第45話 制裁を始めよう


 魔族としての――かつて魔王と呼ばれた男としての、本来の姿で対峙する。

 昂ぶった精神、それによって引き出された膨大な魔力が、偽装魔法の許容量を遙かに超えたのだ。

 宝玉の魔王の攻撃を無傷でいなしたときよりも、さらに量も質も圧力も増した魔力が洞窟内に充満する。


 敵の魔族が一歩下がる。圧に押されて、さらにもう一歩後ろへ。

 彼我の差は、ここに来て明らかになっていた。


 ――制裁が、始まる。


 リェダは【無限充填】の能力を発動させた。そして、人間世界に来てからは初めての使い方をする。


 まず炎が舞った。

 次いで水流が鎌首をもたげた。

 そして、洞窟内の岩という岩が青紫色に輝きだした。


 宝玉の魔王も、賢者エルも、狼狽えたように辺りを見回す。


 輝く大地を舞台に、火と水が共に舞い踊る。互いが触れるか触れないか、ぎりぎりの距離を保ちながら、最初は緩やかに、次第に速く、激しく舞い狂う。

 速く、速く、もっと速く。

 目で追えないほどに、速く、激しく。

 そしてあるとき、炎と水流が正面から激突した。

 大地が一際強く、輝く。


 無詠唱での火と、水と、土の合成魔法。

 瞬間的に発生した膨大な力が、凄まじい熱を秘めた雷となって、空間と大地をほとばしる。

 凄まじい音が、莫大な光量が、洞窟内を満たした。


 ――このとき、仮に。

 洞窟の外から岩山の様子を伺う者がいたとしたら、我が目を疑っていただろう。

 雲一つない晴天の下、地面からいくつもの雷が暴れ出てきたのだから。


 ――時間にしてほんの数秒の出来事だ。

 雷の合成魔法がフッと大気に消えたとき、リェダたちのいた山の一部が、まるでスプーンですくった果物のように美しく抉れていた。

 片隅に、接穴が黒く小さな染みを作る。残った接穴はそれひとつきり。


 砂埃が、ぬらりと地表を流れていく。魔力の余波を受けたせいか、その流れはひどく生物的な生々しさを感じさせた。

 まるで、怒り狂う王の勘気かんきに触れぬようそそくさと退散する配下のように。


 その場に立っていたのは、防御魔法に護られながら呆然と景色を眺める賢者。魔王としての力と威圧感を取り戻した男。そして、全身から黒煙を上げ敗者となった、哀れな魔王である。


 リェダに敵対した魔王は、膝を突いて全身を震わせていた。

 その手には今もしっかりと『宝玉』が握られている。魔族に大きな力をもたらすそれをもってしてもなお、リェダの――魔王リェダーニル・サナト・レンダニアの敵ではなかったのである。


「よく耐えたな。そこは褒めてやろう」


 リェダは深紅の瞳をぎらつかせ、傲慢に言い放った。


「名乗れ。魔族ゴミクズ。今度は貴様の名と誇りごと葬る」


 その台詞を聞いた途端、宝玉の魔王が歯を食いしばる。指先が地面をこそいだ。

 身体中から屈辱を漲らせながら、宝玉の魔王が声を絞り出す。


「……覚えておられませぬか」


 リェダは眉を上げた。意外な問いかけだったからだ。


 膝を突いていた魔族の男が、ゆっくりと顔を上げた。灰汁あくのような顔色の悪さは魔族にありがちなもの。ただ、深紅の瞳の鋭さと目鼻立ちの良さは、他の俗物よりも気品を感じさせた。


 覚えていないか、と奴は言った。

 だがリェダに思い浮かぶ顔はない。

 元より、魔王として生きていたころは他人の顔などどれも一緒。ただの風景に過ぎなかった。

 ゆえに、冷酷に告げる。


「知らんな。消えゆく名など覚える価値もない。貴様らに許されるのは、ただ我の希望を叶えることのみ」

「あなたは何も変わらない!」


 魔力が噴き出す。だが、すぐにしぼんだ。人間世界での能力減衰、そして魔王リェダの強烈すぎる魔法の直撃を受け、ほとんど力を失ってしまったのだ。ゴミと化し消滅しなかっただけ、この魔族が魔王に比肩する力の持ち主であることの証左である。

