第40話 主語と述語は必要な関係です


 色々あったけれど、難しいこともややこしい事も小林と城崎が処理してくれたから蒼也の身の安全はしっかりと守られた。光汰が言うには、環境委員会が花壇の手入れをしていたことと、姉の亜弓が光汰に声をかけてくれたことに感謝しろ。だった。元々安定していない蒼也の発情期は、あの後めちゃくちゃに乱れた。おかげで高校最初の中間テストは最悪で、次の期末で挽回しないと夏休みの補習が確定してしまう。出席日数はオメガということでなんとでもなるらしいが、テストの点数だけは自分で何とかしなくてはならないのが地味に辛かった。


「これでいいかな?」


 期末テストの最終日、部活に入っていない蒼也は一人で先に帰り、ショッピングモールでケーキを買うとタクシーに乗った。あちこちの学校がテスト期間なのだろう、ショッピングモールには腕章をつけた学校の先生が何人も歩いていた。蒼也の首にネックガードが見えたからなのか、着ている制服のせいなのか、誰にも声をかけられることはなかった。

 冷房の効いた車内は涼しくて、カーディガンを着ていて正解だと自分で思う。それに、保冷剤を入れてもらっても夏場にケーキの購入は失敗だったかもと思う。それでも、何を持っていけばいいのか他に思いつかなかったのだから仕方がない。


「ありがとうございました」


 タクシーは少し手前で下ろしてもらった。いきなり玄関前では心の準備が出来ないからだ。買ったケーキの箱を持ち、ゆっくりとした足取りで向かえば、見慣れた我が家が建っている。駐車場に母の軽自動車がと停まっていた。それを見て安心してインターホンを鳴らす。

 ややあって聞こえてきた声は間違いなく母のもので、何となく名前を名乗るしか出来なかった。


「あらヤダ、帰ってくるなら連絡してくれれば良かったのに」


 たまたま今日のパートは午前中だけだったらしい。


「エアコンつけたばっかりだから、まだ暑いのよ」


 母はそう言いながら蒼也の前にコップを置いてサイダーを注ぐ。氷に弾けて白い泡が経つのを蒼也はただ眺めていた。


「冷たいもの、大丈夫?」


 出しておきながらそんなことを言うのだからどうしたらいいのだろう。蒼也が曖昧に笑うと向かいに座った母も笑った。


「亜弓は委員会なんですって、お父さんは仕事よ」

「俺は体育委員だから、特に活動はないよ」

「あら、そぉなの」


 言いながら母がケーキの箱を見る。


「食べる?」

「ううん、ねーちゃん誕生日だったよね?」

「あら、覚えていてくれたの?テスト期間だからって、何もしてないのよ。亜弓、喜ぶわよ」


 母はケーキの箱をそのまま冷蔵庫にしまった。それを眺めながら蒼也はコップにつがれたサイダーを飲んだ。氷が入っているせいで、いつもより冷たい。


「女の子と違って生理はないんだっけ?」

「え?」


 夕飯はカレーでいい?ぐらいの言い方でそんなことを聞かれて、逆に蒼也は固まった。母はいきなり何を言い出すのだろう?


「ほら、発情期が来たんでしょ?生理とは違うのよね?冷やしてもいいものなの?ひいおばあちゃんがオメガだったんだけど、昔は大変だったらしいわよ、田舎は」

「え、あ、うん」

「村長さんに立派な小屋を建ててもらったんだって言ってたわぁ、今はシェルターがあるから安全よねぇ」

「そう、だね」


 母は突然何を言い出したのだろう?蒼也の反応がイマイチだったのか、母は蒼也をじっくりと見つめてきた。


「あれ?言ってなかったっけ?お母さんのひいおばあちゃんがオメガだったって」

「聞いてない」

「あらぁ、話したの亜弓だったのかしら?ひいおばあちゃんの頃はシェルターがまだ田舎にはなくてね、大変だったそうよ。それに、田舎だからアルファとの出会いもなかなか無くて、村長さんがアルファを紹介してくれたんだって」

「へ、へぇ、なんかすごいね」


 蒼也にとっては初耳な話だった。


「でも蒼也は恋人が出来たんでしょ?」

「へ?」

「亜弓に聞いたわよ。すっごい車に乗ってるアルファだって」

「え、ああ、うん。たぶん、凄い車、だと思う」

「良かったじゃない。オメガはアルファと番えないと不幸になるって言うからねぇ」

「   そう?」

「そうよ、でも、ねぇ、蒼也は男の子じゃない?」

「うん」


 何を今更と思う。生まれた時から男の子だ。


「大変だって聞いて、心配なのよ」

「なにが?」

「赤ちゃん、産むでしょ?」


 さすがにこれには驚きすぎて返事が出来なかった。


「学校で習ったけど忘れちゃったのよねぇ、男の子でもオメガは子宮があるけど産道はないんでしょ?そうすると出産が大変だろうね、って」

「あ、うん、そうかもね」

「だからね、お母さん、蒼也が、女の子だったら良かったのにって、思ったのよ」

「    っ、は、っ」

「女の子だったらオメガでも子宮も産道もあるから楽だったろうになぁ、って     蒼也、どうしたの?」


 母の話を聞いて、蒼也は泣き笑いをしていた。笑いが込み上げてきたのに、目からは涙が溢れてくる。


「な、に、それ  なんなの、それ」

「だって、心配じゃない。お母さん女なのにすっごい出産の時大変だったのよ。陣痛は生理痛が予習だって言われてるからさ、蒼也は男の子でしょ?生理痛知らないじゃない?だから、オメガだとしても女の子だったら良かったのに、って」


