第42話 自覚からの覚醒
梅雨明けしたばかりの七月の下旬であるから、まだそんなに人出はなかった。高原らしい爽やかな空気はどちらかと言えば涼しいと言うより肌寒いかもしれない。
無難に美術館に入ってみたけれど、想像以上に人が少なくて驚いた。
「車は結構走ってたのに」
「アウトレットがあるからそちらにいるんだろうな」
見た感じでアルファと分かる城崎と、金髪にピアスの蒼也の組み合わせは人目をひくらしく、絵画を眺めながら視線をチラチラと向けられて蒼也は若干イライラした。見るならもっと、堂々と見ればいいのだ。
「ねぇ、事務所にこーゆーの、飾ってあんの?」
さっきは声のボリュームを落としていたが、普通に話すトーンで声を出してみた。案の定、チラチラと来ていた視線はガッツリハッキリやってきた。
「事務所?」
「弁護士事務所、俺行ったことないけど、そういう所って絵とか飾ってありそう」
「寄贈されたのなら飾ってあるな」
「寄贈?」
「弁護したオメガに芸術家がいてね。無事個展が開けたってお礼に」
「へぇ、観てみたいな」
「興味あるのか?」
「こーゆーとこに連れてきてそれは無いんじゃない?」
そう言って蒼也が軽く城崎にボディタッチしてみれば、あからさまに嫌悪の視線を向けてくる。女性グループは美術館に入った時からやたらと城崎を見ていた。そして、隣にいる蒼也に対しては蔑むような嫌悪の感情を向けている。だから蒼也は試してみたのだ。彼女たちがどのような反応をしてくるのか。案の定、大きな声を出した蒼也をバカにしたような目で見て、城崎が弁護士だと分かれば羨望の眼差しを向けてきた。
「似たような感じの絵、ある?」
「そうだな……彼は抽象画を得意としているから」
ゆったりとした足取りで城崎は蒼也をエスコートする。さり気なく回された腕が蒼也の腰に来た。一瞬、そちらに目線が行きそうだったのを堪えて、何事もないかのように城崎に体を寄せ口元に笑みを浮かべて視線だけで彼女たちを確認した。案の定、睨むような視線が蒼也に向けられていた。
(何様のつもりなんだろう)
蒼也の心に浮かんだのは疑念だ。彼女たちはおそらくベータで、偶然見かけた上位のアルファである城崎に憧れにも似た感情を抱いたのだろう。それはまぁいいとして、何故隣に立つ蒼也に侮蔑の視線をむけるのだろう?自分たちの方が城崎に相応しいと思っているのだろうか?それはなぜ?蒼也が男だから?フェロモンを嗅ぎ取れないベータから見れば同性同士のカップルは嫌悪の対象ということなのか。
蒼也は頭の中でグルグルと思考する。
「ここで少し休憩しようか」
ウッドデッキのある美術館のカフェに案内され、蒼也はその先にある景色に暫し目を奪われた。高原の景色を利用してアートが飾られていた。素材はなんだか分からないけれど、ベンチに座った人物の手を取る天使。
「どうした?飲みながらゆっくり観られるよ。ここはサイダーが手作りなんだ」
そう言いながら城崎の手にはレシートがあって、そのまま蒼也をウッドデッキの席へと誘う。アート作品を思わせる木造の椅子とテーブルはどれも形が違っていた。丸太をそのままテーブルにしたようなデザインに、チグハグな木材を組み合わせて作られた椅子。壊れやしないかドキドキしながら勧められるままに腰を下ろした。
「ここの家具は全て廃材を利用して作られているんだ。もちろん買うこともできるよ」
「これを?」
蒼也は驚いて自分の座る椅子を見た。意外にもしっかりとした作りで、気まぐれに色が塗られている。蒼也の椅子は白で、城崎の椅子は黄色だった。
「なんか面白いね」
廃材を利用している割には座り心地は良くて、背もたれはちゃんと機能していた。そんな話をしているうちに飲み物が運ばれてきた。ガラスのグラスに黒いストローがささっていて、置かれたコースターは何か絵画がデザインされていた。
「それ、なに?」
城崎はサイダーの話をしていたから、こちらの透明な感じの炭酸がサイダーだろう。しかし、もうひとつのグラスは中に何かが入った炭酸だ。
「これはコーラだよ」
「コーラ?」
蒼也の知っているコーラは黒い炭酸飲料だ。ガラスのグラスに入っているのは薄い茶色をしている。
「クラフトコーラというのが正式かな?シナモンなんかのスパイスと柑橘系の果物を煮詰めて炭酸で割るんだよ」
