第51話 騎士と魔王
フラーネに続いてリツァル蒼騎士団の本部を歩いていると、やがてふたつ、気になることがあった。
ひとつは、建物内の妙に奥まった場所に向かっていること。てっきり、面談用の会議室かどこかに案内されるものと思っていたが、どうもその雰囲気じゃない。
もうひとつは、フラーネの態度だ。さっきまであれほどご機嫌だったのが、次第に無口になっている。背中から感じるのは、緊張感だ。
「フラーネ。本当にこっちで合っているのか?」
「……え? あ、はい。大丈夫です。今、この時間は資料室にいらっしゃるとのことなので」
「資料室? 誰が?」
「リツァル蒼騎士団団長、ガルモサ・コンティエイス殿です。今回のリェダ先生さんとの面談では、騎士団長自らがお話したいそうで」
まさか組織の長が直々に出張ってくるとは思わなかった。
団長室ではなく、資料室。気安さの表れか、学者肌なのか。それとも人目に付かせたくない事情があるのか。
元魔王にとっては、正直どうでもいい。
気にすべきは、目の前の教え子の態度だ。
「フラーネ。お前、何か隠していないか?」
「ど、どうしてそう思うんです……?」
「ひどく緊張している」
リェダは教え子の勇者をじっと見つめる。フラーネは眉を下げ、指先で頬をかいた。気まずそうな表情である。
「正直に言いますと……私、ガルモサ殿がちょっと苦手なんです」
「何だと。まさか勇者に不届きな真似をする輩なのか」
「違います違います。何というか、普段はいいんですけど、改まって真面目な話をしようとすると、何かこう……変に緊張しちゃうんですよね、私が。もちろん、騎士団長として立派な方ですよ。それは胸を張って言えます。私のことも気にかけてくださってますし」
個人的な話ですので、本当に気にしないでください――とフラーネは言った。「なるほどな」とだけ、リェダは応えた。
やがて、フラーネの足が止まる。ひんやりした廊下の一画に扉。ここが資料室らしい。
「失礼します。団長殿、フラーネです。例の方をお連れしました」
やや硬い口調で告げる。すると、中から苦笑交じりの男の声が聞こえてきた。
「ここは資料室だよ。君の入室を拒む者は誰もいない。遠慮せず、入りなさい」
ずいぶん柔らかい物言いをする団長様だなとリェダは思った。フラーネがいつもより緊張していることを感じ取って、和ませようとしたのか。
リェダは騎士団長に対する認識を、少しだけ改めた。
フラーネに続き、資料室へ。
紙の本がぎっしり詰まった空間独特の臭気が漂う。入り口正面の書棚の前で、ひとりの男が立ったまま本をめくっていた。
リェダよりもやや低い背丈ながら、引き締まって均整の取れた身体付きをしている。灰褐色の髪を短く切り揃えて、清潔な見た目だ。思ったよりも若い。まだ三十代前半と見た。
彼が騎士団長ガルモサ・コンティエイスか。
フラーネが資料室の出入口脇に控えて立つ。団長の前では緊張してしまうという話は誇張でないらしい。教え子の紹介を引き継ぎ、リェダは
「エテルオ孤児院院長、リェダです。お呼び出しに従い、伺いました」
「リツァル蒼騎士団団長ガルモサ・コンティエイスです。急な呼び出しになってしまい、申し訳ない。早くあなたと会って話がしてみたかった。ここなら、肩肘張らず話ができそうだからね」
静かで、友好的な口調でガルモサが応えた。
リェダと視線が合う。
互いに敵意を抱いていないことは、その些細な仕草で伝わった。往々にして孤児院以外の他人に興味を持たないリェダにしては、珍しいことだった。
ガルモサがふっと微笑む。
「私と初対面で驚かないのは、珍しいことだ」
「……?」
「おや、気づかれていない? 私のことを知らない人間は、私と目を合わせるとたいてい狼狽えるのだが」
言われてリェダは瞠目した。
騎士団長の瞳の色。ややくすんだ赤銅色だ。
穏やかで理知的な瞳だとリェダは思っていたが、確かに、言われてみれば魔族を連想させる赤系統でもある。もっとも、元魔王からすれば馬鹿げた話だ。本物の魔族はもっと毒々しく鮮やかな赤色をしている。今、目の前にいる男とは似ても似つかない。
だからリェダは肩をすくめて、「別に」と答えた。
「これから雇用主になるであろう相手に、『お前は魔族か』と怯えるのは失礼でしょう」
「はっはっは。聞いていた以上の人物ですな、あなたは。これは面談の必要もなさそうだ」
その言葉どおりに、さっさと実務の話を始めるガルモサ。リェダが持参した後見証明書に、騎士団長直筆の署名を書き加える。後ろでフラーネが固唾を呑んで見守っている様子がわかった。
若き勇者少女をちらりと見て、ガルモサは口を開く。
「実は私も昔、勇者を目指して選抜闘技大会に出たことがあってね」
事前に用意していたのか、資料室のテーブルに手際よく書類を並べていく。
「個人戦と集団戦は良いところまでいったが、どうしても『型』が駄目だった。ステラシリーズを最後まで扱えなくてね。ライバルたちには『瞳の色のせいじゃないか』とずいぶん揶揄されたよ」
「愚かしい」
「ははは。まあ、結局自由騎士になることはできなかったが、幸いに私の力を認めてくれる方々がいてくださったおかげで、こうして栄えある団長職を拝命している」
団長自ら書類の記入場所を指示しながら、リェダの顔をのぞき込んできた。
「君は――もし瞳の色が違っていたら、私も勇者になれたと思うかね?」
「それこそ愚かしい質問だ」
つい、常の口調で答えてしまう。リェダは書類にペン先を走らせながら言った。
「その程度の違いで、魔族に対抗できるかできないかが決まるわけはない。ましてや魔王を打ち倒す傑物など生まれようはずもない。魔族に対抗しうる才と誇りと努力。それ以外で勇者を決めるなど、無駄な犠牲を増やすだけだ」
「ふ――ふっはっはっは!」
この部屋に入って一番の笑声を上げて、ガルモサは元魔王の肩を叩いた。
「そう、私もまったく同感だよ。リェダ。君を呼んでよかった。合格だ」
「……?」
書き終わった書類を預かるガルモサ。最後に一枚、騎士団長は上質紙を差し出す。「大事に持っていてくれ」と言われたそれは、辞令だった。
「リェダ。あなたには我が騎士団で、若手の訓練相手となってもらいたい。次回の選抜闘技大会出場予定者――すなわち、未来の勇者をあなたの目で見極めて欲しいのだ」
◆◇◆
「――ということで、今日からこの方があなたたちの教官です。皆、敬意を持って接するように」
「勇者フラーネ。それは話が違う。俺の役目は教官ではない。訓練相手だ」
――リツァル蒼騎士団本部、複数ある修練場のひとつ。
数人の若手騎士たちを前に、フラーネ・アウタクスが堂に入った演説を締めくくると、隣に立つ元魔王は苦言を呈した。
騎士団長ガルモサから辞令を受け取ったリェダは、そのままフラーネに手を引かれ、この修練場まで連れてこられた。いきなり現場に放り込まれたも同然である。
フラーネは、この状況が嬉しくて嬉しくて仕方ないのか、リェダが何を言っても浮かれた返事しかしない。
哀れな若手騎士たちは、自分たちが目指すべき現役勇者の興奮っぷりと、彼女が連れてきた『勇者の育ての親』の冷静ぶりに、ただただ圧倒されている。
リェダは、資料室から去り際にガルモサから聞いたことを思い出した。
『勇者フラーネは稀代の実力者だが、数少ない欠点として他人への教授が苦手のようでね。彼女を幼少期から育て、勇者の技ステラシリーズをその目で見た経験も持つあなたなら適任だ。周りにも説明しやすい。それに、あくまで訓練相手という建前であれば、一般人であるあなたが選ばれても角は立たないだろう』
さすが騎士団長に選ばれるだけはあるなとリェダは感じ入った。
ガルモサの配慮を、当の勇者が蔑ろにしようとしているのは問題だが。
不満そうなフラーネを脇に置き、リェダは若手騎士たちの顔を見渡した。
リツァル蒼騎士団の代表候補だけあって、皆相応の実力者であることはすぐにわかった。姿勢に芯がある。意外にも、女性騎士の方がやや多かった。フラーネに触発されたのだろうか。
戸惑ったように互いの顔を見合わせている。中には、険しい視線をリェダに向ける若手騎士もいた。まあ当然だろうとリェダも思う。
「外部協力者殿。少しよろしいですか」
最も背が高く身体も大きい男性騎士が口を開く。
「我々は
威圧の視線がリェダに叩きつけられる。
「本気で相手をしてもらう。それで構いませんね?」
「あなた……!」
途端にいきり立つフラーネを抑え、リェダは青年騎士の前に進み出た。
互いに身長はほとんど変わらない。視線が真正面からぶつかった。
静かに緊張感が積み上がっていく。
リェダは心の中で数字を数える。数えながら、じりじりと殺気を強めていく。
青年騎士が瞠目し、腰に提げた剣を一息で引き抜いた。身体が流れるまま、リェダの脇腹へ刃を走らせる。
直後、リェダの片手が青年騎士の剣を受け止めていた。場違いなほど軽やかな音と水飛沫。リェダの手のひらに、防護の水魔法が張られていた。
「良い一撃だ」
と、リェダは言った。いつもの口調だった。
「殺気を感知するタイミングも許容範囲。これなら魔族を相手にしたときでも、一方的に
「な……!?」
「だが注意すべきだ。この距離まで詰められたのなら、ただの剣撃はへし折られる可能性がある。確か、ステラシリーズは魔法の一種だろう。咄嗟の一撃でも、魔力を込められるとより確実だろうな」
防御魔法を解く。殺気も
抜き身の剣先を震わせて、青年騎士が唖然とつぶやいた。
「まさか……無詠唱魔法? そんなものが存在するのか……?」
「さて。どうだろうな。エルなら詳しいだろう。もし会えたら聞いてみるといい。ああ、少々意思疎通に難がある子だから、焦らず話をしてもらえると助かる。ついでに友人になってくれると、育ての親としては非常に嬉しい」
目を白黒させる若手騎士たちの前で、リェダは気分良く告げた。
――さすがリツァルの精鋭。若くても充分な実力だ。こういう人材がいるのなら、リツァルの防衛力にも大いに期待が持てる。
リェダは微笑んだ。
「このような感じで君たちの訓練に付き合っていこうと思う。問題はないか?」
全員、ただただ圧倒されるだけであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます