第49話 勇者の申し出
それから、孤児院の皆で手分けして引っ越し作業を始めた。掃除をして、部屋決めを行い、それから荷馬車に積んできた荷物を運び込む。
どうやら荷馬車の御者は、引っ越し作業込みの報酬を支払われていたようだ。荷物を放置してさっさと引き揚げることもなく、作業に手を貸してくれた。後でどのくらいの額になるか聞いておかなければとリェダは思う。
賢者エルも、この日のために時間を空けたという。相変わらず子どもたちの圧にはたじろいでいたが、古代の風属性魔法で軽やかに荷物を運び込む様子を見せて、子どもたちを大いに楽しませていた。
子どもたちがそれぞれの自室に入ったのを見届け、リェダは後回しにしていた書斎の整理に入る。一緒にエルも入ってきた。
「助かったよ、エル。何から何まですまないな」
「ううん。平気。……むしろこの先が本番。そのために残ったまである」
表情をあまり変えない彼女が、珍しく眉間に眉を寄せていた。
リェダは首を傾げながら、自分の荷物を解く。丁寧に梱包していた小箱を真っ先に取り出した。
エルが側にやってくる。
「パパ。それがパパの先生の?」
「ああ。エテルオ先生が最期に遺してくれたものだ」
小箱を開く。そこには親指の先ほどの結晶が収められていた。元は美しい群青色だったそれは、今はくすんで黒色に近くなっている。
リェダは目を細めた。
「あれからもう五年か。ふっ……まったく、色々ありすぎて思い出せないくらいだ」
「やめてパパ。言ったでしょ。パパはぜったい、この世界に残ってもらうんだから」
エルが声を低くする。リェダは応えなかった。
賢者は、エテルオが遺した『宝玉』をじっと見つめた。
「初めて見るけど、深いね。魔力。これがパパをずっとパパでいさせたんだ……」
「そうだ。大した人だよ、先生は。この元魔王リェダを、五年もの間生かし続けたんだからな。すごい人間だ」
「パパ」
エルは苦言を口にしかけて、表情を引き締めた。
「……うん、そうだねパパ。エテルオ先生、本当にすごい。これ、私でも再現は難しいかも。ねえパパ、エテルオ先生って、元は王国の偉い人だったりした?」
「わからん。過去を語りたがらない人だったからな」
「そっか……ちょっとこれ、本気出さないとむりやばいかも」
エルが小声でつぶやいた。
リェダは小箱を鍵付きの棚にしまった。小さな鍵が戸棚にかかる音がする。防音された室内のせいか、その音はやけに重く耳に届く。
「リツァルは良い街だ」
リェダは言った。書斎の整理作業を続ける。
「ここなら、我とティアロナがいなくなっても子どもたちは大丈夫だろう」
荷物箱から取り出そうとした書籍をひったくられる。顔を上げると、頬を膨らませたエルが見下ろしていた。
元魔王は、じっと教え子を見つめる。
教え子は短く息を吐いた。
「……この本、どこにしまう?」
「左の書棚へ頼む」
しばらくお互い無言で作業を続ける。本が棚に滑り込む音。机の引き出しを開ける音。絨毯の上を行き交う靴音。
ふと、書斎の入り口がノックされた。扉の厚さが変わっても、ノックのリズムは変わらない。ティアロナだ。
リェダが扉を開けた途端、階下の賑やかさが書斎に入り込んでくる。
ややむくれた表情で「作業中、失礼します」とティアロナが言った。彼女の次の言葉を遮るように、横から見慣れた顔が割り込んできた。
「リェダ先生さん! お疲れさまですっ!」
「フラーネ?」
「はい。記念すべきエテルオ孤児院移転をお手伝いするため、勇者フラーネ、ここに馳せ参じました!」
元気良く敬礼するもうひとりの教え子。リェダは室内を振り返る。
賢者エルが喜びと緊張でむつかしい顔になっていた。なるほど、『この先が本番』とはそういう意味だったのかとリェダは思った。
普段と変わらない表情で、元魔王は言う。
「わざわざ勇者様に来てもらうなんて恐縮だな」
「そんなひどいこと言わないでください。あ、エルー。お疲れさまー。連絡ありがとー」
浮かれているのかご機嫌で手を振る勇者。彼女は妹分のエルが本当に好きだ。賢者の方も小さく手を振り返す。
引っ越しの日時はエルから伝わっている。確かにこれだけ仲が良いのに、内緒のままにしてしまったら不自然だろう。
