第42話 子としての誓い


 年長者の子に孤児院のこととティアロナへの言伝ことづてを任せる。

 薬草採取のための準備を手早く済ませ、リェダはエルに声をかけた。


「それじゃあ、行くか」

「うん」


 孤児院を出て、近くの森へと進む。

 エルの話だと、この地域に自生している薬草で事足りるそうだ。薬草の名を聞くと、リェダもよく知っているありふれた野草だった。


「孤児院にいたころ、見覚えがあったから。すぐに採取できると思って」

「そうか」


 それ以上、リェダは深く聞かない。おそらく、それだけが理由で連れ出したのではないだろうと元魔王は思っていた。


 すぐ目の前に、賢者。魔族を滅する勇者と比肩するほどの力を持つ、人間側の英傑。

 彼女が本気で元魔王と対峙したら、お互いどうなるかわからない。そのことは、もうすでにブロンスト郊外で思い知った。


 けれど――。

不思議なことに、元魔王リェダの心は落ち着いていた。

 我は狩られる側の存在だ。我の使命はただただ、恩師の遺志を引き継ぎ、子どもたちを護り継いでいくだけ。

 心はもう決まっている。


 ――ふたり、他愛ない会話をしながら薬草採取を続ける。エルは薬草の質を確保したいと言って、選別しながらどんどん森の奥へと進んでいく。

 いつしか、見覚えのある景色が広がる場所へたどり着く。木々の端々や地面に、まだ新しい焼け焦げた痕跡がある。

 エルが辺りを見回し、少しだけ眉をひそめた。


「火事……?」

「ああ、これは違うんだ」


 リェダは肩をすくめながら事情を説明した。

 勇者フラーネが調子に乗ってステラシリーズをぶっ放した現場――そう聞いたエルは、開口一番「むりやばい」とつぶやいた。


「フラ姉、王都ではすごく美化されてる。中身はあんまり変わってないから、心配」

「やっぱりお前もそう思うか」

「つい最近会って、無茶苦茶抱きつかれた。皆ドン引きしてた」

「年下に心配される勇者とはなあ……」


 リェダが嘆息する。

 焦げた地面から新しい芽が小さく出ようとしている。エルはその場にしゃがんで、指先で芽をつついた。


 ふと、表情を消して賢者が言った。


「でも、すごく張り切っていたよ。パパに相応しい勇者になるって。今も」

「そうか」

「賢者と呼ばれてる私から見ても、フラ姉はすごく強い。強くなってた。選抜闘技大会も見た」


 昔から変わらない眠そうな目が、下から元魔王を見上げる。


「身内の贔屓目を差し引いても、たぶん、今のフラ姉は歴代最強級。並の魔族はまったく相手にならない。きっと、魔王級の強い魔族だって」


 そこで言葉を切る。

 リェダの心はすでに決まっている。動揺もなく、教え子を見つめ返す。どこか優しげでさえある元魔王の表情は、偽装魔法の『ぎ』の字すら感じさせないほど不動だった。

 エルが唾を飲み込む。


「パパ」

「なんだ」

「パパは、大丈夫? フラ姉が勇者となって、強くなって……あらゆる魔族を打ち倒す存在になっても」

「院長としては、あまり危ない真似はしてほしくないな」


 もちろん、それはお前も同じだぞ、エル――とリェダは応じた。

 エルの大人びた顔付きが、このとき、かつての教え子時代のように曇った。不安そうな、子どもの顔。


 リェダは一度、瞑目した。言う。


「だが――それがお前たちの歩む道で、お前たちが選んだ使命ならば、俺は応援するさ」

「パパ……」

「エル。ひとつ、心に留めて置いてほしい」


 賢者であり教え子の目線に合わせ、リェダはしゃがんだ。一拍、置く。


「お前たちはもう、立派な大人だ。地位も、人々の信頼も、そして充分な財産も得た。だからもし、俺やティアロナがいなくなったら、代わりに孤児院の子どもたちのことを頼みたい。力を合わせて」

