第12話 魔王リェダの記憶(7) 衝撃
「リェダ先生さん!」
――元魔王が孤児院に勤め始めてから、まもなく一年になろうとしている。
孤児院の雑務全般に慣れたリェダは、この日もひとりで薬草拾いに出かけていた。
そこへ、後ろから明るい声がかかって振り返る。フラーネが、薬草かごを手に駆け寄ってきた。
彼女は十四歳になっていた。
「また追いかけてきたのか、フラーネ」
「えへへ」
いたずらっぽく笑う少女。彼女は、出会った頃と比べてすっかり雰囲気が変わっていた。
手足が伸び、青い髪も伸ばしてより大人っぽくなった。すらりとした体型は相変わらずだが、必要な部分にはしっかりと鍛錬の成果が出ている。
なにより、フラーネはよく笑い、よく話しかけてくるようになった。『リェダ先生さん』という奇妙な呼び名も彼女の発案だ。
「私も手伝います」
「それは助かるが……」
ちらと、彼女が背中に縛っているものを見る。
「いい加減、それは外せ。採取には邪魔だろう」
「嫌です」
きっぱりと断られる。
フラーネは、数か月前にリェダが与えた木剣を背負っていた。四六時中、肌身離さず身につけている。
「『聖剣チェスター』と私は一心同体ですから」
おまけに名前まで付けている始末。リェダは複雑だった。
聖剣は、魔族を討つためのものとされる。
それからしばらく、ふたりで薬草採取を続けた。その間、フラーネはしきりにリェダへ話しかけていた。今朝の鍛錬の様子、できたこととできなかったこと、からかってくる子たちへの愚痴、今日の食事のこと。
――そして、『勇者』への憧れ。
「フラーネ」
「はい!」
フラーネが勢いよく立ち上がる。まるで猫の耳と尻尾がピンと立つような反応だ。いつもは聞き役に徹するリェダが雑談に反応してくれたのが嬉しかったようだ。
「勇者というのは、そんなにいいものなのか。フラーネ」
「それはもう。勇者として認められれば、いろんな優遇が受けられるって聞きました。商人さんからの情報なので間違いないです。リェダ先生さんや孤児院の皆を支えることだって簡単です、きっと」
「なるほど。それほど実利が見込めるのか」
「もちろん、それは表向きの理由ですよ?」
笑うフラーネ。一方のリェダは地味に衝撃を受けていた。経済的、社会的利益以外に理由が必要なのかと。顔には出さない。
フラーネは、リェダが与えた木剣――聖剣チェスターを抜いた。
「私、強くなりたいって思ってるんです。小さい頃からずっと。自分の中で当たり前すぎて、なんでそう思うようになったのかも忘れちゃったんですけど……強くなりたい。でもどうしたらいいのかわからなくて、素振りばっかりやってました」
木剣を振る。元魔王として様々な剛の者を見てきたリェダをして、『無駄がない』と思わせる動きだった。
「でもそれって、他の皆からしたら変に見えたみたいで……ずっとからかわれていました。だんだん、自分でもおかしいのかなって思うようになって、あまり皆の前では鍛錬をしなくなりました。強くなりたいって気持ちと皆と一緒にいたいって気持ちに折り合いがつけられなくて、こう、変に塞ぎ込んじゃってた時期が長かったです」
薬草採取の手を止め、リェダは話に耳を傾ける。フラーネの独特な行動は、孤児院で働き始めた当初にエテルオから聞き及んでいた。
フラーネと目が合う。
「けど! リェダ先生さんと出会って、私は変われたんです。先生さんがこの剣をくれて、初めて私、このままでいいんだって思えました。この剣は、私にとって勇気の象徴、強くなってもいいって証なんです。聖剣チェスターがある限り、私はどこまでも強くなれる。強くなったその先に、勇者の称号があると思うんです」
食事時。就寝の挨拶の時。鍛錬が終わった時。
折に触れて、フラーネから同じ話を聞いていた。『強くなった先に勇者の称号がある』と。
リェダは薬草採取を再開する。
「……勇者は魔族と戦う者の総称だと聞く。強くなるだけなら、命をかける必要はないだろう」
「なにを言ってるんですか、リェダ先生さん」
十四歳の少女は告げた。
「望むところですよ」
あまりにも躊躇がなく、あまりにも真っ直ぐな口調。
リェダは薬草に目を向けていてわからなかった。
フラーネの瞳が、なにかに取り憑かれたような強い輝きを放っていたことに。
リェダは目を閉じた。しばらく何事かを考え、立ち上がる。すかさずフラーネが駆け寄ってきた。
「リェダ先生さん。場所移動ですか」
「ああ。クバレの花を採りに行く」
「クバレ? ……あ」
明るかったフラーネの表情に影が差す。
クバレの花は王国西部に広く自生する、白い花弁が可憐な花。主に、墓前に沿える花として使用する。
――ひと月前。孤児院の子がひとり、死んだ。
まだ小さな子だった。病だった。明るい子だった。リェダにもよく懐いていた。
林の奥へ進んでいくリェダ。その後をフラーネが付いていく。
「リェダ先生さん。どうして急に、あの子に花を」
「お前と話をしていて、思い出したんだ。戦いは死と隣り合わせだが、そうでなくても、人は簡単に死んでしまうと」
「……ごめんなさい。私、調子に乗ってしまいましたか?」
「いや。大事なことだと思っただけだ」
なおもうつむくフラーネの頭を、リェダは撫でた。
「俺は怒っていない」
そう。リェダは怒っていない。
ただ純粋に、
クバレの花を数輪摘み、孤児院に戻る。薬草かごを部屋に置き、それから孤児院の裏手に向かう。
少し歩いた場所に、いくつかの墓標が並んでいた。
そのうちのひとつに、花を手向ける。フラーネと並んでひざまずき、祈りを捧げた。
死者を弔う祈りの言葉を小さくつぶやくフラーネ。その横で祈りの姿勢を取りながら、リェダはじっと墓標を見つめた。
――その子の死を、思い出す。
ベッドに横たわる小さな身体。
リェダの【無限充填】を使えば、完全回復は無理でも死期をずらすことはできた。
だが、リェダは魔法を使わなかった。エテルオに止められたことも大きかったが、それ以上に、衝撃を受けていたのだ。
数日前まで元気に駆け回っていた子が、力を失い、意識を失う。
それが魔族の攻撃でも、呪いでもなんでもなく、ただ、人の誰もが通りうる末路だという。
生まれて、生きて、そして死んでいく。
リェダにとってただの風景でしかなかった生き死にが、初めて大きな重さを伴って迫ってきたのだ。
魔族の寿命は人間よりずっと長い。だからこそ大きな衝撃だった。
悲しみでリェダにしがみついてきた子どもたちの、体温。服を握る強さ。
仲の良かった子どもが口にした、「ありがとう。大切にするね」という言葉。最期の最期に、宝物を託されたらしい。
さして大きくない部屋には、ただの風景じゃない、本物の『一人ひとり』がいた。それぞれの子どもたちに感情があって、縁があって、今を生きていた。その空気の中に、確かにリェダも立っていたのだ。
それに気づいたリェダは、生まれて初めて味わう、しかし場違いな感覚を抱いた。
――俺は、孤独じゃない。
――彼らが、どうしようもなく羨ましい。
――それに気づかせてくれたこの場所を、この空気を、この子らを、俺は護りたい。
エテルオ院長が「さあ、運んであげよう。手伝ってくれ」と言い、遺体を共に運んだ。
その重さは、今でも忘れられない。
あの瞬間。
リェダにとって、孤児院と子どもたちは『生きる目的』になったのだ。
「リェダ先生さん」
フラーネの声で我に返る。心の中で「ありがとう」とつぶやいてから、立ち上がった。
そのときだ。
孤児院の方から、リェダたちを呼ぶ声が近づいてきた。年長の子どもたち数人が、こちらに走ってくる。
「リェダ先生、大変だ!」
いつもはふざけてばかりの少年が、息を整えるのも忘れて叫ぶ。
「院長先生が――倒れた!」
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