第25話 リートゥラの未来


 ――ナタースタ王国西部の街、ブロンスト。


 日差しも穏やかな、過ごしやすい天気だった。


「ふぅー」


 人通りの多い目抜き通りを越えたところで、ひとりの少女が額の汗を拭った。普段、雑踏に入ることの少ない彼女。中規模の街とはいえ、ブロンストで一番賑やかな道は人酔いしてしまいそうだった。


 綺麗な金髪を短めに切りそろえ、落ち着いた雰囲気を醸し出す少女。

 エテルオ孤児院の年長者、リートゥラだった。


 建物の間の道を小走りに行く。路地裏は、光と影が交互に道を彩っていた。


 迷いのない足取りで進むと、やがて建物の数がまばらになる。郊外の閑静な住宅地に差し掛かったのだ。街の中心部が、商人や冒険者などが暮らす少々雑多な生活空間になっているのと比べ、この辺りは昔ながらのゆったりとした間取りの一軒家が並ぶ。

 比較的、生活に余裕のある家族が居を構える区画だ。

 リートゥラはその中の一軒、小高い丘の上で田園地帯への見晴らしも良い民家に向かっていた。


 玄関前に立つ。風が吹いた。どこからか流れてきた葉っぱが髪にかかる。リートゥラはくすりと笑って、葉っぱを取る。


 ドアの叩き金を握ったとき、扉が内側から開かれた。


「いらっしゃい! リートゥラお姉ちゃん!」

「フェム!」


 胸に飛び込んできた少女の小さな身体を、リートゥラは受け止めた。勢いが付きすぎて、その場でくるくると回る。


 フェム・ロフェ。以前、迷子になっていた彼女をリートゥラが助けて以降、フェムはすっかり懐いてしまった。今ではこうして、機会があるたびにフェムの家を訪れる関係である。

 ふたりは実の姉妹のように仲が良い。リートゥラは金髪、フェムはやや赤みの強い山吹色。並んで立つと姉妹と言われても違和感がない。ふたりの関係はお互いの保護者公認でもあった。


