第50話 広がっていた名声


 ――その夜。


 もともと家財道具一式が揃っていたこともあって、引っ越し作業はおおむね順調に終わった。フラーネとエルも一度自分たちの宿に戻って、今は静けさが戻っている。

 新しい場所で子どもたちが眠れないのではと心配していたリェダだったが、杞憂だった。どうやらフラーネたちとはしゃぎ回って疲れてしまったようで、皆、ぐっすりと眠っている。


 ひとりひとりの様子を見終わり、リェダとティアロナは三階のベランダで一息ついた。

 夜のリツァルを、ぼんやりと見つめる。


 正直、思いのほか静かで元魔王は驚いていた。閑静な住宅区域だからだろうが、ここは夜の人通りがなく、時折、警備の人間が巡回するくらいだ。昼間の大通りのような喧噪や活気とは無縁。むしろ、自然に囲まれていた旧エテルオ孤児院の方が、梢のざわめきや虫の音で騒がしかった。

 心なしか狭く弱々しく感じる夜空を見上げながら、リェダは言った。


「リツァル。どんなところかと思っていたが、存外悪くないな」

「そうでしょうか」


 隣のティアロナが応える。


「私はあまり好きになれません。街中に染みついた人の匂い、薄いのに癖の強い魔力の空気が、肌に合いません」

「なるほど。すまんな、付き合わせて」

「街は好きになれませんが、私の居場所はあなたの側だということは不変ですので。あしからず」


 さらりと言う元部下に、リェダは苦笑した。

 しばらく夜の街をふたりで見下ろす。


「リェダ様」


 ティアロナが呼びかける。元魔王は視線だけ彼女に向ける。


「なぜフラーネの申し出を受けられたのですか」

「孤児院を今後も維持するためだ。お前も納得しただろう」

「あのときはフラーネがいましたから。……敢えて騎士団の中に入ろうとするのは、単に金が目当てなわけではないでしょう」


 元部下が一歩、距離を詰める。


「万が一、正体が露見したとき――いちはやく彼らに殺してもらおう。そのようにお考えではないですか?」

「よくわかったな」

「少しは否定してください。私にリツァルを滅ぼさせるおつもりですか」


 どこまで冗談かわからない表情で、ティアロナは苦言を言った。


 リェダは無言で彼女を促し、共に執務室へ向かう。防音の室内で、ソファーに腰掛ける。まだ、立派な執務机の椅子に腰を下ろすのは気が引けていた。

 先ほど見た、ベランダからの街の様子を思い出す。


「この街の規模と治安であれば、魔族ゴミクズもそうそう子どもたちに手を出せまい。我々が制裁に乗り出すことも、もはやないだろう。つまり、それだけ正体が露見する危険も少なくなるということだ」

「以前より思っておりましたが、リェダ様はご自身の安全と生存と権威を蔑ろにしすぎです」

「はっきり言うな。エルに正体が明るみになったこと、まだ怒っているか」

「怒っていますが、それ以上に許せないことがあります。例の魔王の件です」


 リェダは小さく眉間に皺を寄せる。

 エルに正体がバレたその日。状況をすべて打ち明けたリェダに対し、ティアロナは強く咎めた。同じことを、今、この場でも口にする。


「なぜ見逃したのですか。私がその場にいれば、そのような不敬の輩、八つ裂きにしましたのに。いえ、リェダ様を闇の檻に追いやった大罪を考えれば、生きていることを後悔させるほどの苦痛を味わわせることが最低限でした」

「お前の言うとおりだ、ティアロナ。甘いと咎められても仕方なかろう。……どうやら我は、よほど孤独が堪えたようだな。あのような輩に温情を与えるなど」

「……ああ、まったく。あなた様にそのような顔をさせることも実に腹立たしい。ですが、終わったことをとやかく言っても仕方ない。それも事実なのでしょう」


 ティアロナは執務机の上に置かれた後見証明書を見た。


「由緒ある蒼騎士団の元で働くならば、それなりの稼ぎが見込めます。孤児院の評判も、悪くなることはないでしょう。新しい土地での子どもたちの世話、孤児院の防護はお任せを」

