第43話 彼らが放つ古代魔法


「そろそろ切り上げよう、エル」


 籠の中にはもう十分な量の薬草が詰まっている。これに賢者エルの知識と技術が加われば、きっと素晴らしい薬になるだろう。ロウェ夫妻の容態も快方に向かうはずだ。


「これで安心だな。後は任せたぞ」

「うん」


 隣に並んだエルが、ふと思い出したように言った。


「そういえば、例の氷漬けの魔法。すごく気持ち悪い魔力だったけど、強さはそれほどじゃなかった。たぶん、犯人は中くらいの魔族だよ。パパやししょーと比べたら、全然」


 そうだなとうなずくわけにもいかず、リェダは話を逸らした。


「お前、そんなことまでわかるのか」

「ん。勉強と研究の成果。王都の中枢では、魔族に対する知見がだいぶ蓄積されてる。すごく参考になる」

「参考?」

「魔族と共存すること、とか」

「共存って……エル、お前。大丈夫なのか。賢者の立場で言うべきことではないだろう」

「まあ、白い目で見られることは確実」


 あっさりと言うのでリェダは眉をひそめた。構わずエルは語る。


「ただ、魔族との共存について議論はあるんだよ。一応、協力的な魔族の存在も確認されているから」

「協力的? そんな魔族がいるのか、この世界に?」

「うん。公にはなってないけどね。上の方の研究者の間では共有されてる。人間に手を出さず、こちらの生活に適応した魔族たち。彼らが静かに暮らす集落がある」


 彼らの安全のため、場所は明らかにされていないけれど――とエルは言った。

 リェダは初耳だった。おそらくティアロナも知らないだろう。

 自分たち以外に、人間世界の片隅で平穏に暮らす魔族がいるとは。

 それ以上に驚きなのは、そういう魔族の存在が、一部とはいえ王都の人間に認識されていたことだ。


 平静を装って、リェダはたずねる。


「フラーネや他の勇者たちはそのことを知っているのか。彼らは魔族を討ち滅ぼすことが使命とされているだろう」

「勇者になったときに伝えられているはず。けど、たぶんフラ姉は信じてないと思う」


 エルが表情を曇らせた。


「フラ姉、どうも昔から魔族にすごく敵意を持ってるから」


 リェダにも思い当たる節がある。特に、フラーネに木剣――彼女いわく聖剣――を与える前、鍛錬に没頭していた頃が頭に浮かぶ。


「フラ姉から直接聞いたわけじゃないけど。孤児院で本を読んでるときとか、一緒にお話ししてるときとか、たまにそう感じた」


 エルは、薬草の入った籠を指先で叩く。


「その敵意、今はもっと強くなってるって感じる。王都に流れてくるフラ姉の話や、実際に一緒に任務に当たったときの姿を見ると、フラ姉の魔族嫌いは、相当」

「使命感の表れじゃないのか」

「そうなのかな」


 話題が途切れる。


 そのときだった。

 不意にリェダが立ち止まり、眉間に深い皺を寄せる。


「どうしたの、パパ」

「……いや。なんでもない。もしかしたら獣にでも目を付けられたのかも知れないな」


 適当にごまかす。だが、リェダは鋭く感じ取っていた。


 魔族の気配。

 しかもこれは――かなり濃い。

 フラーネと来たときも、エルと薬草採取していたときも、まったく気配がなかった。それが突然、まるで急な発熱のように背筋を震わせてくる。

 よりによって孤児院から離れてない場所で、かなり大きな接穴が現れたのかもしれない。

 どうする。一度エルを送り届けて、それから急いで引き返すか。


「……あ」


 ややあって、エルが口を開いた。あらぬ方を見る。

 奇しくも、そちらはリェダが魔族の気配を感じた方向と同じだった。


「私もわかった。この感じ、魔族かもだね。パパ」

「……早くここを離れよう」


 リェダは教え子の手を引く。だが、百年に一度の天才賢者はそれを拒んだ。


「駄目だよパパ。私は王国が認めた賢者だから。魔族の気配を感じて、そのままにしておくわけにはいかない。それに」


 エルが見上げてくる。


「ここで私が立ち去ったら、パパひとりで何とかしようとするでしょ。そんなの、ぜったいむりやばい」


 リェダは肩をすくめた。


「様子を見るだけだぞ。異変の元を確認したら、すぐに引き返す」

「わかった。でも私はぜんぜん心配してない。パパと一緒なら」


 そう胸を張って告げるエル。

 こういうところは教え子賢者も教え子勇者と変わらないなとリェダは思った。


 ――気配をたどり、道なき道をさらに進む。

 基本的に室内にこもりがちなエルは、早くも息が上がっていた。ただ、賢者としての矜持がそうさせるのか、いつもの口癖は封印し、黙々と歩を進めている。


