第56話 清く正しく美しい未来を

「チケットは持ってますからご心配なくぅ」


 そう言って蒼也はひらひらと文化祭の招待チケットを城崎の顔の前に突きつけた。

 蒼也たちの高校の文化祭の翌週は、隣の実業高校の文化祭である。シェルターの専属弁護士である城崎は、当然招待されているから行かなくてはならないわけで、その当たり前がなんだか悔しい蒼也は、俺も行くと言ってこのような行動に出たのである。

 もちろん、招待チケットは同じシェルターの生徒からもらったものだ。当然だが、蒼也の招待チケットと物々交換をしたのである。建前としては、自分が発案したかぼちゃ味のお菓子がどんなふうに売られているのかを見るためとしてある。本音は城崎がどんな顔をして他校の文化祭を見て回るのか監視するためである。麗子の一件以来、蒼也に対してエロおやじ全開の城崎の、働く姿を見てみたい。なんて本音は口が裂けても言えないのである。


「なるほど、この番号か」


 招待チケットの裏にはある番号で、誰からもらったものか分かったらしい。なかなかな記憶力だと思いつつも、穏やかではいられない。


「なんかその言い方むかつくわぁ」


 車から降りて、蒼也はそのまま入り口に向かって歩き出した。招待状を持っている城崎は、どうせ挨拶したり営業スマイルで教職員たちとおしゃべりでもするだろう。だからこそ、蒼也は入場しなくても買えるという野菜や果物がどんなものなのか気になっていたから、校門付近でにぎわっているそこに近づいたのだ。


「これは凄い」


 スマホ画面で見させられた去年の様子なんかじゃわからなかったが、熱気がすごかった。蒸しパンは出来たそばからうれていき、「熱いから気を付けてくださいね」と言う生徒の声は半ば怒鳴っているようにも聞こえた。「一人三点までです」と言っているのが同じシェルターのオメガだと気がついて、蒼也は写真を撮ろうとしたが、誰かにその手を止められた。


「撮影は禁止なんだよ」


 横を見れば、生徒会長の四ノ宮優斗しのみやゆうとだった。


「招待されたんだ。蒼也くんは……一人じゃないよね?」


 優斗はそう言って辺りを見渡すと、蒼也からスッと離れた。


「受付にいるみたいだから、早く行ってあげて。回りが困ってるよ」


 何のことを言っているのかと思いつつ、受け付けの前に来て蒼也はようやく理解した。なんとも迷惑なアルファがいたのだ。原因が自分だなんて理解していない蒼也は、わざとらしく背後から城崎に抱き着いた。


「おまたせ」


 城崎の背中越しに受付を見れば、驚いた顔をした制服の生徒がいた。


「これ、俺の分ね」


 ひらひらと招待チケットを出せば、隣の生徒がすぐさま受け取り案内される。


「靴を履いたままどうぞ」


 蒼也たちの高校と同じく、床にシートが敷かれていた。基本アスファルトの上しか歩かない現代人であるから、極端に土を落とすことなんてないだろう。


「行こうよ」


 自分だけが案内されたことぐらい察していたが、蒼也はわざとらしく甘えた声で城崎の腕を引っ張った。


「処理はきちんとしておいてくれ」


 城崎を引き留めようとしている生徒に、冷たく言い放ち、城崎は蒼也にひかれるようにしてその場を後にした。毎年いるのだが、なぜだか城崎に淡い恋心を抱いてしまうのだそうだ。今年は蒼也がフェロモンを放ち続けたおかげかどうかは知らないが、案内役を申し出る教師もいなくて快適に過ごせたらしい。城崎は一応業務の一環なのだが、蒼也のおかげで楽しめたことに違いはなかった。

 そうして、昼すぎに城崎の事務所に戻ると、蒼也は城崎を事務所のソファに座らせた。


「30分ぐらいまってて、キッチン借りるから。絶対覗くなよ」


 かわいい番に言われれば、好奇心はしっかりと鍵付きの箱にしまい込むしかない。途中蒼也がコンビニで買いこんだものを考えれば、だいたい何をしようとしているかぐらいわかるというものだ。

