第55話 後の祭りとは言わせない
「お疲れ」
教室の窓から校庭で開催されている後夜祭をぼんやり眺める蒼也に、光汰が声をかけてきた。手にはカフェで残ったジュースがあった。
「残った食材はその場で消費なんだってさ」
そんなことを口にした光汰の顔は若干歪んでいた。
「うわ、もう食べたくないって」
割れたり崩れたお菓子は出せないからと打ち上げ用に配られたらしい。だが、オメガの生徒たちは試作したりなんだかんだと自分たちの作ったお菓子を食べまくってきたのだ。今更自分の作ったお菓子を消費したいなんて思わない。ついでに言えば、あちらの高校の文化祭が来週だから、シェルターの家庭科室ではいまだにお菓子が作り続けられているのだ。
「そーだよねぇ……あ、洋一郎これ上げるよ」
タイミングよくゴミ出しから帰ってきた洋一郎に光汰は自分の分を押し付けていた。
「え?まじ?腹減ってたんだ」
洋一郎は素直に喜んで光汰の分のお菓子を食べている。それを眺めながら蒼也は自分の手に残されたお菓子を見た。割れてしまったクッキーは見事に市松模様が崩壊していた。前向きに見れば、プレーンとチョコのクッキーの詰め合わせだ。
「ねえ、これも食べなよ」
蒼也はまだ執事服姿の女子に声をかけた。二人は味の違うマフィンを半分こしているところだった。教室には人がまばらで、片づけついでに後夜祭に参加している生徒もいるようだった。だから、残ったお菓子が渡されたのは教室に今いる生徒だけなのだ。
「え?いいの?」
蒼也の差し出したクッキーに手を伸ばしてきたのは、またもや彩音だった。
「うん。遠慮しないで。作った時にたくさん食べてたからさ」
蒼也はそう言いながら意識して軽くフェロモンを放ってみた。
「あ、りが、と」
蒼也からクッキーを受け取った彩音は、なんだかぼんやりとした顔をしていた。そんな彩音を未来は不思議そうな顔で見た。
「駄目だよ。斉川さん」
蒼也は半歩近づいてはっきりと名前を呼んだ。
それで彩音は瞬間的に真顔に戻った。
「この程度で当てられてたら駄目だなぁ。そんなんじゃフェロモンテロのいいかもだよ」
軽い忠告の感じで蒼也が口にすれば、彩音の耳がすぐに赤くなった。それを横目で確認しながら、蒼也はそのまま一組の教室を後にした。
彩音の隣にいた未来は、蒼也の言葉がはっきりと聞こえたから、蒼也の後姿を見送った後、すぐさま彩音の状態を確認した。一目瞭然なほどに、彩音は耳まで赤くなっていた。
「ちょ、うそでしょ彩音。これはまずいよ」
一瞬のうちに何が起きたか理解した未来は、彩音の手を引いて教室の隅に移動した。レンタル機器は月曜日の搬出だから教壇の辺りにひとまとめにされ、テーブルとしてつかわれていた机は高く調整されたままだ。テーブルクロスがたたまれて積まれ、残ったジュースが教室にいる生徒によって分けられていた。未来と彩音は少しぬるくなった紅茶を紙コップにもらっていた。
「飲みなよ」
未来に言われるまま彩音は紙コップから紅茶を飲んだ。乾きが満たされたからか、彩音の表情が落ち着きを取り戻した。彩音の状態に心当たりのある未来は簡単な対処方法ぐらい知っていた。未来が初めてこうなった時は中学の夏休みだった。オメガの母から香ってきたフェロモンを嗅いだ時だ。突然沸き上がった乾きに心臓がバクバクして、部活にもっていく水筒の中身を飲み干してしまったのだ。それがアルファとしての初めての自覚であったし、帰宅したアルファの父親から、アルファのフェロモンを感じたのもその日が初めてだった。アルファは家庭でフェロモンを学習するものなのだ。
「
未来は袋から取り出したクッキーの匂いを嗅いでから彩音の口に押し込んだ。
「ぁりがと……」
クッキーを食べさせられた彩音は、うつむいて目線を校庭に向けた。楽しそうに軽音部の演奏に合わせて歌っているのはベータの生徒だろう。バス停にはバス待ちをしているオメガの生徒が見える。
「勉強した方がいいよぉ」
未来が突然そんなことを言ってきたので、彩音は驚いて未来の顔を見た。
「同じアルファはだから一緒にいるけどさ、彩音あなたいろいろ知らなすぎだよ。この辺に住んでるベータよりモノを知らないよね」
ため息交じりにそんなことを言われては、アルファとして胸を張って生きてきた彩音は内心の感情を隠さずそのまま顔に出すしかない。
「ほら、それ。彩音はさ、一般のオメガと一般のアルファが同じだと思ってんでしょ、違うからね。一般のアルファってバカにされてんだよ?逆にオメガは一般ってだけで守られちゃうの。知ってた?」
それってシェルターのことでしょ。と喉まで出かかったけれど、どうにもひっかかる言い方をされて、彩音は黙って未来を見つめた。
「石川くんの番様見たでしょ?あの人誰だかわかった?わからないとかないからね。ここのシェルターの管轄がどこの名家かなんか、誰だってわかることでしょ?アルファはその先まで知っておかなくちゃいけないのよ。
未来の口からどんどん情報があふれてきて、正直彩音の頭はパンクしそうだった。
「仕方がないから教えてあげる。明日彩音の家に行かせてもらうわ。親の教え方がなってないとしか言いようがないわ。いくら両親ベータだからって、この高校の卒業生なんでしょ?ないわぁ」
未来に痛烈にダメ出しをされて、彩音は正直傷ついた。両親どころか、祖父母からだって彩音はことあるごとに教えられていたのだ。だが、それを聞き流していたのは彩音なのである。
「申し訳ないから、私が未来の家に伺うわ」
「無理」
即答で断られ、彩音は驚きすぎて口をぽかんと開けてしまった。
「うちの両親番なの。言ってなかったっけ?アルファを家に入れられるわけないでしょ?常識だよね?」
またもや深いため息をつかれてしまい、彩音はただひたすらに未来の話を黙って聞くしかなかったのであった。そして、妥協案として、カラオケボックスにて未来から個人レッスンを受けることになったのだが、なぜカラオケボックスなのかを身をもって知った彩音なのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます