第44話 度し難く、愚か


 絶命した魔族を洞窟の隅に固める。いずれ、王国の専門官に報告して検分してもらうためだ。


「エル、無事か」


 語気が荒れそうになるのを抑え、リェダは言った。大きく息をついて、賢者が身体を起こす。手を貸し、教え子に怪我がないかを確かめる。


「少し、ぶつけたか? 痛むなら――」

「大丈夫、パパ。これくらいは『むりやばい』じゃない」


 エルの軽口に肩の力を抜く元魔王。傍らに落ちていた人形を拾い上げる。

 教え子の少女は、恥ずかしそうにしていた。


「でも変な声出しちゃった。それはむりやばい。ほんとにむりやばい。恥ずかしい……」

「無事ならそれでいい」


 そう言って、リェダは人形を手渡した。ありがとう、と受け取ったエルは、ふとリェダの顔を見上げた。


「パパ。怒ってる?」

「どうして」

「ちょっと――ううん、だいぶ怖い顔してた。今もちょっと怖い顔」


 言われて自らの顔を撫でる。確かに頬や首筋の筋肉が強ばっていた。

 さり気なく耳を触る。偽装魔法が正しく発動していることを確認する。


「教え子を傷つけられたら、先生なら怒るものだろう。たとえ相手が魔族だろうと」

「さすがパパ。ぜんぜん、変わってないね」


 深く実感が込められたエルの口調に、リェダは無言の微笑みで応えた。

 無論、内心では魔族に対する怒りが沸き立っていたが。


 ――その後、リェダとエルは洞窟内に出現していた接穴を塞ぐ作業に入った。

 接穴が発生する仕組みは今もって不明だが、発生した接穴を塞ぐ技術は確立されている。やり方はエルが教えてくれた。イメージは『魔力で穴を繕う』。


「ホントは指定の教育課程をちゃんと修めた人用なんだけど、パパなら大丈夫でしょ」

「あまり買いかぶりすぎるな」

「謙遜、むりやばい。――ほら、綺麗にできてる。何の問題もない」

「無許可作業、か。内緒にしてくれよ、エル」

「もちろん」


 エルは機嫌が良さそうだった。パパと一緒に作業できるのが嬉しい、と教え子は言った。

 魔族に組み敷かれた恐怖は、どうやら克服できたらしい。


 リェダは内心で魔族の所業をさげすんだ。我が教え子に手を出そうとは。

 だが、相手があの程度で良かったかもしれない。リェダの正体について、いくらでも誤魔化しが利く状態で乗り切れたのだ。


「最後はこれだね」


 エルが腰に手を当てる。

 そこは洞窟内で発見した接穴のうち、最も大きなものだった。

 闇よりもなお深い漆黒が、ゆっくりと蠢いているように感じられる。通常、魔界の空気は接穴があっても人間世界に漏れてくることはない。だがこの穴は大きすぎるせいか、それとも近くにある『宝玉』の影響を受けているせいか、肌を逆撫でする濁った空気がわずかに流れてきている。

 リェダにとっては、不快であると同時にどこか懐かしい風である。


 接穴には魔力の網が覆い被さっていた。あまりにも大きく手強そうなので、エルが真っ先に『仮縫い』したのだ。


「パパはそこで見てて。さすがにこれは、私がやらなきゃ」

「わかった。無理はするな」

「賢者エル・メアッツァにお任せ」


 片目を閉じて、接穴の前に立つ。人間には不快極まりない空気のはずなのに、大したものだとリェダは思った。

 教え子の成長に微笑ましさを覚えると同時に、胸の中の苛立ちと怒りがいつまでもくすぶって消えていないことに気づく。


 ――不意に、リェダの首筋がざわついた。

 塞いだはずの接穴が、向こう側から再びこじ開けられる。

 足下で、無造作に転がっていた『宝玉』が薄く輝きを放つ。


 短い悲鳴が聞こえた。

『仮縫い』を破り、接穴の向こうから魔力が溢れ出したのだ。間欠泉にも似た黒い流れの直撃を受け、賢者の少女が吹き飛ばされる。


「エルッ!」


 リェダが叫ぶ。暗がりの中、反対側の壁面に身体をぶつけた教え子は、そのまま力なく倒れた。気を失ったのだ。駆け寄るリェダ。


 そこへさらに強い不快感。

 接穴の向こう側から、『宝玉』の気配がする。


 振り返ったリェダの前で、大型接穴から新たな敵が現れる。

 灰色の長髪はうねり、背は高く、顔と手足は角張った、魔族の男。彼がまとう重厚なマントは深い藍色に染まっていた。浴び続けた魔族の血で染まったのだ。

 筋張った手に持つのは、冷えて固まったばかりのような、不格好な鉱石の塊。煙のように黒い魔力を噴き出している。『宝玉』だ。

 接穴の向こうから出てきた段階で、『宝玉』を手にしていた男。魔界に宝玉は自然発生しない。この地層の黒曜石を持ち帰り、加工し、専用の品として献上された宝玉――そのように見えた。


