第2話 魔族を狩る魔王
ツェーリ領主の館を遠く望む丘の上。
空はまだ深夜の星空で埋め尽くされている。
丘の端に立った仮面の男は、静まりかえった領主の館をじっと見下ろしていた。
そこへ仮面の女がやってくる。
「陛下、お待たせいたしました」
彼女は恭しくひざまずくと、作業が完了した旨を報告する。
仮面の男はうなずく代わりに――大きくため息をついた。
「ティアロナ。俺はもう魔王の座から降りた身だ。陛下と呼ぶのは
「申し訳ありません。リェダーニル・サナト・レンダニア様――いえ、リェダ様」
「……お前。もしかして怒っているのか?」
仮面の男――リェダはやや困惑気味にたずねた。彼の口調からは、先ほどまでの苛烈さがなりを潜めている。それは自分のことを『我』から『俺』と呼ぶようになっていることからも知れた。
仮面の女――ティアロナはぷいとそっぽを向く。
「おひとりでおいでになろうとするからです。『制裁』に向かわれるなら必ず
「すぐに追いつくあたり、さすが我が最高の部下だった女だ。優秀で俺も鼻が高い」
「そんな、もったいないお言葉です……って、話を逸らさないでくださいまし」
仮面の奥で赤い瞳がリェダを貫く。彼女もまた、魔王に準ずるほどの力を持つ魔族である。並の人間なら気絶しそうなほどの圧を、リェダはさらりと受け流した。
ティアロナは肩を落とすと、気を取り直して『成果物』を差し出した。
薄らと白く染まった、半透明の球体である。大きさは幼児の手のひらほど。球体の中では同じく白い炎が小さくゆらゆらと灯っている。
「男爵に扮していた魔族が喰らっていた、あの子の魂です。他にも相当喰っていましたね。魂を選別するのに少々時間がかかりました」
「他の魂は?」
「解放しました。持ち主のところへ自然と還っていくことでしょう。ただ、完全に元通りになるかは運次第です」
そうか、とうなずいたリェダは、魂の球体を受け取った。
その輝きをよく見ようと、自らの仮面を外す。
現れたのは、人間でいうと二十代後半の男の顔。精悍な顔立ちといってよいだろう。黒の短髪がそよ風にわずかに揺れる。瞳と並んで魔族の証である長い耳には、ところどころ、色付きの紋様が刻まれていた。リェダの特徴である。
赤い瞳を持つ目が、不意に細められた。優しげな表情だった。
「良い。これであの子も元気になる。ご苦労だった。ティアロナ」
「ありがとうございます。それと、リェダ様」
ティアロナが立ち上がり、
滑らかで細い指。半透明の球体から漏れるかすかな光で、ティアロナの褐色肌が闇夜に浮かび上がる。
リェダの顔を包み込むように、だが決して触れないようにしながら、彼女は小さく詠唱文を口にした。夜の色と同化した魔力の光が、主の顔を柔らかく撫でる。すると、魔族の証たる赤い瞳と長い耳が、人間のそれと変わらない色と長さに変化した。
この辺りの地域ではごくありふれた薄茶色の瞳が、頼れる女魔族を見る。
「いつも済まないな。お前がいてくれて助かった」
偽装魔法。ティアロナはこの分野において他の追随を許さないほどの熟練者だ。リェダは彼女の技量に全幅の信頼を寄せている。
自分自身にも偽装魔法をかけながら、ティアロナは数歩下がった。
「あなた様は、お優しい顔をするようになりましたね。魔界で王として君臨なされていた頃とはずいぶんと違う」
「なんだ。不満か?」
「いえ。私はリェダ様の喜び、怒り、微笑みを共有できるだけで幸せです」
「お前のことだから、『魔王として惰弱な態度は控えてください』とでも言うのかと思ったぞ」
「そのときが来れば、そう申し上げます。何度でも。そして私は、そのときが来ることを常にお待ちしております」
「そのとき――か」
つかの間の沈黙。
再びその場にひざまずいたティアロナへ、リェダは手を伸ばす。彼女の顔にはめられたままの仮面をゆっくりと取り外した。深紅の前髪がはらりと額に落ち、怜悧さを感じさせる切れ長の目がリェダを見つめる。
仮面の代わりに、リェダは懐から紐付きの黒い布を取り出した。ティアロナの口元を覆うマスクである。
「俺の魔力を込めてある。これで少しは楽になるだろう。こちらの世界の空気、お前は苦手にしていただろ」
「リェダ様の、マスク」
「……言っておくが、これは食べ物ではないし、未使用だし、俺は魔力をこめただけだからな」
無意識に涎を拭う優秀な部下に、リェダは言い含めた。
――ふと。
二人の魔族は丘の下、館の方に目を向けた。
いつの間にか、館の周囲が明るくなっている。十本ほどのたいまつが照らしているのだ。
「兵士たちが到着したようだ。さすが、魔族が絡むと仕事が早い」
「そうでしょうか? 結局、リェダ様のお力がなければ奴の正体を見破ることも、ここに駆けつけることも叶わなかったでしょう」
「そう言うな。あの兵士たちには一応、借りがある」
たいまつを持った兵士たちが館に入っていく。彼らは、リェダとティアロナが密かに流した情報を頼りに集まってきたのだ。ただの魔族なら消し炭にすればいいが、領主に化けていたとなると、さっさと人間に見つかって正体を確認してもらった方が後始末は楽だ、とリェダは考えていた。
リェダもまた、魔族を狩る側の存在である。少なくとも、人間世界にいる間は。
「所詮、彼らは
ティアロナは手厳しい。基本、一般人には無関心な彼女らしかった。それは、リェダも同様である。
「ま、彼らが仕事熱心だろうと無能だろうと、どちらでもいいさ」
踵を返す。
「俺たちの邪魔にならなければ、な。行くぞ、ティアロナ」
「はい。リェダ様」
元男爵の魔族から回収した球体を大事に抱え、彼らは夜闇の中へと姿を消した。
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