 城崎は溢れ出そうになるフェロモンを押さえつけ、両手を組んでソファに深く座り込んで待つことにした。たかが30分、されど30分なのだ。


「おまたせ」


 きっかり30分経った頃、蒼也が扉を開けて入ってきた。手には皿があり、城崎の予想通りの食べ物が乗っていた。


「メイド喫茶って言ったらこれだろ?」


 きれいな黄色の卵がのったオムライスだ。中身が冷凍ピラフなことぐらい知っている。町中にあるメイド喫茶だって似たり寄ったりだろう。重要なのは、かわいい番が作ったことで、しかもメイドのコスプレをしていることだった。文化祭の日もそうだったが、今回も色つきのリップをぬっている。姉からもらったというところがなんとも言えない。


「お待たせしました。ご主人様」


 出されたオムライスにはすでにケチャップでハートマークが描かれていた。コンビニで買ったのが小さな使い捨て容器だったから、描かれたハートが小さいのが少し不満ではある。


「じゃあ、食べようか」


 皿に置かれているスプーンは一つだった。


「はい、あーん」


 蒼也は城崎の膝に座ると、スプーンでオムライスをすくい、城崎の口へと運ぶ。あまりの出来事に城崎が驚いているというのに、蒼也はお構いなしだ。


「ほら、口開けて」


 もはやしゃべり方がメイドではなくなっているが、城崎は素直に口を開いて食べるしかなかった。何しろかわいい番が食べさせてくれるのだから。


「あ、結構おいしいじゃん。お姉さんたちの言ったとおりだ」


 蒼也の口からなる単語を聞いて城崎は理解した。これはつまりいやがらせなのだ。自分たちに塩対応しかしてこなかった城崎に対して、シェルターのオメガたちからのいやがらせ。

 なぜなら、蒼也はそのお姉さんたちからもらったオメガ男性用の下着を身に着けていたのだ。黒いメイドのスカートの下で目立つようにあえて白が選ばれた。もちろん上下セットであるが、わざわざ教える必要はない。


「あ、ああ、うまいな」


 前回のような失態は避けたい城崎は平静を装うしかなかった。蒼也も食べるから、当然オムライスに仕掛けはしてはいないが、実際味がしないとはこのことだ。実を言うと、城崎に試作品のお菓子を渡した日の夜、夕食時に蒼也が盛大に愚痴ったのだ。それをしっかりと聞いてくれたのは、光汰ではなくシェルターのお姉さんたちだったのだ。その日のうちに隣接するショッピングモールで件の下着を買い、談話室で蒼也にしっかりと入れ知恵してくれたのだ。「シェルター専属の弁護士先生ですもの、法律をしっかりと守るにきまってるわ」とニコニコしていた。つまり、美味しいエサを前にお預けを食らわせたいのだ。もちろん、そのお預けは蒼也が18になり、高校を卒業するまでだ。それまで未成年の蒼也に対して性的な接触、及び番うことは禁じられている。

 シェルター専属弁護士である城崎が、オメガ保護法を守ることは当然すぎるほど当然なことなのだ。


「だろ?俺って天才だよな」


 蒼也は自画自賛しつつ、わざとらしく城崎の膝の上で足を組んだ。黒い短めのスカートから、白い肌と白い下着が垣間見える。

 城崎の喉が違う意味で音を立てた。


「俺、強いオメガになるから」

「ああ」


 城崎の声は何処か唸っているようにも聞こえた。


「だから、ちゃあんと見守ってくれよな。弁護士センセ」


 かすめるように触れたのは何だったのか考えるいとまもないままに、蒼也は城崎の膝から飛び降りた。


「皿洗ってくる。……あ、コーヒーメーカーの使い方教えてくれよ」


 背中越しに聞こえる番の声は、少しだけいつもと違っていた。それはまるでテーブルの上に置かれたマフィンのように。

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