第52話 緊張と緩和の関係

「ベータ家庭のアルファだろ」


 城崎があっさりと正解を言ってきたから、蒼也は驚きすぎて固まってしまった。光汰や同じクラスの女子たちから何度も教えられてきてはいたけれど、イマイチ実感が伴わなかったせいで、今こうして理解が追い付いていないのだ。


「なんでわかるの?」


 蒼也が思ったままを口にすれば、城崎は口の端を少し上げて答えた。


「ありがちだからな。毎年いるんだよ。トラブルに発展しなくても、何かしら事を起こす一般アルファがな」


 城崎はあえてという慣用句を使ってきた。世間的にはあまり耳にしない言い回しだ。オメガにだったらよく使われるのはとかとか、蔑むような言葉が多いのだけれど。


?」


 蒼也は聞きなれない言い回しをそのまま疑問に思って、そのまま口にした。光汰から教えてはもらってはいないからだ。確かに、アルファにはランク付けのようなものがあって、誰でもわかりやすいのが、名家と呼ばれる家名を持つアルファで且つ本家筋ということだ。ついでに言えばオメガから生まれていて、しかも男オメガから生まれた方が体格がいい。と言われているらしい。たまに政略結婚でアルファ夫婦の間に生まれるアルファは、両親よりも能力が劣ると言われている。


「んあ?ってえのはアレだ、お前みたいにベータ家庭に生まれたやつのことをさすんだよ。もっともアルファの場合、蔑んでんだけどな」


 城崎に言われて蒼也は考えた。ベータ家庭にオメガが生まれれば、オメガ保護法によって生活が保障されるが、アルファには何もない。ベータより優れているのだから、生活に不自由が生じないからなのだろう。というより、オメガ保護法を作ったのがアルファだからだろう。人口のほぼ9割近くを占めるベータより優れているといわれるアルファを優遇する必要がないのが現状なのだ。だが、優れているからこそ、そこに格差が生まれるのだ。


「中学までは学年、下手すりゃ学校で唯一のアルファ様だったのが、高校に来たらアルファの底辺だ。名家と呼ばれるアルファに実力の差を見せつけられ、そのアルファの取り巻きベータとは能力の差がほとんどない。フラストレーションが溜まったのをオメガ相手に吐き出しちまうんだよな」


 城崎の説明を聞いて蒼也はなるほどと思った。確かに、一組には複数のアルファがいて、誰がどう見ても一之瀬と四ノ宮の名を持つアルファが頂点だろう。まして、一之瀬はこの地域のシェルターを管轄している名家であるから、シェルターのオメガが通う高校に対して支援や援助をしているわけだから、一組では一之瀬昴が一番だろう。おまけに父親はPTAの会長なのだ。四ノ宮颯斗は入学式で代表挨拶をしていた。つまり入試の成績が一番だったということだ。なにかと間に入ってくれる宮城洋一郎は、最近知った知識で言うところの裏名家である。今では弁護士だったり政治家だったりするけれど、ちゃんと裏としての顔は存在していると聞いている。実際、今現在蒼也にゼロ距離でソファーに座っている城崎が証明しているといってもいいだろう。


「それはなんとなくわかるかな」


 蒼也にとっての具体例は姉だ。

 ベータだけど、すごく頑張って(塾とかに金をかけて)高校にはいったから、姉は五組に在籍している。五組はベータの底辺と言われているのだ。


「ま、早めに自分の立ち位置を知ることはアルファには必要なことだからな」


 そう言って城崎は蒼也を抱き上げて自分の膝の上に座らせた。

 まだ成長期の蒼也は、膝の上というマージンをもらっても大人の男である城崎の頭より上に顔が行くことはない。むしろ鼻の前に城崎の髪の毛が来て妙にくすぐったい気分になってしまった。