「ああ。こちらは次なる人材をそれとなく探してみよう」


 リェダはソファーから立ち上がる。無意識に、視線はエテルオの宝玉に向いた。


「あとは――終わりのときを待つだけだ」


 そして、それは近い。リェダは心の中でつぶやいた。



◆◇◆



 ――それから数日。


 新生エテルオ孤児院の暮らしは、まず街に慣れることから始まった。

 人の多さ、歩いて行ける距離内で何でも揃う便利さ、遊び場の少なさ。

 これまでとまったく違う環境に、戸惑いは大きい。

 そうなると適応できる子、できない子と出てくる。しばらくリェダとティアロナは子どもたちの精神的な負担軽減に心を砕いた。


 その最中さなかのことである。


「やあ、リェダの旦那。元気にしているかね」


 孤児院の庭で子どもたちを遊ばせていたリェダは、門扉の向こうから声をかけられて目を丸くした。かねてから世話になっている、あの老商人である。

 彼には、あらかじめ引っ越し先について伝えていたのだ。

 門前で立ち話をする。


「近くまで来たんでね。顔を見せておこうかと思って。どうかね、孤児院は順調かい」

「これまでの暮らしを大きく変えたんだ。『何事もなく』は難しい」

「ま、そうだろうねえ。おお、そうだ。あんたに頼まれていた前の孤児院の様子だが」


 老商人には、引っ越し後の旧建物へ引き続き品物を運んで欲しいと依頼していた。

 その理由は――。


「エルの嬢ちゃん、ずいぶんとやる気になってたみたいだねえ」


 老商人が眉を下げる。苦笑と心配が混ざったような表情だった。


 天才賢者エル・メアッツァ。彼女はリェダの正体を知ってから、旧エテルオ孤児院の建物を買い取って、個人的な研究施設にしている。数日前から、そこに詰めているはずだ。

 目的は、リェダをこの世界に留め置くための方法を見つけること。


「何の研究か儂にはさっぱりだが、いくら百年に一度の天才賢者とはいえ、妙齢の女性が片田舎にたったひとりでこもるのは、どうなのかねえ」

「だからこそ、信頼できるあなたに様子を見てもらいたかった」

「はは。リェダの旦那にそう言ってもらえるのは光栄だ」


 老商人が頬を緩める。

 彼の話では、エルは研究に没頭しているらしい。呼んでもすぐに出てこないこともあって、ちらりと見た建物内はだいぶ散らかっているとのことだった。


「ありゃ、邪魔しない方がいいのかね。天才の考えることは儂にはわからん」

「……時間を見つけて、俺も会いに行こう。ついでに掃除の仕方も改めて教える。他には何か気づいたことはないか? 少ないが金は渡す」

「金? ああ、構わん構わん。エル嬢ちゃんから毎回たんまり報酬をもらっている。うーん、そうさねえ……おお、そうだ。リートゥラがお前さんたちに会いたがっていたぞ」


 フェムの事件以来、この気の良い老商人はロフィ一家のことも気にかけていたようだ。リートゥラ含め、元気でやっているらしい。


「この前ブロンストに仕入れに行ったとき、リツァルに行きたいと言っていた。旦那が良ければ、次の仕入れがてら乗せてってやろうと思っているのだが。どうかね」

「構わない。あの子たちには手紙を出していたが、直接顔を合わせられなかった。皆も喜ぶだろう」


 リェダはうなずいた。正直、今こちらからブロンストまで会いに行く余裕はない。

 予定を忘れないようにするためか、帳簿の余白に覚え書きをする老商人。リェダはもうひとつ、気になっていたことをたずねた。


「エルの研究施設やブロンストは、平穏か? ここのところ魔族騒ぎが頻発していたが」

「今のところはね。旦那と同じように避難する人はブロンストでもいたけど、ま、いつもどおりの暮らしはできてる」

「そうか」


 次なる魔族が襲撃する兆候は、今のところないということか。

 老商人は空を見上げた。太陽の傾き具合を見る。


「そろそろ商人ギルドへ向かわないと。じゃあな、旦那。また何かあったら報告に来る」

「手間を取らせてすまん」

「はっはっは。ちょっとは丸くなったかな、旦那も。では、また」


 老商人が荷馬車をゆっくりと発進させる。


 その後ろ姿を見送っていたリェダは、彼と入れ替わりに、立派な馬に乗った騎士の男がひとり、こちらに向かってくるのに気づいた。その場に立ったまま出迎える。

 騎士はエテルオ孤児院の前で馬を止めると、下馬して敬礼した。軽く所属を名乗る。深い青色に染められた装備。リツァル蒼騎士団の人間だった。


「リェダ殿ですね? 騎士団から出頭要請が出ております。差し障りなければ、これからともに参りたいのですが、いかがでしょうか」

「これからだと?」


 つい、いつもの口調でたずねてしまう。怪訝そうな顔をした騎士を見て、リェダは言い直した。


「騎士団から呼び出しがあるとは聞いていました。ただ、ずいぶんと急ですね。これから来いなどと」

「申し訳ありません」


 リェダは肩をすくめた。孤児院の中で別の作業をしていたティアロナに一言伝える。フラーネの後見証明書を懐にしまい、リェダは蒼騎士とともに騎士団本部拠点へと向かう。騎乗を勧められたが、断って自分の足で歩いた。


 孤児院のある住宅区画から南へ。街で最も大きな目抜き通りを挟み、リツァルの南東区画へと向かう。蒼騎士団の本部はそこにあった。

 おそらく兵員を動かしやすくするためだろう。騎士団本部の周囲は道幅が広く取られていた。城壁で囲まれた街の中に、さらに強固な壁がずらりと並ぶ。壁の上では等間隔で旗が立てられ、旗の頑丈な布が風を受けて重々しくなびいていた。