 そして同時に――哀れな男だった。


「魔王リェダーニルよ! 闇の檻から抜け出した忌まわしき古き王よ! もう一度我が名をその胸に刻み込むがいい。新たなる魔王の名! 俺は――」


 哀れ。

 魔王リェダはこの『哀れな魔王』の名を、まったく聞いていなかった。


「闇の檻……だと?」


 哀れな魔王が告げた言葉に、意識が釘付けになったからだ。


 五年前――。

 リェダがこの人間世界に来るきっかけとなった、魔界での蹂躙戦。

 リェダの弱さと迷いを突いて、永遠とも思える闇の檻に落とした部下。リェダにとっては有象無象のひとりだった、裏切り者。


「ふっ、ふふ」


 不意に、リェダは笑いの衝動にかられた。

 何という因果か。

 リェダを陥れた魔族が、今、次なる魔王へと成り上がって目の前に現れた。


 ――【無限充填】。


 無詠唱で放たれた赤い雷撃が、『哀れな魔王』の腕と片足を貫く。


「気が変わった。過去に免じて、それでゆるしてやる。我からの餞別せんべつだ。その痛み、ありがたく受け取るがいい。そして、せいぜい励め。孤独で哀れな王として」

「なん……だと。赦す!? 俺を!?」

「ああ。喜べ、思い出したぞ。貴様が我の弱さを暴き、闇の檻に封じてくれたからこそ、我はかけがえのない宝を手にできた」


 鷹揚な仕草で、戦闘の構えを解く。まさに王の威厳をもって、リェダは告げた。


「ゆえに、我の宝に手を出したとがはその傷と、人間世界からの追放で免ずるものとする。二度と我の前に顔を見せるな。いいな?」

「――はっ! はははは」


 今度は『哀れな魔王』が笑う。

 呼吸が整わない中での引きつった笑声。暴れ狂う感情が笑いの衝動となって溢れ出ているようだった。

 だが、ゴミクズ魔族を見るリェダの視線はどこまでも冷たい。


「どうした。接穴が消える前にさっさと去れ」

「覚えておくがいい。魔王リェダーニル・サナト・レンダニア」


『哀れな魔王』は足を引きずりつつ立ち上がる。もはや風前の灯火になった接穴に触れ、振り返る。


「俺は……必ず戻ってくるぞ」

「そうか。そのときは心置きなく魂滅こんめつしてやるとしよう。よ」


 その一言がことほか、効いたらしい。『哀れな魔王』は最後の魔力を噴き上がらせ、そして接穴に飛び込んだ。

 残した黒く淀んだ魔力が、人間世界の風に流され徐々に薄くなる。完全に消えてなくなるころには、接穴もまた完全に塞がっていた。


 風通しが良くなった岩場に、エルとともに立つ。


 教え子の賢者は無事だった。彼女にかけていた防御魔法を解除しながら、同時に自分に偽装魔法を施す。ティアロナと違い、この魔法はあまり得意でないし、【無限充填】へのストックも切らしている。慣れない詠唱を使い、ゆっくりと『孤児院長リェダ』の姿を作っていく。


 リェダは考えていた。

 魔王としての姿と力を晒してしまった以上、もう言い逃れはできない。

 王都の賢者エル・メアッツァに、自らの正体を知られてしまった。

 しかし、エルは無事だった。敵の魔王も退けた。

 後悔はない。

 こうしておけば良かったという考えも浮かばない。

 エルと行動を共にしたときから、すでに腹は決めていたのだ。はっきりとさせるのが遅いか早いかの違いだけだっただろう。


 リェダの頭の中は、どうやって孤児院を維持し、子どもたちを護っていくかだけ。

 敢えて付け加えるならば、『去るべきときかもしれない』という思いがよぎったことだ。

 あの宝玉の魔王を『制裁』したとき、リェダはこの五年の内でかつての姿に最も近づいた。感覚が戻ってきた。思考も引っ張られた自覚がある。


 いよいよ、時間か。

 どのような形で魔界へ送られるのか。単にパッと消えるだけならまだいい。だが、宝玉の魔王のように周囲に魔力をまき散らしながら魔界へ行くとなれば、子どもたちに恐ろしい影響を与えかねない。


