第4話 さまよう魔族、魂の価値


 ――エテルオ孤児院に夜が来た。


 街や村から離れているので、人の声は聞こえない。その代わり、風で湖面が波立ったり、林に暮らす鳥や虫たちのさえずりが耳に入ってくる。

 孤児院で暮らす子どもたちにとっては、子守歌代わりだ。


 皆が寝静まったことを確認したリェダは、足音を――文字通り――立てずに一階へと降りた。キッチンやダイニングを見回っていたティアロナと合流し、院長室で一息つく。


「レストスの魂、問題なく定着したようですね」


 壁際に置かれたソファーに腰掛け、ティアロナが言う。彼女は今、マスクを外し、少しだけホッとしたような表情を浮かべていた。

 部屋の奥、執務机の椅子に座ったリェダは、彼女よりも感情が外に出ていた。微笑んでいる。


 ――一週間前。


 ツェーリ男爵の館で、男爵に化けていた魔族をした二人組。

 それは他ならぬリェダとティアロナ。この院長室で寛ぐふたりであった。


 討伐――正確には、見せしめだろうか。リェダは魔族を戦闘不能になるまで痛めつけた上で、水属性の魔法で氷漬けにしていた。魔族は男爵の服をそのまま着ていたので、駆けつけた兵士は一目で『魔族が化けていた』とわかっただろう。


 リェダたちの目的は、レストスの『魂』の回収。そして、彼の魂を理不尽に奪った輩に対する制裁だった。


 魔族は、人の魂を喰う。

 だが、その表現には語弊がある。

 魔族にとって人の魂は『絶対に必要』というわけではない。彼らが魂を喰らうのは、ひとえにだ。


「最近の魔族ゴミクズどもには珍しく、領主に化けるなどと知恵を働かせた奴だ。肉体にじっくり馴染ませるような真似をされたら厄介だったが……あくじきがこちらに幸いした」


 笑みを消し、リェダが言う。

 彼は額を押さえた。


「俺が言うのもアレだが、人間世界に来る魔族はどうしてこう刹那的なんだ」

「それは私に対する当てつけですか? リェダ様」

「理解に苦しむという点では、お前も似たようなところはあるよ。俺にとっては」

「あいにく、私は私を変えるつもりはありません」

「そのねた表情を子どもたちにも見せるようになれば、もうちょっと皆との距離感も変わるだろうに」

「リェダ様こそ、相変わらず子どもたちとそれ以外との対応の差がひどいです。商人とのやり取り、見ていましたよ」

「……そうだな。魔族のさが、なのかもしれんな。これは」


 大事だと感じるものと、そうでないものへの執着の差。『個人の実力がすべて』の魔界で生きていると、どうしても人間と常識が違ってくる。


 椅子に深く背を預けるリェダ。


「魔族にとって、人間世界はであり、でもある。取るモノ取ってさっさと帰りたい。普通のゴミクズどもなら、そう考えるだろうな。だから刹那的にもなる」


 リェダの瞳が、一瞬、赤く染まる。


「我の大切な者たちへ手を出すくらいに」


 ――魔族にとって、人間世界は宝の山。


 魔族たちが住む魔界と、人間たちが住む人間世界は、本来、まったく異なる別の空間だ。だからこそ魔界にはないモノが人間世界にはある。


 それが『宝玉』。


 宝玉は魔族の力を大きく高める。特に、魔界での効果は絶大だ。

 生きるか死ぬかの闘争が日常で、力の強い者が上位に立つ魔界において、宝玉は喉から手が出るほど欲しい代物だ。運良く宝玉を手に入れ、それを持ち帰れば、魔界での暮らしを一変させることができる。


 宝玉は、いつ、どこで生まれるかわからない。見た目もさまざまで、中には単なる石ころと見分けが付かないこともある。しかも――人間にとっては本当に石ころ同然であることもなのだ。


 魔族は右も左もわからない人間世界へ降り立ち、どこにあるともわからない宝玉を求めてさまよう。

 魔族は魔界の冒険者、魔族にとって人間世界は未踏のダンジョン。

 一発逆転を狙い、魔族は絶え間なく人間世界にやってくるのだ。


 ――だが同時に。魔族にとって、人間世界は呪いの地でもある。


 魔界から人間世界へ行くには、ふたつの世界を偶発的に繋ぐ『穴』を通る必要がある。その穴は小さく、基本的に力の弱い魔族しか通り抜けることができない。

 そして、穴を抜けた先の人間世界では、能力に大幅な制限を受けるのだ。


 身体の自由が利かなくなる、鋭敏だった感覚が鈍る、使えていた魔法が使えなくなる――。


 呪いの地と言われる所以ゆえんである。


 能力低下を補うため、人間世界に来た魔族はまず、人間の『魂』を喰う。

 より正確に言えば、を奪うのだ。人間から。


 身体の自由が利かないなら、手足の機能を奪えばいい。

 感覚が鈍るなら、五感を奪えばいい。

 魔力を補給するなら、人間の感情を奪うのが効率的だ。

 魔族は奪う能力全部をひっくるめて、大雑把に『魂』と呼ぶ。


 そして。

 魔族から魂を奪われた人間は、手足が不自由になり、目や耳が聞こえなくなり、人間らしい喜怒哀楽を失うのだ。


 エテルオ孤児院の少年レストスは、男爵に扮した魔族から魂を喰われ、足の自由が利かなくなった。

 だから――リェダは動いた。

 魔族からレストスの魂を取り戻し、少年が再び皆と遊び回れるように。

 そして、リェダが大切にしている子どもたちに手を出した報いを、魔族へと受けさせるために。


 男爵に扮していた魔族から回収した半透明の球体。あれこそが、少年から奪われた魂が形となったものだった。リェダとティアロナはあの夜のうちに、レストス少年の身体へ魂を移した。

 悪い夢を見てうなされていた少年の顔が、フッと楽になった様子を、リェダとティアロナは安堵の表情で見つめたものである。


 並の魔族では太刀打ちできない力を持つリェダたち。

 彼らはなぜ、孤児院を運営し子どもたちを慈しむのか。

 彼らはなぜ、どうやって、人間世界にやってきたのか。

 少なくとも、彼らの教え子たちの誰一人として真実を知らない。


 今は、まだ。


 

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