「やー、遅くなってすみません。先生さん。ちょっと騎士団で用をこなしていたら、こんな時間になってしまって。あ、どれ運びましょうか?」
「そうだな。ではエルと交代で、本の整理を頼む。あの子を休ませてやってくれ」
「承りました!」
底抜けに明るいフラーネが、エルの側へ向かう。癖になっているのか、天才賢者の身体をぎゅっと抱きしめていた。
勇者から解放されたエルが、リェダの元までやってくる。ティアロナも隣に並んだ。
「……むりやばい。相変わらず」
「そうね。こうして見ると、以前と変わった様子はないわね」
含みのあるティアロナの言葉。彼女は教え子の賢者に視線を向けた。
「エル、人形が」
短い指摘で、賢者が気づく。肌身離さず持っている人形が、彼女の肩口でオロオロと辺りを見回していた。
人形はエルにとって魔法行使の要であり、感情の代弁者である。無意識のうちに動揺が伝わっていたと知り、賢者は懐に人形をしまった。
リェダは教え子の背中を軽く叩く。
「いつもどおりでいこう」
リェダとティアロナが魔族であることに、フラーネが気づいた様子はない。
リェダ、ティアロナ、エルの三人は視線を交わして、小さくうなずき合った。
「リェダ先生さーん」
「どうしたフラーネ」
勇者に呼ばれ、歩み寄るリェダ。自身の言葉どおり、その表情と態度はいつもとまったく変わるところがなかった。
「これ! うわあ、懐かしい。ほらほら、私のころ皆で作った絵本ですよ。持ってきてくださったんですね。嬉しいなあ」
「大事な思い出だからな。俺にとっても」
「えへへ」
子どもの落書きをまとめただけの紙束を、フラーネは大事そうに撫でた。
それから、不意に表情を引き締める。
「先生さんたちは、度重なる魔族の脅威から避難してこられたと聞きました。このリツァルへの孤児院移転……大きな決断だったと思います。私は、先生さんたちを支持します。妥当なご判断です」
手作り絵本を撫でる手は止まらない。フラーネの顔付きは、家族に会えた喜びから、次第に戦場に向かう勇者の意気に染まっていった。
「ご安心ください。勇者フラーネ・アウタクスの名にかけて、私が皆さんを護ります。穢らわしい魔族どもに、指一本触れさせません」
彼女の青い髪が、ざわりと逆立つ。
「絶対に、魔族はこの手で――!」
「こら」
絵本をフラーネから奪い、それで軽く頭を叩く。
「ここは孤児院だ。そんな殺気立っていたら、子どもたちが怯えるだろう」
「あ。す、すみません。つい」
「お前がそこまで気張る必要はない。ただ、勇者としての使命感と決意の固さは伝わった」
リェダは微笑む。彼の後方で顔を強ばらせた賢者と部下とは対照的だった。
心から、言う。
「俺はお前を誇りに思うよ。フラーネ」
「リェダ先生さん……」
フラーネが瞳を潤ませながら、リェダを見上げた。
厚い壁に囲まれ、音を外に逃さない独特な空間の中、それぞれの思いが室内に滞留する。
リェダは手を叩いた。
「よし。ここは切り上げだ。フラーネ、子どもたちの部屋に行って、顔を見せてやってくれ。今は二階に集まっているはずだ」
「え?」
「馴染みのない土地に来て、皆大なり小なり動揺している。お前の明るさで、子どもたちを元気づけてやってくれ。頼むぞ未来の副院長殿」
「なるほど。そういうことならお任せください!」
敬礼して、勢いよく駆け出すフラーネ。リェダは苦笑し、肩の力を抜いた。
ところが、部屋を出たと思った勇者は、またすぐに引き返してきた。
「大事なことを忘れてました。先にリェダ先生さんにお話が。あ、ティアロナ先生にも」
「私も?」
眉をひそめるティアロナ。
フラーネに促され、ソファーに腰掛ける。対面に腰を下ろした勇者に、エルがそっと寄り添う。賢者は恐る恐る、たずねる。
「フラ姉……あの。何か、大変なことでも」
「ん? ああ、大変も大変、大事、そして最重要の話だよ。まあ、リェダ先生さんに会えて浮かれちゃって、うっかり失念してたんだけど」
そう言って舌を出すフラーネは、とても誰かを断罪するような顔に見えない。
ほんのわずか、空気がピリついた。エルはそのまま後ろに下がり、状況を見守る。ティアロナは眉をひそめたまま、リェダは表情を変えずに、教え子の次の言葉を待つ。
腰に下げた小さな鞄から、フラーネは一枚の紙を取り出した。一目で上質とわかる。二つ折りで封までされたその紙を、ローテーブルに滑らせた。
