第29話 無自覚からの自覚


 境内の中にある団子屋で串団子を買って、海を眺めながら食べて、「甘酒って初めて飲んだ」と言いながら蒼也は首を傾げていた。甘い団子に甘い甘酒の組み合わせが馴染めなかったらしい。実際、甘酒を飲んでいる人は団子を食べていない人がほとんどだった。少し肌寒い海風に当たりながら、温かい甘酒を飲むのが醍醐味だったらしい。

 登るのは大変だったけど、降りるのは違う階段からだった。裏道のような曲がりくねった階段があって、あの急な階段が無理な人はこちらから登ったりもするらしい。

 ゆっくりと降りて、それから土産物屋で光汰への土産を買うと、当たり前のように城崎がそれを持った。


「俺のだよ?」


 蒼也が自分で持とうとしたのに、城崎は当たり前の顔をして荷物を持つ。それがアルファのオメガに対する当たり前なのだと蒼也にはまだ理解が出来なかった。

 ホテルの駐車場を出ると、道はそこそこ渋滞していたけれど、まだ早い時間だからか海沿いをぬけて観光地から離れた行けば、車の数がどんどん減っていった。


「知り合いの工房があるんだ」


 ハンドルを握る城崎がそう言ったけれど、それがなんなのか蒼也にはよく分からなかった。ちょっと首を傾げて城崎を見れば、城崎は困ったような顔をした。


「もうちょっと、警戒心が欲しいかな」


 何を言われたのか分からなくて、蒼也が考え込んでいると、その答えが目の前に表示されていた。高速の入口を過ぎていて、隣の市に来ていたのだ。なるほど、帰り道が違うことに気づけなかったわけだ。城崎が悪い大人だったら、このまま蒼也は何処かに連れ去られてしまうというわけだ。


「工房ってなに?」


 普段耳にしない言葉に蒼也は再び首を傾げる。


「彫金の工房なんだ。創作系の作家、かな」

「ふーん」


 聞いたところでまったく分からなかった。彫金と言えば中学の卒業制作で何か作った気はする。それをどうしたのかはもう忘れてしまった。

 着いたのはオシャレな洋館風の建物で、教室も開いているらしく複数の人が何かをしているのが見えた。

 城崎は蒼也を連れて裏口から建物に入った。店ではなく、そこは事務所みたいな場所で、鋭い目つきの男の人が一人座っていた。


「できてるぜ」


 挨拶もなくそう言って、ビロードの布が貼られたトレーを出てきた。そこに乗せられたものを見て、城崎は満足そうに微笑んだ。


「相変わらずいい仕事だな」


 蒼也を手招きして椅子に座らせると、目の前に鏡を出してきた。


「これ、蒼也くんに似合うと思うんだ」


 示されたのは濃い青色の石がついたピアスだった。細かい細工の部分が彫金なのだろう。


「プラチナだから」


 戸惑っている蒼也にそう言ってきてのは目の前の男の人だ。


「教室では十八金とか十四金だけどな、客に作る時はそれなりの金属を使うんだ」


 そう解説されたところで、蒼也にはなにがなんだか分からなかった。


「蒼也くんにお詫びの品を渡したくてね」


 城崎がそう言いながら蒼也の耳に触れる。ファーストピアスだと言われて医者に渡されたピアスをつけているが、それを城崎が丁寧に外した。そうしてトレーの上のピアスを丁寧に蒼也の耳に装着する。耳元で城崎の息遣いが聞こえて、蒼也の鼓動が自然早まる。追い打ちをかけるように、あの匂いがふわりと鼻をくすぐった。


「どうかな?」


 すっと城崎の体が離れて、蒼也の目の前には鏡に写った自分の顔があった。耳に付けられたピアスは、似合うかどうかより金額が気になって仕方がない代物だ。綺麗な細工が施されたところに青い石がはめ込まれている羽のような形をしている。随分と蒼也の耳の形に沿う様なデザインだ。


「えっ   とっ」


 なんて答えたらいいのか分からなくて、視線だけで鏡の向こうにいる男性の様子を伺う。一瞬目が合った時、相手がニヤッと笑った気がした。そうして困り果てていてば、横から城崎が覗き込んでいる。そっと手が伸びてきて、ピアスをつけた蒼也の耳に触れた。その柔らかな指使いに蒼也の中の何かが跳ねた。鏡の中の自分の頬が朱に染まるのを見てしまい、慌てて顔を逸らす。


「蒼也くんの肌には青系が似合うと思うんだよ」


 逸らした顔の近くで城崎の声がする。目線だけをゆっくりとそちらに動かせば、城崎が笑っているのが見えた。立られて笑いそうになったけれど、そこは我慢して唇を引き結んだ。


「   どうも 」


 蒼也がそう返事をしたからか、外された蒼也のピアスを箱に入れるのが見えた。小さな茶色い紙袋に入れられて城崎の手に渡るのが見えた。


「じゃあ帰ろうか、蒼也くん。遅くなるといけないからね」


 城崎の手が自然に蒼也の手を引いた。決して強引では無いその手の力加減に蒼也の体は委ねられ、自然に城崎の隣に立つ。


「お気をつけて」


 片手でぞんざいに手を振る男は、最後に蒼也が振り返った時ウィンクをして見せた。それに蒼也が驚いているうちに扉が閉まりそのまま外へと出てしまった。

 城崎の車は入口付近に停めていたから、そのままキーロックを解除して城崎が蒼也を助手席に乗せようとした時、不意に声がかけられた。


「宜しかったらこの後お茶でもしませんか?」


 若い女の声ではあるが、質から言ってベータだろう。おそらく工房の教室にいた人たちだ。蒼也からはよく見えないけれど、工房に来るにはなかなかヒラヒラとした服を着ているようだ。


