第43話 故に囁く


「ここだよ」


 結局、あの後帰る事になってしまった。予約していたレストランがあったらしく、テイクアウト用に包んで貰った食事を受け取りに行ったのは、落ち着いた外観のレストランだった。蒼也は全く分からなかったけれど、店の前に車を止めると直ぐに店から人が出てきて、大きな紙袋を二つ持ってきた。


「うわぁいい匂い」


 蒼也は助手席から素早く降りて、その紙袋のひとつを受け取った。なんとも食欲をそそる匂いで、出来たてを食べられないのがもったいないと心底思う。が、ふと顔をあげれば店内に見覚えのある姿があった。似たような作りのワンピースにカーディガン、三人の区別はその色合いだけの女たち。


「だから、ね」


 城崎が耳元で言うものだからなんだかくすぐったくて蒼也は首をすくめた。


「次はゆっくりと寄らせて貰います」

「いつもご贔屓に」


 深深と頭を下げられ、思わず蒼也も頭を下げた。紙袋は後部座席にそっと乗せ、車はゆっくりと高原の街中を走り出した。ちょっとした住宅街のよう道に入り、小さな公園の駐車場に車を停めた。そうして城崎が後部座席から紙袋を持つと、蒼也もそれに習った。ついて行った先には木製のベンチとテーブルがあった。


「花見の季節は取り合いになるんだよ」


 言いながら城崎は紙袋から布を取りだしテーブルに敷いた。蒼也の持っていた紙袋からも取り出してテーブルに並べる。あっという間にセッテングがされたけれど、並んで座る様になっていた。


「景色を見よう。綺麗な景色だ」


 座ってみれば目の前には高原の山々が広がっていて、ちょっとだけ緑色のフェンスが邪魔をしていた。けれどそれでも食事が美味しくて、それは些細なことだった。


「フェロモン、出せるようになったんだな」


 食後にミネラルウォーターを飲み干して、城崎が言う。その様子を隣で蒼也は眺めていた。蒼也にはない喉仏が上下する。


「あんたが絡んだ時だけだよ」

「どうして?」

「分かんない。教室で光汰とふざけて出してみようとしたけれど出なかった。    でも、今日は、出た」

「そうか」


 城崎が目を細めて蒼也を見る。向こうにはほんの少し白い雲が浮かぶ青空が広がっていた。


「俺、恋した事がない」

「うん」

「だから、なんであんたが俺を好きなのか分からない」

「そうか、そうだな。俺は一目見た時から俺のオメガだと思ったけどな」


 なんだそのワードは、と思う。蒼也が首を傾げると、城崎は優しく微笑みながら蒼也の髪を撫でた。そうしてその手が止まり、指先が蒼也の耳に触れる。今日は城崎から贈られたピアスが蒼也の耳を飾っていた。城崎の指は、ピアスと耳の輪郭の境をゆっくりと撫でていく。


「お前、鳳凰って知ってるか?」

「おめでたい鳥?」

「そうだ。あれな、鳳が雄で凰が雌だと言われてるんだ」

「何それ?」


 初めて聞いた不思議な話に蒼也は何度も瞬きを繰り返した。


「つまりな、鳳と凰、二匹が揃って一匹の鳥の姿になっていると言われてる。だから夫婦の象徴として結婚式の打ち掛けなんかにデザインされるようになったんだよ」

「そうなの?」

「夫婦円満の象徴だな。揃わないと空を飛べない」

「へぇ」


 蒼也はひとしきり感心してから、はたと気づいた。


「もしかして、コレって羽じゃなくて……」

「そう、凰をデザインして作らせた」

「ぅえ、え、え?」

「ちなみに鳳はここにある」


 そう言って、城崎は右の耳をゆっくりと蒼也に見せた。今日一日、車の助手席に始まり蒼也はずっと城崎の左側にばかりいた。美術館のカフェでは城崎は足を組んで蒼也に左半身を多く見せる様に座っていたと思う。


「きもっ、ペア?」

「おい、それは無いだろう」

「え、でも、付き合ってもいないのにペアとか、マジないわ」

「じゃあ、今から付き合え。お前の恋人はすっごい高級車に乗ってるんだろ?」

「うわぁ、何それ?」


 蒼也が不満そうに言えば城崎はちょっと黙って、それから薄く笑った。


「俺のオメガになれ」

「ダメですぅ、俺は未成年ですからぁ」

「ちっ、固いこと言うなよ」

「ダメ、そんなことしたらお父さんが泣く」

「ガキが、そうきたか」


 城崎は一呼吸おいて自分の薄い唇を舐めた。


「好きだ、付き合え」


 返事をしようとした蒼也は慌てて城崎を押し返す。


「ダメダメダメ」

「なんだよ、キスぐらいいいだろ?」

「ダメ、俺未成年だから」

「そんなこと言ったって、光汰くんは洋一郎とキスぐらいしてるぞ」

「えっ、なんでそんなこと知ってるの?」

「あいつら中学から付き合ってるからな」

「ちゅ、ちゅ、中学から……うそ」


 親友の軽い裏切りを知って蒼也はちょっとだけへこんだ。普段一組のアルファたちと軽く戯れているのに、それが通常運転だと回りも笑っていると言うのに。


「光汰くんはオメガらしいオメガだな」

「そうなの?」

「アルファの庇護欲をそそらせて、それを上手く流してる。シェルターで育ったからこそ身に付いたんだろう」

「……俺、強いオメガになりたいんだ」

「例えばどんな感じ?」

「まだ……分かんない。でも、今日みたいな人たちに負けたくない」

「そうか、今はそれでもいいな」

「だから、最終目標は、あんたに勝ちたい」

「俺に?   それは、面白いな」

 

 城崎の声が耳のすぐそばで聴こえる。ピアスの付いた耳の輪郭に微かに唇が触れる。それから、ゆっくりとした息遣いを頬の辺りで感じる。蒼也の肩が小さく揺れた。それが合図かのように城崎の体温が離れた。それにつられるように蒼也の目線が動く。右耳に付いている鳳の飾りに視線が向かううちに、両の頬に自分より少し体温の低い手のひらが触れた。


「あっ   」


 視線を戻そうとした時にはもう、視界はピントの合わないボヤけた景色になっていた。唇に触れたのは少し湿った相手の体温。ゆっくりと瞼を閉じるのと同じ速度で触れた箇所の温度が馴染む。それから、ゆっくりと離れていく速度に合わせて瞼を開けた。


「恋から始めようか?」

「       うん」






 愚かしいほどに愛を囁く者は

     嗤われることさえ厭わない

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