 やがて森が途切れた。目の前に岩肌の目立つ小高い山が現れる。

 エテルオ孤児院からそう遠くない場所だ。天気の良い日なら、二階の窓から遠く望むことができるほどの距離。

 かつてフラーネが勇者の絶技で撃退したウルゾス剣牙狼も、おそらくここを住処にしていたのだろうと思われる、低山ながら険しい山容さんようだ。

 ところどころ、山肌が黒い。黒曜石の地層があるのかもしれない。

 魔族の気配はさらに強くなっている。


 リェダは口数が少なくなっていた。肌に感じる空気が、かつての魔界を彷彿とさせるのだ。

 隣を見ると、賢者エルが愛用の人形を手に、口元を押さえていた。少し顔色も悪い。

「戻るか」と短く声をかけると、エルは首を横に振った。気分が悪そうだが、瞳の力は少しも鈍っていない。


 気配を頼りに、慎重に山へと入る。

 もともと登山道など整備されていない場所だ。急な斜面で足を滑らせないように注意する。リェダは自力で、エルは古代魔法である風属性を駆使して登っていく。


 やがて、岩場の陰に大きな裂け目を見つけた。人ひとり、余裕を持って入ることができる洞窟だ。

 光属性の古代魔法で照明を作ろうとしたエルを制する。この先何があるかわからない。教え子の魔力は、できるだけ温存させたかった。

 代わりに、リェダは自分で火の魔法を出した。たいまつの灯火として辺りを照らす。

 リェダの【無限充填】には、照明としての光属性魔法もある。今は敢えて、使わなかった。


 洞窟はそれほど深くなかった。だが肌寒い。

 リェダは歩を進めるほど、強い違和感を覚えていた。洞窟の岩壁に手を触れると、ほんのりと身体に流れ込んでくる力を感じる。


 ――この黒い地層の中に、おそらく『宝玉』が埋まっている。


 驚きだったが、納得もした。この場所に『宝玉』が豊富に存在していたのなら、以前遭遇したウルゾスが災獣化したのも筋が通る。

 こんな場所に魔族が現れたらどうなるか。

 そう時間を置かず、突き当たりの空間まで行き着く。

 たいまつ代わりの魔法を周囲に巡らせたリェダは、眉をひそめた。

 隣ではエルが口元を押さえ、リェダの袖口をつかむ。


「接穴だ」


 リェダはつぶやいた。

 しかも、ひとつではない。

 壁面は言うに及ばず、天井、地面にも闇よりなお濃い漆黒の靄が渦巻いている。

 特に正面、天井に近い部分に口を開けた接穴は、他のものより二倍から三倍の大きさがあった。


 洞窟内には、黒の地層からこぼれ落ちたと思われる大小の鉱石が転がっている。おそらくこの中に『宝玉』があって、接穴を大きく広げる役割を担っているのだ。


 ――リェダは以前、ティアロナから聞いた話を思い出した。

 魔王に準ずる力を持つ彼女が、苦労して人間世界にやってきたとき。そのときに通った接穴も、今目の前にあるもののように大きな規模だったらしい。

 つまり、いつ力の強い魔族がこちらにやってきたとしても、不思議ではない状況なのだ。

 胸糞が悪くなる発見だった。


 ここまで大規模な接穴は、いち地方の騎士や役人の手に余るだろう。急いで戻って通報したとしても、適切に対処できるかどうか。

 もちろん、リェダならばやりようがある。

 偽装魔法を解き、元魔王としての力を十二分に発揮すれば、たとえ大規模な接穴であろうと対処はできる。

 隣に教え子エルがいなければ――。


「パパ。ここは私に任せて」


 エルが表情を引き締めて前に出る。気持ち悪さを魔力と気迫で押しとどめていた。


「これだけの接穴、塞ぐのは賢者の役割」


 そう告げて、エルがさらに強く人形に魔力を込めた。


 まさにそのときだ。

 洞窟内に広がる複数の接穴から、次々と魔族が姿を現した。

 腕。足。頭。こちらの世界に触れた瞬間、魔族たちの身体が奇妙に痙攣する。能力減衰の影響を受けているのだ。おぞましい呻き声が、さして広くない空間に反響した。


 数は――四。皆、人型の魔族だ。

 リェダは眉をひそめた。内心で舌打ちをする。


 此奴こやつら、小賢しい。


 リェダが感じ取った魔族たちの圧。以前討ち滅ぼした禿頭魔族と同等の強さだ。

 装備品も、着の身着のままには見えない。武装している。

 何より、統率が取れている。


 念願の人間世界へ到達し、目の前に獲物となるような人間がいるというのに、一定の距離を保ったままこちらの様子をうかがうだけなのだ。今この瞬間も、能力減衰による不調を抱えているはず。普通の魔族ゴミクズなら、我先にと襲いかかってきてもおかしくない。

