第10話 魔王リェダの記憶(5) 動揺


「ときにエテルオよ」

「院長。もしくは先生だ」


 ――孤児院へと戻る道すがら。

 エテルオから呼び名の指摘を受けながら、リェダは素朴な疑問をぶつけた。


「孤児院とは何をするところなのだ? 子どもに生存技術を教え込めばいいのか?」

「そんな柄ではあるまい」

「寸分の違いもないが、真面目に聞け。戸惑っているのだ。我は何をすればいい」


 エテルオの申し出を受けたことに微塵も後悔はない。だが、『孤児院』という未知の領域にリェダは緊張していた。

 この老人によると、孤児院とは身寄りのない子どもたちの世話をするところ――までは理解した。

 だが『世話』の中身がよくわからない。


 魔界にも、まだ生まれて間もない幼子たちを集める者はいるが、それはあくまで戦闘要員として鍛えるためだ。の力で敵わない連中がを形成するためのいち手段。

 しかし、ここではそういう意味はないらしい。


 エテルオは歩きながらあごひげを触っていた。しばらくして、言う。


「何もせんでよい」

「……は? なんだと?」

「何もするな。ただ孤児院がどんなものかを見て、そこで暮らす子どもたちの顔を見て、声を聞くだけでいい。今日のところは、それで精一杯じゃろ」

「しかしエテルオよ――」


 じろりと睨まれ、不承不承、「エテルオ院長」と言い直す。

 だが頭の中はますます混乱していた。

 それはただ突っ立っていろということか? 確かに、子どもの世話など完全に理解の外だが……。

 脂汗を流しながら眉間に皺を寄せる元魔王に、エテルオは声を上げて笑った。


「難しく考えることはない。今し方、儂とお前さんが会話していたような――あのような距離感でおればよい」

「距離感、か」

「見たところ、お前さんはひとりぼっちをこじらせているようだからの。子どもたちに教えてもらえ」

「……院長。先ほどから気になっていたが、お前……我のことを馬鹿にして楽しいか?」

「実に心躍っている。二十年ぶりだ。儂は良い人材を手に入れたよ」

「魔族より長生きしそうだな貴様」


 ――孤児院が見えてきた。


 人間世界の建物を見るのが初めてだったリェダは「想像以上に美しいな」と思った。魔界での居城や住居は、だいたいが防御力重視の無骨な姿か、穴だらけである。

 すぐ側の湖は、陽光を受けてキラキラと輝いていた。魔界のような毒々しさは一切、感じられない。


「現在、孤児院には十五人の子どもたちがいる」

「それをひとりで世話しているのか?」

「ときどき近くの住人が手を貸してくれるが、基本はそうだ。だからいずれ、人手は必要になると思っていたのだ」


 建物に近づく。

 孤児院の前は広い庭になっていて、数人の子どもたちが駆け回って遊んでいた。


「あ! 院長先生だ!」


 子どもたちのひとりがこちらに気づき、手を振る。エテルオが応えると、すぐに数人が駆け寄ってきた。


「先生、おかえりー」

「どこ行ってたのさ、じっちゃん」

「足が悪いんだから無理しないで」


 喜び、疑問、心配――それぞれの表情でエテルオを迎える子どもたち。孤児院の院長は、慣れた仕草で子どもたちの頭を撫でた。


「すまんな。人を探しに行ってたのさ」

「それって、前から言ってたヒト? 不思議な気配がするー、きっと助けを求めているに違いないーってやつ」


 リェダはちらりと老人の方を見た。

 なるほど。前から我の気配は感じ取っていたのか。完全なる偶然、というわけでもないのだな。


「ところでじっちゃん。コイツ誰?」


 少年がリェダを指差し、首を傾げる。途端、いくつもの視線が元魔王を貫いた。

 居心地が悪い、とリェダは思った。


 エテルオの陰に隠れた少女のように、恐れ不安に思う心情なら理解できる。魔界で何百回何千回と遭遇してきた視線だ。

 だが、それ以外をどう受け止めたらいいのかわからない。

 リェダにとって、純粋な好奇心や恐れを知らない視線を向けられるのは未知の体験だった。


 とりあえず、エテルオのアドバイスに従い、楽な姿勢で突っ立っている。


「この男はリェダ。儂の助手として新しく孤児院に入った先生だ。皆、仲良くするように」

「おおーっ! 新しい先生!」

「それと、リェダ先生はとても恥ずかしがり屋だ。あまり反応がなくても、気にしなくていいぞ」

「えー、ダメじゃーん」

「あとはな、彼はとても頑丈なので、ちょっとやそっとではビクともしない。だから安心して、いたずらを仕掛けてよいぞ。儂が許可する」

「うわぁ、すげぇ!」


 ――院長の肩を力強くつかむリェダ。


「おい院長よ。貴様、言うに事欠いて、なんてことを吹き込むんだ」

「よかったな。これで子どもたちの方から寄ってくるぞ。存分に弄ばれるといい。あ、くれぐれも飽きられることのないようにな。儂を失望させるなよ」

「院長……!」

「頑張れリェダ先生。儂は寝る」


 そう言って、本当にリェダをひとりにして建物の中に入ってしまう老人。

 残されたリェダは、恐る恐る視線を落とした。

 新しい玩具を見つけたような、キラキラした瞳が並んでいた。


「あー……」


 ごほん、と咳払いをひとつ。

 まずは人間世界にとっての異端であり元魔王として、これだけは伝えておくべきと思ったことを口にする。


「安心せよ、子どもら。我はお前たちに危害は加えぬ」

「おおおおっ! なんか悪の王様っぽい!」

「……!? なぜそれを!?」


 言いかけて、慌てて口元に手をやる。

 だが、その仕草が返って子どもたちの興味を引いてしまった。


「ねえねえねえ先生! 勇者ごっこしようよ勇者ごっこ! 先生、敵ね!」

「む、うっ!? それは我に本気を出せと――!?」

「わぁい、リェダ先生が遊んでくれるって!」

「ちょ、待――いいのかお前たち!?」


 左右両方から手を引かれ、子どもたちの輪の中へ連行される。

 どうしていいかわからず、ただおろおろするリェダ。もちろん、彼は子どもたちに戦闘力がないことを感じ取っているし、本気で戦闘を挑むべき相手ではないことも理解している。じゃあどうするか――お手上げだった。

 子どもたちは、すっかりリェダを『ちょっと変わった面白い先生』と認識したようだ。


 ――こうして。


 いっときは魔界最強の魔王とまで称された男は、この日、エテルオの言葉通り大いに振り回され続けるのであった。


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