「こうやって」


 城崎はしゃべりながら舌を蒼也の顎に這わせた。喉元の柔らかい皮膚をゆっくりと刺激する。妙な硬さと温かさを併せ持った刺激が蒼也の輪郭をなぞっていく。


「こうやって、毎日でもマーキングしてやらないと気が済まねえんだよ。ほんとはな」


 話し声と、呼吸と、それに合わせて不可思議な刺激が蒼也の尾てい骨に届いた。蒼也の髪を撫でる城崎の指先が時折項に触れるから、そのたびに蒼也の体が小さく揺れる。この程度のこと軽く流せるようになりたいのに、まだまだ蒼也には経験値が足りないのだ。目の前にいるのは捕食者であるアルファだ。だが、そのアルファが跪いて愛を乞うのがオメガである。孕む性と蔑まれ発情期があるせいで家畜のように扱われたことのあるオメガは、それでも強かに生きてきた。絶対的権力者であるアルファを意のままに操ることができたからだ。アルファが心底惚れるのはオメガだけ。本能で欲しがってしまう以上逆らうことができないからだ。歴史の陰には常にオメガがいた。名前は出てこなくとも、権力者であるアルファに近づきアレが欲しいコレが欲しいと言って富と権力、あるいは国さえも手に入れてしまったオメガがいた。オメガは番となったアルファのフェロモンしかわからなくなるが、だからこそ、自分のフェロモンを使って番となったアルファを意のままに操るのだ。それができなければ搾取されるだけの時代があったから。

 現代においては、フェロモンを操るのは意識さえすれば誰にだってできる。ただ、その強さは放つ本人の力量によるところが大きい。蒼也がシェルターで育っていれば、アルファに対する自衛策としてフェロモンを操る方法を教えられていたはずだった。だが、残念なことに蒼也はベータ家庭で育ってしまい今日を迎えてしまったわけで、強いオメガになりたいという気持ちだけで、今現在荒唐無稽な弁護士である暫定恋人と対峙しているのである。


「シェルーターにいるから、無理」


 項と腰を撫でる手を払いのけたいけれど、甘い痺れを伴った刺激が嫌ではなくて、それができないでいる。おそらく城崎にはそんな蒼也の葛藤はバレていて、だからこそ蒼也に対して放つフェロモンに強弱をつけているのだ。そらがわかってしまうからこそ、蒼也は悔しくて仕方がない。


「んっ、もう」


 腹の辺りから生まれた感情を払いのけようと声を出した時、思いがけずそれは成功した。


「っとお」


 城崎がのけぞる様に蒼也から離れたのだ。

 前に言われたことがあったが、無意識にフェロモンを放っていたことが蒼也にはあった。恥ずかしい話だが、嫉妬による威嚇のフェロモンだった。つまり、蒼也は無意識下で城崎を自分のアルファだと認識していたのである。本当のところ、フェロモンが体内のどこで作られているのかは解明されてはいない。だが確かに放つことができ、なおかつオメガは発情期になると全身から誘惑のフェロモンを放ちまくる。発生源はわからなくとも、意識して操ることは可能なのだ。蒼也が光汰から教わったことはただ一つ。下っ腹に力を入れて、ということだった。

 思いがけず威圧のフェロモンが出せてしまった蒼也は、ソファーの背もたれに完全に寄りかかっている城崎をまじまじと見つめた。ドラマや映画なんかで見るときは、映像効果で靄のようなものが足されていることが多いが、実際はフェロモン何て目には見えない。だがしかし、今現在確実に蒼也の放ったフェロモンが、城崎を押しのけたのだ。


「これが威嚇のフェロモン」


 出所はわからないが、何となく自分の両手のひらを見つめてしまう。理屈はわからないが、確かに下腹に力を入れたことでフェロモンが確かに出せたのだ。


「おいおい、ちっとは加減してくれよ」


 乱れた髪をかき上げながら、なぜか城崎は満足そうな顔をしている。


「初めてなんだから仕方がないだろ」


 ちょっとだけ頬を膨らませて言ってみれば、城崎は嬉しそうにその膨らんだ頬を手のひらで包んだ。


「番相手には手加減してくれよ」


 知らず目線があってしまい、逃げ場を失った蒼也は耳が熱くなった。


「お、今度は誘惑のフェロモンが出た」


 嬉しそうにそんなことを言った城崎の顔が近づいてきた。


「あ、ダメダメダ……」


 蒼也の鼻腔にふわりと甘い香りがやってきたのだった。

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