第3話 エテルオ孤児院の院長先生


 ――ナタースタ王国西部。国境まで四十キロほどの場所にある、緑豊かな田園地帯。

 静かな湖畔、鳥たちのさえずりが心地よい林の中に、一棟の建物がある。


 エテルオ孤児院。


 美しい白壁、磨かれた鐘が陽光を反射する鐘楼。二階建てで、いくつも窓が見える。

 田舎の建物にしては、立派なたたずまいだ。ちょっとした旅の宿と言われても、十分にうなずける。


 日中。

 孤児院と湖との間にある広場で、子どもたちが思い思いに遊んでいた。

 年齢も、性別も、もちろん顔付きもバラバラな孤児院の子どもたち。数は十人ほどだ。

 走り回るわんぱくっ子を年長の子が叱ったり、連れ戻したり。一方で、木陰で静かに本を読んでいる子もいれば、ごっこ遊びに熱中している子もいる。

 笑い声、話し声、時々怒り声と泣き声。ごくごく平穏な日常風景であった。


 ――ツェーリ男爵が魔族として討伐されてから、約一週間が経過していた。


「あ! リェダ先生」


 子どものひとりが、林の中から戻ってきた男を見つけて声を上げた。

 途端に複数の幼子たちが、彼の元に集まってくる。


「おかえりなさい!」

「ああ。ただいま。お前たち、元気に遊べたか?」


 集まってきた子どもたち一人ひとりの頭を撫でながら、男は穏やかに言った。


 邪魔にならないよう短めに切った黒髪、優しげな色をたたえる薄茶色の瞳。農作業がしやすいよう、厚手のシャツとズボンをはいている。洒落っ気など皆無で、服にはいくつも補修の跡があった。右手には、野草が詰まった手かごを持っている。

 子どもたちから「先生」と呼ばれた男は、このエテルオ孤児院の院長リェダである。


 声を聞きつけ、孤児院の扉が開く。褐色の肌、深紅の長髪を結った女性が出てきて、リェダの元へ歩いてきた。


「おかえりなさい。院長」

「ただいま、ティアロナ。これ、頼む」

「はい」


 言葉少なくかごを受け取ると、軽く一礼して建物に引き上げていく。黒いマスクをしているせいもあって、表情が読み取れない。長袖、ロングスカート、白のエプロンと、こちらも院長と同じく実用重視の格好だった。ただ、エプロンの端に可愛く刺繍を施している。


 途中、年少の子にちょっかいを出していたお転婆少女に、ティアロナは軽く睨みを利かせて黙らせた。孤児院内の秩序維持は、主に彼女が担っている。


 孤児院で働く職員ティアロナ。口数が少なく表情の変化も乏しく、怒らせたら怖いが根は優しい先生――それが子どもたちの評価だ。


 野草採取を終えたリェダは足腰をほぐした。同じ姿勢はさすがにキツイ。


「先生」


 そのとき、ひとりの利発そうな少年が駆け寄ってきた。孤児院に繋がる道を指差す。


「商人さんたちがきたよ。荷馬車がガタゴトいってる」

「わかった。時間通りだ。――ああ、ところでレストス」


 名を呼ばれた少年は振り返る。リェダはしゃがんで少年と視線を合わせた。長身のリェダと八歳のレストスでは身長差が大きすぎた。


「足の具合はどうだ。痺れたり、痛くなったりすることはあるか?」

「だいじょうぶ。ぜんぜん、前と同じだよ」

「そうか。でも、まだ治って一週間くらいだ。無理はするな」

「うん。わかった」

「それと、何にでも興味が湧くからって、また勝手に孤児院を抜け出したりするなよ。心配する」

「う……ごめんなさい」

「よし。行っていいぞ」


 踵を返し、孤児院の方へ走っていくレストス。言葉通り、以前と変わらない健脚ぶりだった。

 少年の後ろ姿を柔らかな微笑みで見つめていたリェダは、数秒後、スッと表情を消した。

 孤児院に近づいてくる荷馬車を待ち受ける。


 行商人の馬車であった。

 特に何の変哲もなく、怪しいところもなく、むしろ顔馴染みで世話になっている商人だ。

 商人は、孤児院に食料や生活雑貨を定期的に売りにきていた。今日はその『いつもの日』である。


「こんにちは。リェダ院長」

「こんにちは」


 型どおりの挨拶を交わす商人とリェダ。

 これ以上の雑談は無用とばかり、必要な商品の選別と代金の用意を始める院長先生に、商人は苦笑した。いつもの光景で慣れているとはいえ、『先生』の割にはあまりに愛想がなさ過ぎる。


「リェダ院長、年寄りの小言で恐縮だが」


 一通りの取引を終え、商人は口を開いた。穀物の入った箱を抱えたまま、首を傾げるリェダ。


「もちっとこう、愛想よくしてみてはどうかね。笑顔なり、雑談するなりさ。ワシはあんたがこっちに来てから知っとるから、今更驚きもしないし、不快にも思わんが、他の連中はそうじゃないだろう」

「……そういうものか? しかし、あまり必要性を感じない」

「まあ、ここは田舎領地でもさらに田舎だから、人との交わりなど気にしなくてもよいだろうがね。子どもたちにはすこぶる優しいのだから、その十分の一でも振り向ければずいぶんと違うと思うよ。これは院長だけでなく、ティアロナにも言えることだが」


 リェダは空を仰いで考えた。やがて、ハッとして商人を見る。


「無名無力の大人たちにも、玩具を作ればよいということか?」

「子ども扱いしろと言ってるんじゃないよ。……まあ、その変わり者っぷりじゃあ、言うだけ無駄かの」

「よくわからない」

「ああ、いいさいいさ。気にしなさんな。孤児院の子どもたちを平穏無事に育てているだけでも立派なもんだ。ほれ、必要なものは以上かい?」


 金のやり取り、そして別途確保していた薬草を商人に譲り、取引を終える。

 次の目的地を地図とメモで確認する商人に、リェダは声をかけた。


「いつも感謝している。ありがとう」


 商人は地図を手にしたまま目を丸くした。

 それから、年齢と経験を感じさせる顔に笑みの皺を作って、ゆっくりと会釈した。


「こちらこそ。またごひいきに」


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