「……なんで今、そういうことを言うの。パパ」

「もしもの話だ」

「嫌。そんな『もしも』は考慮したくもない」


 研究者らしい物言いに、リェダは苦笑する。


「俺も昔はそうだったよ。エテルオ先生がいたときさ」

「パパの、先生。前の院長だったひと」

「心から敬愛した存在でも、そうなる」


 リェダは立ち上がった。

 エルは何かを言いかけたが、言葉を飲み込んだ。リェダの『頼み』に、結局、同意も拒絶もしなかった。


 ――それからしばらく、ふたりは無言で薬草採取を続けた。

 リェダの手つきと比べ、エルの採取速度は明らかに遅い。もやもやを抱えていると、端から見ても伝わってくる。


「エル。これは何て植物かわかるか?」


 そんな教え子に対し、リェダは他愛ない話題を振る。どちらかというと口下手なところがある若き賢者は、ぽつぽつと正確な情報を返した。


「さすがの博識ぶりだ。王都でよく学んでいるようだ」

「パパ……」

「そういえばエルは、王都でどんな研究をしているんだ」


 エルはあまり手紙を出さない。どちらかというと、頻繁に寄越してくるフラーネの手紙でエルのことも知る機会の方が多い。

 王都のどこかで研究者として働き、その功績が認められて賢者の称号を得た――リェダはそう聞き及んでいる。だが、彼女の専門が何なのかまでは知らない。きっとフラーネの理解の外だったのだろうと思っている。


 エルは薬草採取の手を止めた。はにかむ――とは少し違う表情を浮かべる。


「古代魔法の研究」


 エルは答えた。リェダはわざとらしく驚いた。


「それはすごいな。今は失われたものだと聞いたぞ」

「うん、そう。人間はもう使えなくなったとされてる」


 含みのある言い方だった。


「でも、私は見たの。古代魔法を、この目で。失われた属性魔法を、その整った魔力の奔流を、その鮮烈な輝きを見たから。それがずっと忘れられなかったから。だからそれを、研究しようと思った」


 リェダは口を閉ざした。「どこで見たのか」とは敢えて聞かない。

 大きな失敗をして、叱られるのを怖れる子どものような顔をエルはする。それ以上は口にすべきでないと思ったのか、彼女は細い手で口元を押さえる。

 それでも、ぽつりと――。


「私が古代魔法を研究しているのは、もっともっと活躍して欲しい人が居るから。古代魔法を使えることに、もっと自信を持ってほしいから。その人のためになるように、頑張ってる」

「そうか」


 それだけ、リェダは答えた。


 ――これでほぼ確実だ、と元魔王は思った。

 エルは、誇るべき偉大な教え子は、リェダが魔族であることに十中八九、気づいている。

 おそらく、ブロンスト郊外で遭遇したときだ。


 さすが、百年に一度の天才賢者。リェダが直接魔法を行使した場面を見ていなくても、その痕跡から魔法の内容と魔力の正体をほぼ見抜いたということだろう。

 そして、リェダやティアロナと結びつけた。かつて孤児院で共に過ごしていたときに、エルには魔法について教えたことがある。


 決定的な一言――『パパは魔王なの?』と聞いてこないのは、エルなりの配慮なのだろうか。

 リェダは、その一言を言わないでくれたエルに感謝した。

 そして深く安堵する。改めて思う。


 元魔王の力に気づいた観察力。賢者の名に相応しい天性の感覚。失われた属性魔法を研究し、周囲に認められ、相応の地位と名声と尊敬を集めた実績。稀代の勇者との姉妹のような繋がり。

 あらゆる好意的な要素を兼ね備えたエルなら。

 エテルオ孤児院のこれからを、すべて任せられる。


 尊敬する先生がこの世を去って五年。

 リェダに残された時間は不透明で、少ない。


「エル」

「なに、パパ」

「改めて頼みたい。エテルオ孤児院を引き継ぐ気はないか。フラーネと一緒に」


 エルは黙っている。リェダは続けた。


「お前たちが孤児院を継いでくれるのなら、俺は安心だ。なにもお前たちが孤児院に常駐する必要はない。誰か信頼の置ける人間を派遣して、適切に管理してくれればいい。お前たちが選んだ人間なら、きっと大丈夫だろう」

