第11話 魔王リェダの記憶(6) 授与


 ――リェダが召喚されて、数か月が経過した。


「リェダ先生! 勇者ごっこやろ、勇者ごっこ!」

「ふむ。よかろう」


 木の棒を持った少年たちに向かって、両手を広げて構えを取った。

 嬉声きせいをあげながら打ちかかってくる子どもたち。その斬撃のすべてを全身で受ける。やがて肩で息をし始めた少年に、リェダは鷹揚に告げる。


「どうした。そんな様子ではは倒せないぞ」

「せんせー。いくら何でも防御硬すぎー。ぜんぜん『やられたー』ってしてくれないんだもん。この前教えたのにぃ」

「む。いやしかし、勇者とは絶え間ない修練を重ねて絶技を習得した者のことだろう。それを真似たいというのなら、多少の困難は――」

「せんせ、せんせ。『やられたー』ってやってよ」

「なにゆえ」

「だって終わらないじゃん。おいら、薪拾いの当番なんだ。これ以上先に進まなかったら、時間に間に合わなくて姉ちゃんたちに怒られる。そろそろ手にマメができそうだし……」

「……やられたー」


 棒読みで倒れ込むリェダを囲み、子どもたちがはしゃいで口上を述べる。

 ここ数か月で、すっかり慣れたやり取りだった。


 ――リェダは、何だかんだと孤児院に馴染んでいた。


 最初の頃は子どもたちとどう接したらいいのかわからず、ただ言われるがまま、されるがままだった。それからエテルオや、孤児院の年長者たちのアドバイスを聞き、少しずつ、皆とコミュニケーションが取れるようになってきている。


 不思議な感覚だった。

 魔界にいた頃なら、こんな屈辱を受けようものなら、お互いの一族郎党の生存をかけて徹底的にり合ったことだろう。

 だが、ここではその必要がない。


 リェダは最近、エテルオの言葉をよく思い出す。『ただ孤児院がどんなものかを見て、そこで暮らす子どもたちの顔を見て、声を聞くだけでいい』――孤児院に来た当初にかけられた言葉だ。

 慣れない内はまず観察、程度の意味だったのだろうが、今では違う意味もあったんじゃないかと思うようになっている。


 変わらない孤児院と周辺の景色。

 元気に走り回る子どもたちの表情。

 笑う声。泣く声。怒る声。

 それらをじっくりと見て、感じることで、リェダは不思議な力を得ているような気持ちになった。


 魔力を吸収する感じでもない。魔族が人間の魂を喰う感じでもない。

 言葉では上手く説明できないが、こう――生きていることそのものが生きる活力になっていると言おうか。

 リェダが長い間抱えていた孤独感に、その力は確かに効いた。

 もしかしたらエテルオは、このことを教えたかったのかもしれない――と彼は考えるようになっていた。


 ――元魔王リェダは確実に変わっていた。


 立ち居振る舞いもそうだ。いつからか自分のことを『我』ではなく『俺』と呼ぶようにもなった。呼びかければ誰かが答える生活を学び、自らがしたことに誰かが言葉を発する体験――主には叱責――を繰り返した。

 リェダはもう、魔界時代の孤独感を思い出すのが難しくなってきている。

 感謝すべきことなのだろうなと、彼は思った。


 ――ある日。


 水を汲むため、リェダはひとり、湖のほとりに来ていた。

 飲み水を手に入れるなら孤児院の側に井戸はあるが、それ以外の用途――例えば湯浴み用とか掃除用とかの水は、湖から定期的に汲んで運ぶことになっている。


 リェダは魔法を得意とする魔族ではあるが、それでも人間の一般男性よりかは力がある。

 手桶四つ分の水を汲み上げ、額を拭う。

 そこへ、手ぬぐいが差し出された。


 隣を見ると、青い髪をした少女が立っていた。片手に手ぬぐい、もう片方の手には無骨な木の棒が握られている。

 リェダは礼を言った。


「すまんな、フラーネ」

「……いえ」


 フラーネと呼ばれた少女は言葉少なに応じて、視線を逸らした。


 青い髪を肩口あたりで適当に切りそろえている。すらりとした体型で、眉目が整っていた。

 魔界では敵をろうらくするために見た目を整える種族がいたが、彼らと比べても遜色はない。年齢的な問題で、まだまだこれから美しくなっていくだろう。

 フラーネは十三歳。孤児院の中では年上の枠に入る。


 リェダは、この少女を個人的に気にかけていた。孤児院の子どもの中で、今もよそよそしい態度を取る子。根は善良――というか、他の子と同じように明るいことは、リェダもなんとなく感じ取れるようになっていた。ここ数か月、ずっと見ていればわかってくる。

