第9話 魔王リェダの記憶(4) 信頼


「ちょっと待て。エテルオ、どういう意味だ。我に『孤児院を手伝え』などと」

「言葉通りの意味だが。ああ、そのまま。座っていなさい」


 いまだ目を白黒させ、状況がつかめないでいるリェダに、老人は近づいた。

 目の前まで来ると、エテルオは無事な方の手をリェダの顔に向けて差し出す。魔王はハッとした。老人の手に集まった魔力は、輝きこそささやかなものの、込められた魔力は並の純度ではなかったのだ。


 エテルオの魔法が、リェダを包む。


「我に何をした」


 光が収まった後、静かに問いかける。これまで様々な襲撃を退けてきたリェダである。魔法のひとつやふたつで動じることはない。いきなり孤児院を手伝えと言われるよりもずっと心構えがしやすい。


 エテルオは問いに答えず、今度は別の魔法を発動させた。彼の両手にどこからか水が集まってくる。


「リェダ。お前さん知っとるかい。こっち人間世界じゃ、基本的に魔法は水と火の属性しか使われておらん」

「……?」

「その顔じゃ、知らないようだ。つまりだ、水と火以外の魔法を使えば間違いなく目立つから、使用はやめておけって忠告だ。儂のも、口外せんほうが無難だな」


 そう言ってエテルオは、自らが集めた水をリェダの眼前に掲げた。老人は器用に水の魔法を操り、水面が鏡として映るようにしていた。

 エテルオが言った『コレ』の意味を、リェダはすぐに理解する。


「これは、偽装魔法か? 瞳の色と耳の形を変えて見せるとは」

「得意魔法ではないから、まあ付け焼き刃だ。しかし、お前さんくらい魔力が豊富で器用そうな男なら、この魔法を真似るくらい造作もないだろう」

「我もあまり自信はない。その必要がなかったから」

「なるほど。じゃあ耳当てでも作るか。ちょうど可愛い色をした毛糸が手に入ったんだ。ピンク色にしたら、なかなか男前になるじゃろ。そうだ、黒メガネも付けてみるか? それなりに高級品だが、雰囲気が出るぞ」


 ――想像してしまった。

 水魔法の鏡に、思いっきり顔をしかめた魔王が映る。


「エテルオ。貴様、我が大人しくしているからといってふざけるのも大概にせよ。我はお前の玩具ではない」

「あっはっは。もちろん、玩具などではないさ。お前さんは立派な戦力だよ。そして、儂の『同僚』になるんじゃ」


 同僚――その言葉にまたしても目を丸くするリェダをそのままに、エテルオは踵を返した。「ほれ、そろそろ孤児院へ戻るぞ」と促す。


 リェダは立ち上がった。サアッと風が吹く。腕で顔をかばった彼は、ふと、足下に巨大な魔法陣が描かれているのに気づいた。

 リェダが魔法陣の外縁から一歩外に出る。すると、まるで火に炙られた水滴のように、音もなく輪郭が消えていく。


「召喚魔法、か」


 魔界では馴染みのないものだ。リェダの【無限充填】のストックにもほとんどない。

 それでも、エテルオが相当の使い手であることは肌で感じた。

 なにせ、魔王と呼ばれていた存在を喚び出したのだから。リェダでも破れなかった、あの漆黒の檻から。


「面白い」


 なぜ、自分を喚んだのか。偶然なのか、必然なのか。

 なぜ、孤児院を手伝えなどと指示するのか。

 そしてなぜ、召喚主のくせにリェダを『同僚』だと呼ぶのか。


 手の込んだ茶番である可能性はある。だがそれでもいいとリェダは思い始めていた。


 これまで暴虐の限りを尽くしてきたはずの魔王リェダ。

 それが、初めて会ったときからエテルオにはどうも強く出られない。

 きっと、ずけずけとこちら側に踏み込んでくる人間が新鮮で、興味を引かれたためだろう――とリェダは思った。今までで一番強く、そう思った。

 ぎこちない様子でゆっくりと歩くエテルオに追いつく。


「リェダよ」

「なんだ」

「お前さん、身体の方はなんともないかね」


 言われて、リェダは自らの胸に手を置いた。

 怪我はない。身体の調子も悪くない――むしろすこぶる快調。魔力も衰えていない。

 強いてあげれば、魔界にいたころは常に感じていた精神のささくれが、今は穏やかに凪いでいるということか。


 ――と、そこまで確認して、重大な事実に気づく。


「問題ない……むしろ問題がなさすぎる。我らの常識では、人間世界での魔族は著しく活動が制限されるはずだ。そのために我らは人間の魂を喰って――」


 言葉を切る。

 ゆっくりと振り返ったエテルオの視線。右目の輝きが、リェダの心の奥底を見透かす。


「儂は召喚主として、お前さんの力を一部封印しておる。魔力はそのままでも、以前のように魔法を使うことはできないはずじゃ。だが、それ以外はほぼ魔界にいたころのまま。儂が生きている限り、お前さんは人間世界の呪いに囚われず、自由に過ごすことができるだろう」

「……人間世界では、それを『自殺行為』とは呼ばないのか?」

「呼ぶだろうな。だから、お前さんの正体を周囲にバラすわけにはいかん。お前さんもそのつもりでおってくれ」

「わからん。本当に……わからん」


 頭を押さえるリェダ。


「エテルオよ。お前はなぜ、我にそこまでする。人間の表現で言うなら――これは、『信頼』ではないのか」


 初対面の、魔族相手に。

 魔法で意思を強要することなく。

 魔族にとって最も縁遠い概念――『信頼』を置く。


「我は、お前に信頼されるような存在ではない」

「いや。むしろその言葉を口にできるお前さんだからこそ、儂は側に置きたいのだ。お前さんの人となりは伝わってきたからな。召喚するとき、そして、ここで語り合ったときに」


 エテルオが足を止める。

 あの、リェダのすべてを見透かす目で振り返った。


「リェダ。お前さんは寂しさに潰れそうになっていた。自らの弱さを自覚した上で、だ。儂は、お前さんのような魔族を孤独から救いたいのだ。かつて、儂はそれができなかった」


 ――不思議な感覚を抱いた。


 人間が、魔族を、孤独から救う。

 魔族によっては侮辱とも取れる言葉だろう。だがリェダは、今の青空のように爽やかな心持ちでいられた。

 たずねる。


「お前はしょくざい――つまり、お前自身の心を救うために我を救うと言うのだな。我に、それだけの価値があると」

「そうだ。儂の我が儘、受け入れよ」

「よかろう」


 まるで一片の隙もない完璧な作戦を耳にしたときのように、リェダは満足げにうなずいた。


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