 先に湧いて出た雑魚魔族とは違う。身にまとう魔力も、雰囲気も、眼光の鋭さも、明らかに束ねる者の風格が漂う。『宝玉』のおかげか、人間世界での能力減退も最小限の影響で済んでいるようだ。


 リェダは、怒りに加えて不快感、苛立ちを募らせた。

 元魔王が肌で感じた圧。その強さ、ティアロナと同等だ。

 腹心の部下であり、孤児院の同僚である彼女を脅かすような存在が現れたことを、リェダは快く思わなかった。


 喉元まで言葉が出かかる。


 ――貴様、誰に断ってここに汚い足で踏み入った。

 ――あまつさえ、我が教え子を傷つけるとは、度し難い。


 宝玉を持った魔族は言った。


「目論見が外れたわ」


 忌々しい口調だった。魔族の視線は、洞窟の隅に積み重ねられた魔族の遺体に向けられている。

 まったく不快な光景を思い出させてくれる、と魔族は言う。


「さあ、俺の門出を邪魔してくれた不届き者はどこのどいつ――」


 宝玉の魔族の視線が、リェダとエルに向けられる。

 乾きかけで濁った血のような色の瞳を、リェダは真正面から睨み返した。庇うように、エルの前に出る。

 賢者はまだ倒れたまま。時折小さく声が聞こえるが、まだ完全に目を覚ましたわけではない。


 リェダは魔族を睨む。度し難いぞ貴様――そんな強い怒りを込める。

 その視線を受けた宝玉の魔族は、どういうわけか黙り込んでその場に立ち尽くしていた。


 よろりと一歩前に出る魔族。


「貴様――いえ、は」

「動くな」


 リェダは右手を魔族に向け掲げた。敵の圧に一切動じることなく、自らの魔力をゆっくりと練り固めていく。【無限充填】を持つ元魔王に、詠唱など必要はない。

 今のリェダは偽装魔法を施しているが、制裁時のような格好はしていない。

 魔族からすれば、ただの人間が身の程知らずにも牙を剥こうとしているように感じられるだろう。

 けれど、この宝玉の魔族は、呑まれていた。ただの人間の姿をしたリェダに。

 理由はリェダにはわからない。

 ただ確かなのは、今、この場において、宝玉の魔族は動揺しているということだった。

 まるで――最悪な相手と出くわしてしまったエンカウントしたかのように。


 無論。

 リェダには一切関係ない。


「我は貴様を制裁する。覚悟せよ」

「……!」


 宝玉の魔族が険しい表情を浮かべる。禿頭魔族と比べれば、すらりと整った容貌と言えるだろう。だがその顔、リェダに思い当たるところはない。

 エルを傷つけた不届き者にしかるべき制裁を――。


 そのときだ。

 相手の魔族が、足下の鉱石を拾い上げた。すでに手にしていた『宝玉』と合わせ、己の魔力を注ぎ込む。

 反応した『宝玉』が、敵魔族の力をさらに引き出した。


 持って生まれた魔力の量と質と圧を増すのは、簡単なことではない。

 しかし、『宝玉』さえあればそれが可能になる。

 己に適した『宝玉』を使えば、元の魔力や身体能力を二倍にも三倍にも高めることができる。

 リェダも感じ取った。不快な魔力がさらに溢れ出し、洞窟内を満たしていく。

 宝玉の魔族に、見た目の変化は見られない。

 どうやらこの魔族は、『宝玉』によって魔力の『量』を高めることができる輩らしい。


 洞窟の壁面に細かな亀裂が走った。

 蒸気によって内圧が高まった容器のように、増えた魔力が洞窟内を少しずつ崩壊させているのだ。


 エルが放った古代魔法の名残――上下左右から生えた岩の槍は、魔族の魔力によって脆くも崩れ去った。少なくとも、エルの魔力を上回っている証拠である。

 賢者を超え、腹心の部下に匹敵する相手。

 接穴から這い出てきた者とは思えないが、おそらくこの男――。


「どこぞの魔王か」


 悠然とつぶやくリェダの声を耳にしたのか、敵の魔族がさらに眉を急角度にする。


「俺の姿を見ても、まだ手にしませぬか。『宝玉』を」


 丁寧な口調は当てこすりかとリェダは思った。

 ただの人間に『宝玉』のことを問う魔族はいない。


