるはずがないのに、城崎はちゃんとシェルター専属の弁護士を続けている。
「だからさ、普通に喋っていいよ?」
「まいったな」
城崎はほんの少し頭を上に向けるような姿勢を取った。
「でさぁ、俺があんたの匂いが好きなのはほんとだから」
何となく早口で言ってしまった。言うならまとめて言ってしまった方が気が楽だと思ったから、相手が弱っているだろう今を狙って言ってみた。
「本当かっ」
言うなり城崎が真っ直ぐ蒼也の方を向くものだから、車が大きく揺れる。
「わぁぁ、ダメダメダメ!前、前向いて運転して」
蒼也が慌てて城崎の頭を前に向ける。周りに他の車がいなくて良かった。と心臓が違う意味でバクバクしてしまった。
「え、いや、その、本当に、俺の匂いが好き、なのか?」
「うん、好き。 あの女の人に、番になったら他のアルファの匂いが分からなくなる。って言われてさ、あんたの匂いが分からなくなるのヤダな、って」
「うん」
「すげー気持ち悪くて、あぁもう、ダメって思ってたらさ、あの女の人が吹っ飛んであんたの匂いがしたんだ」
「うん」
「そしたらさ、なんか安心して 安心したんだよ俺」
「そうか」
横を向けば、正面を向いて真面目に運転している城崎の口角が上がっているのが見えた。だから蒼也はさらに告白することに決めた。
「で、さぁ」
「ああ、うん」
「この間家に帰ったらね、お母さんがね」
「家に帰ったのか、良かった」
「うん、なんか色々ねーちゃんのお下がり貰ってきた」
「お姉さんのお下がり?」
「うん、ラッシュガードとか学校で使うやつ」
「使えるものなのか?」
「うん、意外にも、ね。高校受験の参考書もそうだったって、思い出した」
「……うん」
「だから、お下がりだっただけだった」
「うん?」
「ねーちゃんばっかりって、思ってたんだけど、年子だから、お下がりが当たり前ってことらしかった」
「そう、か」
「で、お母さんのひいおばあちゃんがオメガだった」
「そうか」
「大変だったんんだって、小屋立ててもらったり」
「小屋?」
「田舎だからシェルターが、なかったらしいよ」
「そうか」
「でさ、俺の恋人はすっごい車に乗ってるアルファらしいよ」
「っ……」
何故か突然車が揺れた。
「うぇぇ、な、なに?」
「す、済まない」
城崎を見れば、口がパクパクと動いている。
「誰のこと言ってんだろうね?って話」
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