 彼が気にかける理由は、手に持った木の棒。

 フラーネが他の子と違う点は、鍛錬に打ち込むことであった。


「今日もここで素振りか」

「湖からの風が、気持ちいい、ので」


 たどたどしくうなずく。それから彼女は、再び素振りに没頭した。

 フラーネの横顔をじっと見つめる。


 ――真面目に修行に打ち込むなんてこと、魔族の習慣にはない。

 だが、フラーネの張り詰めた表情には覚えがあった。

 あれは、無謀な闘争の考えに囚われた者の顔だ。


 リェダは過去に見た。

 明らかに格上のリェダに対し、殺されるとわかっていて突撃してきた者。

 失敗すれば命はない状況で、成功するかもわからない切り札を出す者。

 直近では、リェダを闇の狭間に放り込んだ者たちの顔も含まれるか。

 そうした者たちの表情を彷彿とさせるのだ。


「はっ……! はっ……!」


 疲労で剣筋がろくに定まっていないのに、無理矢理棒を振るい続けるフラーネ。

 気負いの塊のような姿だった。

 リェダはじっと見続けた。魔界にいた頃なら、単なる風景として映っていただろう。だが今は、胸の奥が締め付けられるような感覚を味わう。


「あっ……!?」


 汗で手が滑ったのか、棒が地面に落ちる。荒い息をするフラーネ。

 彼女が拾い上げる前に、リェダは棒を手に取った。


「今日はここまでにしろ、フラーネ」

「でも……わぷ」


 濡らした手ぬぐいでフラーネの顔を拭く。それから、彼女の肩に手を置いた。

 しばらくその姿勢のまま動かないリェダに、フラーネが眉を下げる。


「あの……」

「全身の筋肉が悲鳴を上げている」


 リェダは目を閉じた。空いた手で、自分の耳をそっと触る。


 ――こちらに召喚されたとき、力の一部は封じられた。だが、まったく使えなくなったわけではない。


【無限充填】解放。火属性魔法――『基礎身体活性エンテ』。


 肉体の回復力を一時的に高める補助魔法。基本的すぎて魔界ではほとんど使う機会のなかった魔法だ。

 だが、フラーネには驚きだったようだ。自らの両手を見る。


「身体が……温かい?」

「今日はしっかり飯食って、すぐに寝ろ。きちんと疲労を取るまで、これは預かっておく」


 そう言って木の棒を掲げるリェダ。

 しばらく渋っていたフラーネだが、結局はリェダの言うとおりに引き上げていった。


 ひとり残った湖のほとり。リェダは木の棒を見た。


「……ふむ。よし」



◆◇◆



 ――それから二日後。


 再び水汲みのために湖を訪れたリェダは、素振りを再開しているフラーネを見た。林から新しい棒を調達してきたようだ。歪に曲がった棒を、フラーネはとても振りにくそうに、だが文句ひとつ口にせず振るっている。

 リェダに気づいた彼女は、気まずそうに素振りを止めた。


「身体はもう大丈夫、ですから」


 言い訳のように、まず口にする。


 リェダは彼女に歩み寄った。怒られると思ったのか、フラーネが一歩後ずさる。


「ほら」

「……?」


 頭をかばうフラーネに、リェダは布に包まれた長物を渡した。


「作ってみた。今後はそれを使え」

「えっと」


 戸惑いながらも布包みを開くフラーネ。中から出てきたものに、彼女は目を丸くした。


 それは、木剣だった。


 フラーネが素振りに使っていた木の棒。それを回収したリェダは、二日かけて、剣の形に削り取ったのだ。

 鍔のない両刃型の直剣。人間世界の剣がどのようなものか知らないリェダは、フラーネのイメージに合うように作った。まっすぐ。どこまでもまっすぐ。剣身の表面は、傷を知らない滑らかさを保っている。


「振ってみろ」

「は、はい」


 柄を握る。途端、フラーネが驚きの表情になった。「すごく軽い」と彼女はつぶやいた。

 そして我流の構えから、一閃、振る。


 まるで水をたたえたコップの縁をなぞるような、澄んだ音が響いた。


 木剣を振るった本人が一番驚いた顔をして、剣とリェダとを見比べる。

 出来に満足したリェダは、少しだけ微笑みを見せた。フラーネはその場で固まる。


 ――元魔王が手ずから作り上げた木剣。

 リェダがこれまで【無限充填】で蓄えた魔法を、込められるだけ込めた逸品であった。


「あまり無理はするなよ。フラーネ」

「あ……ありがとう、ございます」


 この日以降、フラーネが無茶な鍛錬を繰り返すことはなくなった。

 そして、リェダに対する彼女の態度も大きく変わることになる。


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