 幸い、エルは孤児院の継承に同意してくれた。

 ティアロナに話し、機を見て姿を消すか。誰も知らないところでひっそりと消えるのは、実に我らしい――リェダはそのように考え始めていた。


「大丈夫か、エル」


 自分でも驚くほど、穏やかな声が出せた。

 手を差し伸べる。

 だが、教え子の少女はしばらく立ち尽くしていた。リェダの――今はもう普通の人間と同じ薄茶色となった瞳を見上げてくる。


 リェダは手を引っ込めた。肩の力を抜き、できるだけゆっくりと告げた。


「見ての通りだ。我は人間ではない。リェダという名も略称に過ぎない。本当の名はリェダーニル・サナト・レンダニアという。かつて、魔界において『魔王』と呼ばれた男だ」

「魔王……」

「そうだ。魔王だ」


 リェダはうなずいた。

 エルはその場を動かない。

 無理もない、と元魔王は思った。


 彼女は王都に認められた賢者だ。もし、次の瞬間にでも魔法を放ってきたら、リェダは甘んじて受け入れるつもりだった。そして、すぐにでも立ち去るつもりだった。

 エル・メアッツァがリェダを敵だと認識するなら、リェダは魔王に戻ろう。彼女らが功を手に入れ、自らの立場を護れるのならば、リェダは喜んで弱くみっともない魔王になろう。

 そう考えていたのだ。


 ――だが、いつまで経っても詠唱は聞こえてこなかった。魔力の高まりを感じなかった。

 たまらず、リェダは言う。


「遠慮しなくていいんだぞ、エル。お前は賢者として、やるべきことをやればいい」

「やるべきことって?」

「いや、それはお前……王都に籍を置く賢者ならば、魔王を討ち滅ぼすことと決まっているだろう」

「むりやばい。どうしてそうなるの?」


 それは我の方が聞きたい。


 リェダが困り顔をしていると、エルの表情に変化が表れた。圧倒されてどこかぼんやりとしていた顔付きが、にわかにキラキラと輝きだしたのだ。

 まるで子どものころ、手の届かない場所にある本を取って渡したときのように。


「パパって、本当に魔王だったんだね。うわあ、むりやばい。むりやばいよ!」

「……おい。なぜそんなに興奮している。そしてなぜ嬉しそうなんだ」

「だって予想以上にすごかったから」


 あっさりと答える賢者エル。彼女の肩の上で踊る人形が、エルの本心を何より雄弁に物語っていた。

 彼女は躊躇なくリェダの手を握る。


「パパが魔族かもしれない、とは思ってた。一緒に出かけたのも、それを確かめたかったから。でも、実際は私の予想なんて遙かに超えてた。パパ、やっぱりすごい」

「……俺はこの場合、何と答えるべきなんだろうな」


 額を押さえて嘆息たんそくする。


 裏切り者と罵られることを予想していた。どうしてと泣きつかれることも予想していた。問答無用で敵対してくることだってあり得たのだ。

 それが、どうして――『やっぱり、すごい』?


 エルが手を振る。


「ねえパパ。パパが魔王ってことは、ししょーも魔族で、魔王なの?」

「……魔王ではない。が、それに準ずる力を持った高位の魔族だ。もともと、俺の部下だった」


 すっかり脱力してしまい、素直に答える元魔王リェダ。心の中でティアロナに詫びる。

 パパ、とエルが声をかける。


「もうひとつ、聞いてもいい? パパはどうして孤児院の院長先生になったの?」


 リェダは目を細める。教え子はじっと元魔王を見つめていた。


「そうだな。きちんと話しておくべきだろう。聞いてくれ、エル」


 そして元魔王は語り出した。

 前院長、エテルオによって人間世界に召喚された経緯。

 孤児院で過ごす内に芽生えてきた感情。

 エテルオとの約束。そして――。


「我は、間もなくこの世界にいられなくなるだろう。先生の魔法は失われかけている。我がかつての力とすさんだ感情を取り戻しつつあるのが、何よりの証拠だ」


 召喚されて五年。エテルオのかけた魔法が切れたとき、リェダは魔界へ強制送還される。

 リェダほど強力な魔族は、もはや二度と人間世界に来ることは叶わないだろう。接穴は、リェダの力に耐えられない。


 ほぼ間違いなく、永遠の別れとなろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る