そう言って城崎はストローで茶色い木の枝のようなものをつついた。多分それがシナモンなのだろう。確かにコーラにレモンが入っているのをカラオケボックスで出されたことはある。なるほど、美術館のカフェはこんなところもオシャレなのだ。
「あれ、近くで見れるの?」
ストローでサイダーを一口飲んでから蒼也は聞いた。通路が外にも続いているからもう少し近づくことが出来そうだ。
「ああ、外に展示されている作品は近づいて見ることができる。庭園には作品が沢山あるよ」
「へぇ」
道沿いに視線を動かせば、確かに人影が見えた。だいぶ大きな物もあるようで、木々の向こうに銅像のようなものが見えた。
「あ、居たわ」
そんな声が聞こえて、足音が近づいてきた。甘ったるい匂いはフェロモンではなく香水だろう。人工的な匂いが鼻についた。蒼也はあえて振り返らず、ストローを咥えたまま城崎を見た。城崎の視界には声の主が見えているらしく、先程と違い唇が真一文字に結ばれていた。
「この後ご用事ってありますかぁ」
「良かったら旧街区のレストラン御一緒しません?」
「財閥系のレストランなんですけど」
口々に口を開いて喋るけど、城崎は目線だけを動かして声の主たちをみる。先程館内で蒼也に侮蔑の目を向けてきた女たちだった。膝丈のワンピースにレースのカーディガンを羽織り、小さめのバッグを持っている。三人とも似たような服装で、初見は色で区別するしかなさそうだった。
「連れがいますので」
城崎は顔を動かすことなく断りを入れる。それが彼女たちのカンに触ったのか、すぐさま蒼也のことを見下すような目をして口を開いた。
「財閥系のレストランなんでぇ、こちらの彼は御遠慮いただければ問題ないんですよねぇ」
「避暑地でもドレスコードがあるんですよぉ」
「近くのアウトレットでファストフードでも食べててくれるかな?」
そう言ってあろうことか蒼也の前に財布から取り出した千円札を置いたのだ。
無視を決め込んでサイダーを呑気に飲んでいた蒼也であったが、さすがにコレはきた。ストローを咥えたままグラスから抜き取った。その弾みでストローの先端からサイダーが飛ぶ。
「きゃっ」
蒼也の飲んでいたサイダーが飛沫となって、千円札を出してきた女の顔にかかった。手作りであるから余計に柑橘系の匂いが強い。目にでも入ったのか、両の手のひらで顔を覆っている。
「失せろ。俺をこんなはした金で動かせると思うなよ」
置かれた千円札を腕にかけられたバッグの中にねじ込んだ。
「なっ、何よ。しょ、傷害でしょ、冷たいものを浴びせるだなんて」
気圧されながらもそう言葉を紡ぐと、城崎に縋るような目線を向ける。だがしかし、城崎は冷ややかな目線を彼女たちに返すだけ。
「調子にのんじゃないわよ。あんたオメガなんでしょ」
「大人しくシェルターにこもっていればいいのよ。公共の場で淫乱なフェロモン振りまいてんじゃないわよ」
そう、言い終わった瞬間、息苦しい何かが広がった。蒼也はストローを咥えたまま三人の女たちをただ見ている。城崎は黙って蒼也の顔を見て、そうして落ち着いた顔をして辺りに漂う蒼也の匂いを堪能した。じわりと、足元から這い上がってくるような息苦しいものの正体は蒼也のフェロモンだ。
「淫乱なフェロモン?お前らベータに嗅ぎ分けられるのかよ」
蒼也が口を開くと、更にその濃さが増した。
「な、なに、これ」
「やっ……なんか、寒い」
「なに、この子」
反応は三人三様ではあるが、それでも感じ取るのは得体の知れない何かである。
「オメガのフェロモンが淫乱?お前らの態度の方がよっぽどなんじゃないの?」
ストローをプッと吹き出して蒼也が言った。三人の女たちのスカートの裾から見える膝は、わかりやすいほどに震えていた。城崎は、その様子を黙って見ていた。
「あ、あ、あ、あ、あのっ」
一人がようやく口を開いた。自分たちになんの援護もしてこない城崎を睨みつけている。それはまた違うのでは無いかと城崎は思うが、相変わらず表情を変えずに唇は真一文字に閉じたままだ。
「アルファを誘惑してんのはあんたらの方だろ」
蒼也が冷たく言い放つと、三人の女は互いの手を取り合って逃げるように去っていった。その背中を目線だけで見送ると、蒼也はグラスに残ったサイダーを一気に飲み干した。
「あんただけ」
「え?」
「あんたが絡むと出せるんだ」
「何を?」
「フェロモン……威嚇の、ってやつ?」
城崎の唇が緩やかな弧を描いた。
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