 そんなことを考えていたとは恐れ入った。いや、それよりもそんなことを未成年の息子にする話だとは思えない。


「もぉ、何よ。お母さんだってちゃんと勉強したのよオメガのこと」

「べ、勉強して、息子に言うことがそれ?」

「だって心配だったのよ。発情期が来たらお友だちからそういう目で見られちゃうかもしれないじゃない?でもそんなこと言ったら蒼也のお友だちに失礼でしょ?だから、ほんとシェルターに入ってくれて良かったわ」


 さすがにここまで聞いているうちに、蒼也の目から流れた涙は乾いてしまった。つまるところあれだ、母は蒼也も聞いていると思って亜弓にだけ話していたのだ。そして、蒼也はその話を断片的にだけ聞いてしまった。


「高校も、オメガの子は行けるところ決まってるでしょ?うちからだと遠いからどおしたらいいのか悩んでたのよねぇ」

「そお、だね」

「シェルターからならバスで20分ぐらいなんでしょ?亜弓が、羨ましがってたわぁ」

「そうなの?」

「だって、バスなら雨も風も関係ないじゃない」

「そう、だね」


 返事をしながら蒼也は今度こそ笑いだした。なんだそれは、と思う。本当になんだそれは。


「もう、蒼也ったら、何笑ってるのよ」


 そうだった、母は思いつきで喋るのだ。よく主語も抜けている。だからちゃんと聞かないと意味が分からないのだ。


「ああ、ううん、なんでもない」

「なんでもないじゃないわよ。そうだ蒼也、恋人が出来たのならちゃんと紹介しなさい。お父さんが心配してたわよ」

「え?なんで?」

「そりゃあ、お父さん、娘も息子も嫁に出す?みたいな?」

「なにそれ、気が早いよ」


 サイダーを飲み終えると、蒼也は一度自分の部屋に行った。エアコンが付いて鍵もつけてもらった蒼也の部屋だ。結局発情期が来ても使うことは無かった。これからも使うことは無いだろう。


「あった」


 机の上にぽつんと置かれていたゲーム機だ。蒼也がオメガだと判定されて、夏休みに市民プールに行けなくなって、退屈だからと買ってもらったのだ。ネットに繋げばクラスと友だちだけでなく、世界中の人と遊べるのが楽しかった。お小遣いやお年玉、誕生日プレゼントなんかでソフトを増やした。それらをまとめてトートバッグに詰め込む。


「いたいた」


 突然部屋のドアが開いて姉が入ってきた。


「ノックぐらいしろよ」

「いーじゃん別に、なに?見られちゃまずいものでもあった?」

「ねぇよ」


 姉と二人で下に行けば母が焼きそばを作っていた。


「お昼たべてないでしよ?」

「うん」

「やだぁ、お母さん紅生姜買ってないの?」


 姉が冷蔵庫を開けて文句を言う。


「だって、お母さん嫌いだもの」

「生姜は体温めるんだよ。クーラーで体冷えるんだからさぁ」


 姉はそんなことを言いながら麦茶とマヨネーズをテーブルに出す。蒼也も何となく箸とコップを並べた。


「食べたい分だけとってねぇ」


 母が豪快にフライパンをテーブルの真ん中において皿を渡された。


「蒼也も、体冷やしちゃダメだよ」

「なんで?」

「だって発情期来たんでしょ?あれ?オメガ男子は生理ないんだっけ?」


 それを聞いて蒼也はむせた。姉もまた母と同じ思考回路だ。


「ないんですって」


 母が蒼也の代わりに姉に答える。


「ないんだぁ、いいなぁ」


 そう言いながら姉が蒼也のコップに麦茶をつぐ。蒼也は麦茶を一気に飲み干してようやく一息ついた。母も姉もこういうところがあるから油断ならない。と、言うか、思春期の心の機微にだいぶ疎い。


「ああ、そうだ。蒼也、これ着る?」


 母が突然思い出して何かを持ってきた。


「なにこれ?」


 渡されたものを広げてみるが、黒くてファスナーの着いた上着、素材は伸縮性があって生地は薄い。


「水着の上に着るやつよ。亜弓が着てたんだけど、ほら亜弓ったら胸ばっかり成長しちゃったから」

「はぁ?」

「お下がり、お下がりね」


 母はそう言って蒼也からラッシュガードを取り上げるとゲーム機の入ったトートバッグに押し込んだ。


「高校はオメガの子でもプール入れるんでしょ?」

「う、ん」

「良かったわねぇ、蒼也はプール好きだったからねぇ」

「お母さん、授業だよ。遊びじゃないからね」


 姉が母をたしなめるが、母は一人頷きながら「良かった」を繰り返していた。

 結局その後ケーキを食べて、母の車で送ってもらった。よく分からない姉のお下がりをやたらと持たされた。


「たまには帰って来るのよ。お母さんのご飯食べたいでしょ?」


 見送られてシェルターの自室に戻って袋の中を開けてみれば、ラッシュガードだけでは無い、制服のニットベストや選択授業で使うアクリル絵の具まで入っていた。


「道理で重たいわけだよ」


 一つ一つを見て見れば、どれもこれも【石川】としか名前が書かれていない。昔からそうだった。年子だから、なんでも姉のお下がりが回ってきていた。


「これもだな」


 手にしたのは高校受験の参考書。姉が学習塾で購入したものだ。同じ高校を受験するなら間違いのないものだった。母はあの時なんと言って蒼也にコレを手渡しただろうか?よくは覚えていないけれど、多分「亜弓と同じ高校に行くんでしょ」みたいなことを言っていたような気もする。


「なんだよ、もう」


 たくさんの姉のお下がりを見て、蒼也はまた泣き笑いしたのだった。

 

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