「パパは」


 エルは言った。


「パパはどうするの。どこにいくの」

「……どこか静かなところに隠居でもするさ。ティアロナと一緒に」

「パパは私たちを見捨てるの?」


 ぶちり、と草を抜く賢者。土を払うかつての教え子。

 エルがこのような物言いをするのが珍しく、リェダはとっさに言葉を継げなかった。


 賢者の魔力で動く人形が、エルの手から降りてリェダの元にやってくる。まるで遭難者が「ここだ!」と訴えるように、リェダの前で両腕を動かした。


「パパもししょーも、たぶんだけど、嘘が上手だよね」


 ふとエルが言った。


「なのに今のは、私でもわかるくらい、下手な嘘だった」

「悪かった。だが、これだけは信じてくれ。俺もティアロナも、お前やフラーネや、孤児院の子どもたちを見捨てるつもりはない。断じて、ない」

「じゃあ、どうしてどっかに行こうとするの」

「……そういうものだからな」


 リェダは答えになっていない答えを返した。


 ――お前も気づいているだろう、エル。俺は、いや我は魔族。それも、魔界では名の知れた魔王だった恐ろしい男だ。そんな男が人間の子どもたちの近くにいると知られてみろ。エテルオ孤児院は確実に消滅する。あそこにいる子どもたちも、散り散りになるだろう。そして、魔王の元で育ったお前たちもまた、今の地位ではいられなくなる。


 おそらく、お前たちには我の討伐指令が出るだろう。


 我は良い。お前たちに滅ぼされるなら本望だ。

 だが、お前やフラーネに、我を滅ぼすという枷はかけたくない。我の命で、お前たちを縛りたくないのだ。それは、恩師の遺志に背くことだ。


 ――と、リェダは口にしなかった。代わりに、こう繰り返す。


「そういうものなんだよ、エル」


 真実を打ち明けたところで、彼女らに何のメリットもない。

 どうせ元魔王に残された時間は少ないのだ。

 それならば、疑惑は疑惑のままで捨て置いた方がいい。後でいくらでも言い訳ができる。

 子どもたちは何も知らないまま、明るい未来を歩み続ければいい。それでいい。


 エルは再び黙り込んだ。そしてしばらくしてから、「わかった」と小さくうなずいた。


「パパがそう言うなら、孤児院、何とかする。私とフラ姉で」

「そうか。そうか……! 良かった、ありが――」

「でも! パパがこの世界にいられなくなるくらいなら、話は別。私は抗う」


 エルの人形が強い魔力を帯びる。まるで魔力が炎になったかのように、虚空に陽炎が立つ。


「賢者として得たすべてを、ここまで生きて身につけたことすべてを使ってでも、私は抗うから」

「エル……」

「ぜったいだから」


 リェダはため息をついた。これはますます、この子を巻き込むわけには行かないなと元魔王は思った。

 エルの興奮は収まらない。


「いざとなったら、孤児院に立てこもる。誰が襲ってきてもへいき」

「そのときは俺がお前たちを引っ張り出す」

「う」

「すっかり大人になったお前に相応しい説教をしてやろう」

「むりやばい」

「だったらこの話はここで終わり。いいな?」

「むりやば……うぅ」


 またも駄々っ子のように頬を膨らませる。ただ、人形の魔力はしゅるしゅるとしぼんでいた。リェダは苦笑した。


 これは本気で職場訪問する必要があるかもな。うちのエルが無茶をしないよう、どうか気にかけてやってほしいと。


 背中を見せた孤児院長。

 その姿を、エルはじっと見つめていた。

 先ほどまでの駄々っ子のような表情はない。

 賢者として。孤児院の教え子として。そして、血は繋がらなくても想いと力は受け継いだと自負する娘として。


「ぜったい、私が何とかするから。パパ」


 そのつぶやきは、リェダには届かなかった。


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