 ――我を同族と見抜いている。目と勘は良いらしい。それとも、さすが魔王と言うべきか。


 洞窟内にはまだ多くの黒曜石――『宝玉』が無造作に転がっている。それを手に取り魔力を込めれば、リェダの力もまた相応に増すであろう。

 だが、その選択肢は元魔王にはない。


 すでにリェダの身体は、『宝玉』の恩恵を受けている。五年前、恩師エテルオから授けられた、この世界に留まるための力。先生からの、最期の贈り物だ。

 それを魔界の空気で穢れた『宝玉』で上書きするつもりなど、毛頭ない。

 そして、そのことを敵の魔王に告げる必要もない。

 さらには――『宝玉』を使うまでもない。


 不意に、敵の魔王が言った。


「不愉快な表情だ……己の力を信じて疑わない、まったくもって変わらぬ恐ろしいお顔だ」

「知らん。言いたいことは以上か?」


 リェダの口調は変わらない。

 彼はいい加減、眼前の魔王の不敬さに対して嫌気が差していた。

 ゆえに告げる。


「消えろ」

「う――おおおおおおっ!!」


 リェダが【無限充填】を解き放つ寸前、宝玉の魔王が動いた。

 狭い洞窟内を突進してくる。

 黒曜石の【宝玉】を握る手に、魔力の刃を生み出す。それを上から振り下ろしてくる。


 それだけではない。動きながら高速で詠唱を紡ぐ。ただの人間の耳ならば、早すぎて単語も判別できないだろう。

『宝玉』で数段階上に引き上げられた斬撃と、魔力によって生み出された炎が、リェダを襲う。


 リェダは手を掲げた姿勢のまま、そのふたつの恐るべき攻撃を受けた。無造作に、そのまま受け止めた。

 魔力の刃が薄ガラスのように砕ける。

 炎の渦が、リェダに火傷ひとつ負わせず洞窟の外へ吹き抜けていく。


 宝玉の魔王がさがった。

 リェダは無傷だった。


 洞窟内に、魔界の臭気が炎の残熱に炙られる奇妙な小音が出る。それ以外は、不気味なほど静かだ。

 おもむろにリェダは掲げていた手を下げた。

 大事な教え子の方を振り返る。


 エルは無事だった。炎の渦に巻かれずに済んでいる。


 リェダは【無限充填】を使い、エルに防御魔法をかけた。半透明の、薄い青色の球体膜が賢者の周囲に展開される。


 ちょうどそこで、エルが目を覚ました。彼女は頭を押さえながら、上半身を起こす。

 リェダの姿、そして宝玉の魔王の姿を認めた彼女は、防御魔法の内側から叫ぶ。


「パパ、逃げて!」


 もちろん、我が教え子を放って逃げるなどという選択肢は元魔王にない。

 あるのはただ、不届き者への怒り。

 そして――懐かしさだ。


 リェダは全身から、これまでにない昂ぶりが湧き上がるのを感じていた。ゴミクズを仕置きするための魔力を練っていくと、全能感と凶悪な暴力性が鎌首をもたげてくる。

 それは、正しく『魔王リェダーニル・サナト・レンダニア』の姿であった。


 心の中で、天を仰ぐ。

 ああ、この感覚。

 とうとう、ここまで戻ってきてしまったか。


 久しく忘れていた、魔王としての傲慢さ。

 敵を屠っていたときの空虚な怒り。

 かつての魔王が、魔王らしさを取り戻しつつある。

 それはすなわち――孤児院長リェダとして残された時間があとわずかになってきた証なのかもしれない。


 教え子から視線を外す。

 宝玉の魔王は、まだそこにいる。

 奴の手にはいまだ魔力を高め続ける『宝玉』が握られている。


「愚かだな」


 リェダはつぶやいた。

 宝玉を得たところで、我に勝てると思っているのか。

 教え子を傷つけられ、かつ、自分に残された時間がわずかと知ったリェダに対して。

 昂ぶった魔王に対して。


 度し難く、愚かである。


 リェダの偽装魔法がゆっくりと剥がれていき、赤々とした瞳の輝きと、独特の紋様で彩られた長い耳が露わになる。


 ――制裁を加えよう。


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