「この間も来られてましたよね?」


 もう一人の女の声がした。耳にまとわりつくような質感の声はあの佐々木とかいうベータの女を思い出させる。


「申し訳ないけれど、連れがいるものでね」


 城崎が、そう言って蒼也の方を見た。手を繋がれたまま蒼也は城崎の脇に立っていて、城崎の肩越しに金髪が揺れていた。


「   あら、じゃあ……っ」


 女がなにか言おうとした時、ふわっと何かが強く香った。車の影で姿は見えていないだろうけれど、城崎の肩の辺りから覗く金髪に女の目線が留まった。


「悪いけど、遅くなるのは困るんだ」


 城崎はそう言って蒼也を助手席に座らせた。扉を閉めて運転席側に回ると、女たちを一瞥する。


「アルファとオメガの間に割り込もうとする行為はお勧めしないな」


 その言葉を聞いて女たちが黙って俯いた。城崎が車に乗りこみ、その車が見えなくなるまで女たちは動けないでいたのだった。


「さて、嬉しいんだが   無意識なのかな?」

「なにが?」


 不貞腐れたような顔をして蒼也はサンバイザーに着いている鏡で自分の耳を眺めていた。まだギリギリのところで海は白い光を反射している。あと少しで赤を含んだ反射に変わることだろう。


「いや    無意識か」


 城崎は口元を片手で抑えて隠しながら小さく嗤うのだった。





「夕飯の時間には間に合ったよね?」

「八時までだから余裕だね」


 シェルターの入口でお土産を受け取りながら蒼也はこたえた。SNSで連絡を入れれば光汰は食堂にいるらしい。このまま部屋によらず食堂に行って蒼也も夕飯を食べるつもりだ。


「また、誘ってもいいかな?」

「   なんで?」

「ダメかな?」

「しらね」


 蒼也はそう答えてシェルターへの扉に手をかけた。


「ありがと、楽しかった」


 振り向きざまにそう言うと、勢いよく扉を閉めて駆け出した。それを見送った城崎は、貼り付けていた仮面をゆっくりと剥がす。シェルターの受付の防犯カメラの位置は把握しているから、そこを立ち去ればあとはショッピングモールの防犯カメラしかない。

 首都圏に近いベッドタウンのショッピングモールでは、日曜の夜の客足は引くのが早い。だいぶ閑散としてきた駐車場から車を動かし、城崎はシェルターの裏へと移動する。ログハウス風の建物は見た目のままコテージと呼ばれている。こちらは日曜の夜であっても利用者は多いようだ。見覚えのあるスポーツカーの隣に車をとめると、城崎はコテージの中に入っていった。


「お久しぶりですね」


 カウンターでグラスを揺らしているアルファは二階堂始、ここの管轄者である。


「こんな時間に珍しいですねぇ」


 二階堂がふざけてグラスを掲げれば、城崎は手で制する。


「車で来ていますから、それに俺のオメガはシェルターに帰しましたよ」

「……俺のオメガ?   へぇ」


 含みのある言い方と、目線で言いたいことは大体わかる。


「初日お前が触れたオメガだよ。あれは俺のだ」

「   それは、それは、おめでとう。と言っておこうかな」


 そう言って、二階堂は再びグラスを掲げた。


「まったく、代行で帰るのか?」

「いや、泊まっていくよ。シェルターのオメガと約束してるんでね」

「それが仕事とは羨ましい限りで」


 城崎はそう言うとマスターに手を振りコテージを後にした。

 その頃、シェルターの食堂に顔を出した蒼也を見るなり、光汰が怪訝な顔をした。


「蒼也、アルファ臭い」


 そう言って鼻をつまむ仕草をする。


「なに?アルファ臭いって」


 自分の腕を鼻の前まで持ってきて嗅いでみるけど、まるで分からないから蒼也は首を傾げるだけだ。


「もう、今日一日アルファと一緒にいたじゃん。だから蒼也にその人の匂いがついちゃってるの」

「そ、そうなの?」


 クンクンと鼻を鳴らしながら右手の袖の辺りに鼻が近づいた時、蒼也はようやく理解した。


「あ   」


 鼻にふわりと入ってきたのはあの匂いだった。確かに今日一日その匂いに包まれていたような気がする。


「はいはい、分かった?だから蒼也はさっさとご飯を食べて部屋に戻ってくださーい」

「なんだよそれ、お土産買ってきてやったのに」


 蒼也がお土産の入った袋を突き出せば、途端光汰の顔が明るくなった。


「え?ホント?」


 そう言いながら手を差し出す。渡したのは人気のお菓子だ。一口サイズの可愛らしいクルミ入りキャラメルクッキーで入れ物も可愛いから人気の品なのだと説明された。


「へぇ、可愛い入れ物」

「あ、みんなの分もあるよ」


 同じクラスになったオメガ女子たちにも渡すと、ようやく蒼也は席について夕食にありつけた。帰り際、目ざとい光汰が耳元で「いいもの貰ってんじゃん」と軽く耳に触れていったので、思わず蒼也は髪の毛で自分の耳を隠したのだった。

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