「やあ、よくきたね。リートゥラ」

「アンゲルさん。こんにちは」


 遅れてやってきた家主の男性に、リートゥラは丁寧に挨拶をした。

 その姿を見たアンゲルは、少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。


「『さん』付けなんて、かしこまらなくていいよ。前から言っているように、いずれリートゥラとは家族になるんだからね」

「……はい」


 はにかみながらうなずくリートゥラ。


 エテルオ孤児院で最年長の彼女は、近いうちにロフェ家の一員となる予定なのだ。以前から親しく交流していて、お互いのことをよく知っているからだった。

 リートゥラを引き取りたい――その話はアンゲルの方から持ちかけたという。孤児院の院長リェダも前向きに、精力的に動いてくれている。

 もちろん、リートゥラに否やがあるわけがなかった。

 彼女が家族になることを誰よりも喜び、望んでいるのが、今もひしと抱きついたままのフェムであった。


 フェムの頭を優しく撫でながら、ともに室内に入る。

 しっかりとした造りの木造建築。隙間風とは無縁の住空間。一歩足を踏み入れると、室内の程よい温かさと、甘く良い香りがリートゥラを迎えた。


 キッチンからエプロン姿の婦人――デアナ・ロフェが顔を出す。


「おかえりなさい。リートゥラ」

「あ……お邪魔します」

「もう。こういうときは『ただいま』でしょう?」


 デアナも苦笑する。責めている様子ではない。溢れる慈愛を感じさせる眼差しだった。

 リートゥラはかしこまった。


「ごめんなさい。ちょっとまだ慣れなくて……」

「いいのよ。ゆっくりでいいわ。時間はたくさんあるんだから」


 デアナが、ほのかに湯気が立つトレイを持ってきた。


「ちょうどパイが焼けたの。皆で食べましょう」

「うわぁい、やった!」


 両手を挙げて喜ぶフェム。「アップルパイ、大好きだもんね」とリートゥラは微笑んだ。

 お姉ちゃんお隣ね! と高らかに宣言し、フェムががたがたと椅子を動かす。肘当てがくっつきそうなほど近づき、フェムとリートゥラは隣り合って座った。

 そんな『姉妹』のため、デアナはふたり分のパイをひとつの皿によそい、テーブルに置いた。


「お姉ちゃん、あーん」

「ありがと。じゃあフェムも。あーん」


 お互いの手から差し出されたパイを、さくん、と同時にほうばる。

 十四歳のリートゥラ。七歳のフェム。

 ふたりの間には穏やかで温かな雰囲気があった。

 アンゲル、デアナ夫妻はその様子を微笑んで見つめている。


 ――それからしばらく後。


 お腹が膨れたことに加えて、リートゥラとのお喋りでお疲れ状態になったのか、フェムはソファーで寝息を立て始めてしまう。

 デアナが我が子を二階の寝室まで抱いて上がる。

 その間、リートゥラはアンゲルとともにキッチンで洗い物をしていた。


「リートゥラ。今日は泊まっていけるのかい?」

「ごめんなさい。今日は荷馬車の出発が早くて。お夕飯前には戻らなきゃいけないの」


 リートゥラがひとりでロフェ宅を訪れるときは、いつもの老商人の厚意で荷馬車に乗せてもらっている。フェムたちと一緒にいられるのは、商人の荷馬車が出発するまでの間だ。


 アンゲルは「リートゥラが来るときはいつも張り切ってしまうからなあ。フェムの元気切れも早い。だから前日くらいはしっかり寝なさいと言ってるのにね」と笑った。リートゥラもつられて笑った。


 しばらく作業に集中する。孤児院の暮らしが長いリートゥラは、アンゲル以上に手際がよい。

 アンゲルはそんな少女の横顔を頼もしそうに見つめた。


「孤児院のリェダ先生には感謝しているよ」


 ふとアンゲルが言った。

 エテルオ孤児院の院長がリートゥラのために尽力していることを、彼は知っている。リェダに対する信頼は夫婦ともに篤かった。


「それに先生はすごい方だね。立ち居振る舞いがただ者じゃないよ。噂では、医者もお手上げな原因不明の病をたちどころに治してしまうそうじゃないか」

「きっと、先生なら『単なる噂だ』って言いそうです」


 子どもたち相手とそれ以外で表情の違う院長先生を思い出し、リートゥラは苦笑する。


 少しだけ、アンゲルは口調を改めた。


「幸い、我が家には余裕がある。ブロンストは良い街だ。リートゥラは何も心配することはないよ」

「はい。本当に、私は幸せ者だと思います」

「君のようなしっかりした娘が増えたら、私の立場がなくなるかもしれないなあ」


 一転して冗談を言う将来の義父に、リートゥラは洗い物に視線を向けたまま微笑んだ。

 アンゲルは目を細める。


「孤児院のことが気になるかい?」

「そう、ですね。ずっとお世話になってきたし、今ではみんな、私の弟や妹みたいなものだし。それに、リェダ先生やティアロナ先生だって」


 そこで言葉を切る。

 アンゲルは小さく肩をすくめた。


「妻の言葉じゃないがね、焦らなくていい。時間はあるさ。ただ、これだけは知っておいてくれ。私も、妻も、フェムも、君と家族になりたいと心から思っている。皆、君を愛しているよ」

「……あ」


 リートゥラは手を止めた。彼女の視界がにじむ。


「ありがとう、ございます。嬉しい……」


 ――その後。


 結局眠ったまま起きなかったフェムの額に口づけをし、リートゥラはロフィ宅を後にした。

 玄関先で見送った夫妻は、リートゥラの姿が消えてからぽつりとつぶやいた。


「本当に、リェダ先生には感謝の言葉しかない。私たちに、へのご恩返しの機会を与えてくださったのだから」

「ええ。奇跡みたい」

「……さ。家に入ろう。フェムが起きたときになだめる方法を考えないと」


 夫妻は玄関の扉を閉めた。


 ――風が、吹く。

 一度は地面に落ちた葉っぱが再び巻き上げられる。

 ふらり、ふらりと空中を漂い、家の裏手にある木の側に落ちる。


 その葉を、拾う手があった。


 じゃらり、と鉄輪の音がした。


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