 にもかかわらず、整然と並んだまま動かない。

 まるで、誰かの到着を待っているかのように。


 小賢しい。

 無為無策に突っ込んでくるような愚物であったなら、いくらでもやりようはあったのに。

 賢者エルに気づかれることなく、彼女を傷つけさせることなく、身の程を知らしめることができただろうに。


 この様子では――加減ができそうにない。


「警告する」


 凜とした声が響いた。

 エルが、胸を張って言葉をぶつける。


「ここは人間世界。あなたたちのいるべき場所ではない。すぐさま引き返すこと。繰り返す。ここは人間世界。すぐに引き返せ」


 魔族たちは応えない。


「警告はした」


 賢者が愛用の人形を掲げる。

 魔族相手に一歩も引かない勇姿に感動する一方、「やっぱりらしくないな」とリェダは思った。

 彼女の背中に向けて、小声で言う。


「補佐する。護りは任せろ」

「ん。ありがと、パパ」


 一瞬だけ、普段の表情に戻るエル。

 直後、彼女は賢者エル・メアッツァとして敵に対峙する。


「――『約束の軌道は示された。け。古から産まれし赤子たちよ』――」


 掲げた人形が魔力で輝く。詠唱を受け、魔族たちが動く。

 だが賢者の魔法完成が早い。


「土属性魔法――【集束岩槍カジェート】!」


 失われた古代魔法が、動き出した魔族たちを襲う。

 上下左右から突如として生えた鋭い岩の槍。魔族の胸元一点に向けて、一斉に突き刺した。

 魔族二人が、まともに串刺しになる。空気が抜けるようなごくごく短い悲鳴を上げ、一瞬で絶命した。

 ひとりは片腕を犠牲に致命傷を免れ、もうひとりは見事にかわした。

 狭い洞窟内に生み出された岩槍のモニュメント。魔族はそれを踏み台に、エルの死角から襲いかかる。


 小生意気な餌め――と、魔族ゴミクズどもが叫んだように聞こえた。

 エルが身体を硬くする。魔法を専門とする彼女は、無論、勇者ほど近接戦闘能力はない。

 魔力を帯びた短剣が、エルの脳天目がけて振り下ろされる。


 ――が、奴らの一撃は届かない。

 エルと短剣の間で、水しぶきが飛んだ。賢者を覆った水の膜が、魔族の攻撃を弾いたのだ。

 詠唱なしの水属性防御魔法。


「エル」

「ん」


 教えた者と教わった者との間で、短い言葉のやり取り。

 エルは立て続けに、土属性魔法を詠唱した。狭い洞窟の崩壊を招かないように、しかし敵には最大の打撃を与えられるように。

 不動であるはずの岩が、まるで殺意を持った蛇のように蠢く。

 洞窟内を飛び跳ねながら、しぶとく逃げ回る魔族ども。追いかける岩蛇。


 土属性魔法を操るエルの首筋に汗がにじむ。広くない洞窟内での息苦しさ、接穴から漏れてくる魔界の空気、禿頭魔族級の強さを持った個体が常に首元を狙ってくる緊張感。

 いかに天才賢者といえども、最前線で戦う機会の少ない十五歳の少女では、並の騎士以上に消耗する。


 すばしっこい一人を仕留めた。後は手負いの魔族のみとなる。

 仲間の死体を踏み越えて、エルに飛びかかってきた。

 一瞬、敵の姿を見失っていた賢者は、虚を突かれて組み敷かれる。仰向けに倒れた拍子に、手から人形がこぼれ落ちた。手元から人形がなくなったとわかった途端、エルは「わあああっ!」と叫んだ。

 獲物エルの動揺に、魔族が満足げに笑む。深紅の瞳が恨みと恍惚でぎらりと輝いた。


 次の瞬間。

 手負い魔族の頭部を、リェダが片手で鷲づかむ。敵に困惑の時間も対処の時間も与えないまま、エルの身体から引き剥がし、壁面に叩きつけた。

【集束岩槍】によって生み出された鋭い岩の突起に、脊髄を貫かれる魔族。


 リェダは、教え子の手前、片手で魔族の頭蓋を握り砕くことはやめておいた。代わりに心の中で吐き捨てる。


「不敬である」と。


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