 もしかしたら、この本部の敷地面積は、旧エテルオ孤児院に隣接していた湖ほどあるかもしれない、とリェダは思った。


「さすがですね」


 ふと、先導する蒼騎士が言った。


「外の土地から来た方で、本部の外観にまったく驚いておられない。落ち着いたものです」

「あの強固な石壁が襲いかかってくるわけではないでしょう。何を怖れる必要が?」

「ははは。しかりですな。なるほど、勇者殿が熱心に推薦されるわけだ」


 納得の様子である。フラーネはどこまで吹聴しているのかと、リェダはむしろそちらの方が不安で落ち着かなかった。


 ――リツァル蒼騎士団。ナタースタ王国西の要を預かる、精強な軍隊。フラーネのような勇者がこの地に滞在し、蒼騎士団と力を合わせるのはごく自然なことであろう。それだけの偉容が本部にはあり、それだけの誇りと自信が建物全体から立ちこめている。

 良いことだ。ここの人間なら、相手が魔王とて尻込みすることはないだろう。

 大勢の騎士から串刺しにされる自分を想像するリェダ。そんな危険地帯にわざわざ乗り込もうとする滑稽さに、リェダは思わず口の端を引き上げた。幸い、前を行く蒼騎士には気づかれなかった。


 蒼騎士団の巨大な正門、その脇に、小さな通用門があった。小さい――と言っても、荷馬車一台なら余裕で通過できそうな幅と高さがある。警備用の詰め所があり、騎士団の人間が目を光らせている。

 蒼騎士に続いて通用門を通る。厳つい顔の警備員が、なぜか敬礼を寄越してきた。


 門を通過し、敷地内に入る。途端、明るい声に呼びかけられた。


「リェダ先生さん!」

「フラーネ」


 勇者少女が大きく手を振りながら、こちらに駆け寄ってくる。いつぞやの勇者向け装備をしっかり身につけ、しかし表情はいつもの甘えた教え子のそれであった。

 フラーネはリェダの前まで来ると、まず先導した蒼騎士を「ご苦労様でした」と労った。声の調子が凜とした女性のものに変わっている。

 勇者の二面性を承知しているのか、蒼騎士は苦笑で敬礼すると、そのまま隊舎へと向かっていった。


 リェダとフラーネが残される。彼女は溌剌はつらつと言った。


「ここからは私が先生さんをご案内します。さあ、張り切っていきましょう!」

「ご機嫌だな」

「それはもう。ここから楽しみで楽しみで仕方ないですもの。ふふふ」


 何やら怪しげに笑う教え子に、リェダは首を傾げた。


 それから、リェダはフラーネの後ろを付いて歩く。教え子の少女は堂々とした足取りで、蒼騎士団の建物の中を突っ切っていく。多くの騎士の目があってもお構いなしだ。

 リェダの耳は、すれ違う老若男女の騎士たちのひそひそ声を拾っていた。


「あれがフラーネ様の――」

「堂々たる体躯だ。それに、隙がない――」

「勇者様が常々おっしゃっていたとおりね――」


 フラーネ、とリェダは後ろから声をかけた。


「心なしか、お前ではなく俺の方が目立っているような気がするのだが」

「むふふぅ。そうですか? そうですよねぇ」

「……お前、由緒ある騎士たちに何を吹き込んだ」

「人聞きの悪いことを言わないでください、先生さん。私はただ、リェダ先生さんのすごさをわかりやすく話しただけです」

「どんなふうに?」

「『私は私より強い人に育ててもらいました』って」


 リェダは軽く額を押さえた。さらにフラーネが、「この騎士団に詰めるようになってからは毎日言うようにしてましたが」と付け加えると、思わずため息を漏らした。

 道理で、最初から蒼騎士の態度が好意的だったわけだ。

 しかし、リェダーニル・サナト・レンダニアは思う。


 なぜ、元魔王が勇者と騎士から崇敬されなければならない、と。


 フラーネの鼻歌が聞こえる。

 念願だった、リェダの騎士団雇用を前にして浮かれているのだ。それだけ、彼女が心待ちにしていたことが強く伝わってくる。


 リェダは気持ちを切り替えた。目立つ必要はない。孤児院を維持し、子どもたちが健やかに過ごせるだけの金を手に入れるだけでいいのだ。それに、騎士団に加わることでフラーネが喜んでくれるなら、教え子の喜ぶ顔を見られるのなら、それはそれで構わないだろう。

 フラーネの名誉が護れる限り、努力しよう。


 リェダの鷹揚さは、見た目の雰囲気に影響を与える。皮肉にも、それがかえって彼の評判を高めることに繋がった。『あの男、只者ではない』――と。


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