第35話 運命と非日常の交錯
結論から言えば、蒼也は正しく誘拐されていた。宮城の予想通り、城崎狙いの女のせいで。しかも高級車に運転手付きで乗れるほどの立場の女だった。
「石川蒼也くん、初めまして」
正確に言えば高級車はリムジンで、内装はだいぶ凝った作りになっていた。広い空間に座り心地のいいシートは革張りだ。そこに蒼也は押し込められるように座らせれ、正面というより斜め前に足を組んで優雅に座る麗子と対峙していた。
「顔を合わせるの、初めてだけど、あんた映画館に来たアルファだろ?」
車内に充満する匂いを嗅いで、蒼也は朧気な記憶を手繰り寄せた。そうしてなぜだか不愉快な記憶が蘇る。
「あら、気づいて貰えて光栄だわ」
麗子が嬉しそうに笑うけど、どこか貼り付けられたような表情に蒼也は身震いした。まだ数名のアルファとしか接したことは無いけれど、学校にいるアルファたちは皆優しいし、城崎は大人だからなのか紳士的だ。だから車内に充満している麗子の発するフェロモンが、あまりにも悪意に満ちていて気持ちが悪いのだ。
それは映画館で感じたものの比ではなかった。手にしているカバンを抱きしめたまま蒼也は麗子を睨み返す。どう考えても友好的な逢瀬では無い。
「いやだ、そんな顔しないでちょうだい。あなた美人って評判なのに」
麗子はそう口にしたけれど、全くそんなことを思っていないことぐらい丸わかりだ。蒼也を見る目が恐ろしい。愛でるのではなく嬲ろうとしている。そんな目だ。
「なんの用?俺、あんたと知り合いじゃないんだけど」
「あら、酷い。顔を合わせていなくても私のフェロモンを覚えていてくれたのに?」
「好きで覚えたわけじゃない」
「あらぁ、そんなことないわよ。フェロモンを嗅ぎ分けられただなんて、運命なんじゃないかしら?」
そう言って微笑む麗子の顔は魔女のように見えた。口紅を塗った唇は歪んだようにつり上がっている。それに、顎に添えた麗子の手、その指先は尖り気味に整えられて赤く塗られていた。
「何言ってんだ?あんた」
オメガとして日の浅い蒼也だけれど、シェルターで暮らし始めてからは、色々な知識を周りから教えられてきた。その中の一つに運命の番と言う話があったけれど、映画やドラマのように出会った途端に発情するなんてことはそうそうないという事だ。せいぜい互いがフェロモンの匂いを認識しあい、本能で確認する程度だと言う。
抑制剤の出来が悪かった昔ならいざ知らず、個人の体質に合わせた抑制剤が開発された現代において、フェロモンをコントロール出来ないなど、野生動物よりも劣ると笑われてしまうことだろう。
「酷いわねぇ、私の番にしてあげるって言ってるの」
「はぁ?何言ってんのおばさん」
「 おば さん、ですって」
高校生になってまだ誕生日の来ていない蒼也はまだ十五歳だ。二十代半ばの麗子は、アルファであるせいで早熟であり、しっかりとした体つきをしていた。アルファとしての能力が表面に出ているせいもあり、蒼也から見れば随分と年上に見えるのだ。
「俺まだ十五歳ね。番えないから」
蒼也がそう口にすれば、麗子が口の端を上げて笑った。
「心配しないで、私の名前は二階堂麗子(にかいどうれいこ)、どういう意味か分かるかしら?」
「わかんねーよ」
カバンを抱き抱えた体勢ではいささか迫力はないけれど、それでも蒼也は麗子を睨む。虚勢を張っていると言われればそれはそれで間違いないけれど、そうしないともう、すぐ、降参してしまいそうなのだ。
「ショッピングモールを含めたシェルターにオーナーとなる名家が着いていることぐらい知っているわよね?」
「 」
この場合、蒼也の沈黙は肯定だ。つい最近教えられたばかりの情報だ。外壁のツートンカラーが名家の色を表しているのだ。そうして蒼也のいるシェルターは、一之瀬家と二階堂家の色をまとったショッピングモールに併設されている。だから、いくら蒼也でもわかってしまうのだ。実際経営に関わっていなくても、目の前にいる麗子は二階堂家の人なのだ。
「心配しなくてもちゃんと項を噛んで番にしてあげるわ。産まれた子どもは認知するし、あなたのことだって生涯面倒見てあげるから」
蒼也を見下したような目をしている麗子に、蒼也はひたすら睨みつけるしか出来なかった。なぜなら車内に充満する麗子のフェロモンが重苦しくて息をするのも辛いのだ。鼻で息をする度に、あの嫌な匂いがついてくる。そして、それを嗅ぐ度に思考がどんどん鈍くなる。重苦しい鉛のようなものが蒼也の頭の中に入り込んで思考を奪い、肺に入り込んで呼吸の邪魔をする。
息苦しくて蒼也が何度もネックガードに手をかける。それを見て麗子が満足そうに笑った。
「苦しいのなら外してしまいなさい」
蒼也は黙って首を左右に振る。今ここで外してしまえば、どうなるか想像もつかない。麗子は自分が番になると言っているけれど、この間のように車が着いた先に複数の人物がいたらどうなることか。見知らぬアルファに項を噛まれることははっきり言って恐怖でしかない。
「まぁ、いいわ もうすぐつくわよ」
麗子が自分の後ろにある小窓を開けて確認をした。窓のスモークが濃すぎて蒼也にはまるで分からないけれど、目的地に着いたのだろう。地下の駐車場なのか車が随分な角度で前のめりに進んでいるのが分かる。
蒼也の懸念はただ一つ。地下に入ったことでネックガードに搭載されているGPSの機能が失われてしまう事だ。シェルター特性のネックガードは最高水準の機能が搭載されていて、装着しているオメガに異変が起これば直ぐにシェルターのタブレットが受信をする仕組みだ。GPSの機能も搭載されいて、シェルター所属のオメガが連絡のないまま所在不明になれば追跡可能なのだ。
だが、GPSの機能は地下に弱い。最近では地下鉄や地下道などでもインターネットが繋がるように設備が整えられているとはいえ、名家が住むような建物であれば、不特定多数が入ることが出来る地下駐車場では、逆にインターネットが繋がらないようにされている場合もある。
放課後の時間で、部活や委員会活動をしていればまだ帰宅の時間では無いわけで、一緒に帰る約束をしていた光汰がバスの時間に遅れてしまったら、気づいてもらえるのは随分と先になってしまう。だからといって、光汰がバス停に蒼也がいないことを不審に思ってくれるかどうかも怪しいところだ。何しろ校門でご丁寧に横付けされた車に運転手が扉を開けて蒼也を乗せてくれたのだから。目撃した生徒がいたとしても、送迎の車に乗り込んだようにしか見えなかったことだろう。
「どうぞ」
車のドアが開けられた。
運転手は座席に座ったままで、ドアを開けたのはまた別の人物だった。どこからどう見ても屈強そうな男で、おそらくアルファだろう。がっしりとした体つきをしていて、厚い胸板が無理やりスーツの中にしまわれていた。太い首はネクタイが窮屈そうに感じるほどだ。蒼也は無駄な抵抗はしないことにして、大人しく車を降りた。
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