「どうぞ、リェダ先生さん」
「……これは?」
「んっふっふ。私の野望が大きく前進したことを示す偉大な通知です」
もったいつける教え子の少女。リェダは紙を手に取り、封を切った。
流麗に書かれた文字を目で追う。やがてリェダは目を瞬かせた。
「後見……証明書?」
「そうです! リェダ先生さん――と、あとティアロナ先生を、このわたくし、フラーネ・アウタクスが正式に推薦した証です。いやあ、苦労しましたよ。これ用意するの」
胸を張るフラーネ。ティアロナも手紙を受け取り、内容を確認する。
それは、フラーネが勇者の立場でリェダとティアロナの身元を保証し、相応の実力者であると太鼓判を押すものだった。
「この文書があれば、だいたいの公的機関で融通が利きます。ギルドだって入り放題、昇級し放題ですよ!」
「フラ姉……それ、職権濫用」
「わかってる。冗談だって。本当に伝えたいのはこの次」
フラーネは居住まいを正した。
「先生さん。リツァル蒼騎士団で働きませんか?」
「何だって?」
「その後見証明書は、言ってみれば身分証です。リツァル蒼騎士団は由緒ある組織で、それ故に雇用条件も厳しいですが、私の保証があれば話は別です。実はこの文書作成と併せて、蒼騎士団の団長殿とも事前にお話をしていたのですよ」
身を乗り出す教え子。
「リツァル蒼騎士団に相応しい、とびっきりの実力者がいる。ぜひ、雇っていただけませんかと」
「フラ姉……やっぱりそれ、職権濫用……」
「むう。いいじゃない、団長殿も前向きになってくれたんだから。それに、こんな絶好の機会、逃したくなかったんだもの。ずっと前からの夢、リェダ先生さんを表舞台に立たせるって! いよいよ先生さんの実力を世に知らしめる時が来たんです!」
フラーネは目を輝かせた。
「ね! リェダ先生さん。一緒に騎士団で働きましょう。先生さんなら、きっと私以上に活躍できて、私以上に有名になれます! 選抜闘技大会だって――」
「待った。落ち着けフラーネ」
どんどんにじり寄ってくる少女を再びソファーに座らせる。
ティアロナが書類をテーブルに放った。
「まったく。相変わらず向こう見ずな……。あなた、自分の立場がわかっているの? 下手をしたら勇者の信頼がガタ落ちするわよ」
「ではお聞きしますが、ティアロナ先生はこれから先、どうやって孤児院を維持していくおつもりですか?」
横目で、かつての教師を見る。
「実際住んでみるとわかりますが、リツァルでの暮らしはそこそこお金がかかりますよ? 今までのようにはいきません。子どもたちのためにも、安定した収入が必要なのでは?」
「……」
エルが恐る恐る肩を叩く。
「フラ姉。私たちが引き続き支援するのは――」
「しーっ。今いいところなんだから、駄目だよ余計なこと言ったら! もちろん全力で支えるけど、それはこう……なんか違うでしょ。リェダ先生さんっぽくないし! 先生さんには立身出世して欲しいんだよ、私の側で!」
「その理屈、むりやばい」
「エルー!」
「……でも私もパパには側で頑張って欲しいと思ってた。フラ姉に先を越された感じ。ちょっと悔しい」
「エールゥー!」
戯れに抱きつく勇者。されるがままの賢者。
盛大なため息がした。ティアロナである。
「あなたの野望はともかく、収入を確保する必要があるのはそのとおりね。……リェダ院長、どうされますか?」
「いいんじゃないか」
リェダは言った。ティアロナだけでなく、エルも目を丸くする。
「よろしいのですか?」
「せっかくフラーネが用意してくれたんだ。我が孤児院にとって渡りに船。それに、ここの土地建物の手配だって
フラーネに手を差し出す。
「よろしくな、フラーネ」
「はいっ! 頑張りましょう、リェダ先生さん!」
感激も露わに両手で握手する勇者の少女。
「さっそく明日にでも話をしておきますね。数日お時間をいただければ、たぶん騎士団の方から呼び出しがあると思いますので」
「わかった。手間をかける」
「いいえ。これくらいへっちゃらです! うわあ、楽しみだなあ」
その様子を、ティアロナは静かに見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます