第52話 新旧孤児院のひととき


 ――夕暮れ時のリツァルは、日中とはまた違った賑やかさがあった。

 街一番の目抜き通り、人の波をかき分けながらリェダは歩く。行き交う人々の表情は様々だ。家路に急ぐ父母の穏やかな顔、ここが稼ぎ時と声を張り上げる商人たちの顔、何か追加の仕事でもできたのか重い足取りで歩く陰鬱な顔。

 人の波は声のうねり、風の流れ。目だけでなく耳にも肌にも誰かの存在を感じる。

 寂しくない、とリェダは思った。


 かつて、魔界で二万もの大軍を死体の山と化した魔王リェダ。その真ん中に立ってようやく紛らわせた孤独感が、今は生きている人間に囲まれることで寂しさを感じなくなっている。

 歩きながらリェダは苦笑した。昔は死体の山に隠れていた敵に気づかなかった。感慨にふけっていたから。今も同じ状況だ。最強の魔王と言われても、心は隙だらけだなと自嘲する。


 リェダは孤児院に帰る途中だった。もうすぐ夕飯の時刻。新しい環境だからこそ、『家族』揃って食事をする時間は大事にしたい。


 実を言うと、彼は食事に誘われ、つい先ほどまで飲食を共にしていた。

 相手は若手騎士たち。今日、リェダが初仕事で訓練に付き合った者たちだった。


『リェダ殿! 俺は感服した! 顔合わせ時の非礼を詫びさせて欲しい!』

『リェダさん、どうやって身体を鍛えたんですか。僕たちとそう年齢は違わないように見えるのに、とんでもない体力だ。もしや、王都の近衛に所属していたとか?』

『今後魔族にどう対応していくべきか。ぜひご意見を伺いたい』

『リェダさーん。お付き合いしている彼女っていますかー? 私とかどうっすかー? あははは』


 訓練のときとは打って変わって、親しげな様子になった若手たちを思い出す。

 どうやら彼らの認識を大きく変えてしまったらしい。


 訓練が終わるなり、若手騎士たちは『リェダ殿の歓迎会をしよう!』と盛り上がって、そのまま酒場まで連れていかれた。訓練での振る舞いやこれまでの生い立ちを根掘り葉掘り聞いてくる様は、まるでフラーネが何人も揃ったように思ったものだ。

 リェダは酒を飲まず、他の飲食もほどほどにして、その場を切り上げた。孤児院のことがあるからと言うと、若手騎士たちはさらに感服した様子を見せた。

『また付き合ってください!』と酒場の出入口で手を振る彼らに、リェダもまた手を振り返したものだ。


 ああいう連中に斬り伏せられるのも、悪くはない。

 願わくは、相手が誰であろうと躊躇いなく任務を全うしてもらいたいものだ。そうすれば安泰である。この街も。この街に暮らす子どもたちも。


 ゆっくりと人の波を泳ぎながら、住宅区画の孤児院へと向かう。

 建物が大きく見えてきたとき、リェダは目を瞬かせた。


「ティアロナ?」

「おかえりなさい、院長」


 短く言う。彼女がひとり戸外で出迎えるのは珍しいと思った。この時間帯、まだ子どもたちは元気にはしゃいでいるはずだ。

 やや暗闇が降り始めた孤児院前。リェダは元部下が眉根を寄せていることに気づいた。いつものマスク姿ながら、うんざりしつつ、少し怒っているのがわかる。はて、事前に伝えた時間までには戻って来られたと思うのだが――とリェダは首を傾げた。


「何かあったのか?」

「来客ですよ」


 大きなため息。それからティアロナはリェダをちらりと見た。


「リェダ様。今日はずいぶん賑やかだった様子。こちらの暮らしに馴染みすぎでは?」

「否定はしないが、なぜ知って――ああ」


 そこで気づく。孤児院の扉から、微かに声が漏れ聞こえてきた。元気で明るい、聞き慣れた声だ。『来客』が誰なのか理解する。

 苦笑しながら、ティアロナの横を通る。


「そう邪険にすることもないだろう、ティアロナ。おかげで孤児院の運営には問題ないほどの稼ぎが手に入る。金があれば次の人材を見つけやすくもなる」

「……その意味でも馴染みすぎと申し上げているのです」


 再びため息をついた部下とともに、建物に入った。

 耳に響く音量が上がる。奥の食堂からだ。


「――そこでね、こうバッと先生さんが構えるの。そうしたらガキィンって剣を受け止めてねっ!」

「おおーっ。リェダ先生すげえー!」


 食堂では、小さな子どもたち用の踏み台を舞台代わりに、勇者の少女が身振り手振りで盛り上げていた。どうやら訓練時のリェダの動きを再現して見せているらしい。


「こら。勇者様が幼気いたいけな子どもたちを煽動するとは感心しないな」

「あ、先生さん。お帰りなさい!」


 悪意皆無の純粋無垢な笑顔で出迎えられる。「大事な用がある」と言って歓迎会に顔を出さなかったのはこのためかと、リェダは呆れた。ティアロナがうんざりするわけだ。

 年少の子が数人、リェダの元に集まってくる。皆、目をキラキラさせていた。


「ねーねーせんせー! きし様をわからせたって、ほんとー?」

「フラーネ」


 周りの子たちを怯えさせない程度に勇者を睨む。

 小さい子にはそう言った方が伝わると思って――と勇者少女は胸を張った。


 年少連中をリェダの元から回収した世話焼きの子が言う。


「でも、リェダ先生って本当に強かったんですね。魔法でも武術でも戦えるって、エルさんから聞いたことがあったけど」

「リェダ先生さんは魔族にだって負けないよ! きっと!」

「う、うん。フラーネさん、それはさっき何度も聞いた」


 気弱なこの子は先輩教え子の圧にたじろぎながら、それでもリェダに笑みを見せた。


「ちょっと安心しました。リェダ先生、もしかしたら街の人たちにひどい目に遭わされてないかなって」

「そんなに頼りなさそうに見えたか」

「あ、いえそうじゃなくて。孤児院から先生が離れがちになるのって、珍しかったから」


 先生、とその子はリェダを見上げる。


「孤児院のことは、任せてくださいね。私たち、大丈夫ですから」

「ぼくもー」

「あたしもー」

「えー。あたしせんせいないのやだー!」


 賑やかで元気で――たくましい子どもたち。

 その姿を見たリェダは、そっと天井を向いて、ひとつ、大きな深呼吸をした。


「あ。そろそろ帰らなきゃ」


 ふと、フラーネが言った。少し大きめの背嚢を背負う。騎士団本部から直行してきたのだろうが、それにしてもいつもより荷が多い。

 リェダは言った。


「せっかく来たんだ。夕食、食べていかないのか?」

「ごめんなさい、先生さん。今日は自慢話だけで失礼します」

「自慢話……」

「実は、明日は朝が早いんです。エルとリートゥラの様子を見に行こうと思ってて。ついでに近隣で起きた山体崩落の調査も」


 調査がついでか、とリェダは思った。もちろん任務は真面目にこなすのだろうが、『ついで』と口にしてしまうところはフラーネらしい。


「ひとりで先行するので、荷物預けられないし、出発も早くしなきゃ。ということで先生さん、皆。今日はお疲れ様でした。では!」


 名残惜しそうにする子どもたちに手を振りながら、勇者フラーネは颯爽と孤児院を出ていった。


 ――その後の夕食。フラーネの話に興奮冷めやらぬ子どもたちから、リェダは質問攻めにされた。リェダとしては特別なことをしているつもりも頑張っているつもりもないので、端的に答えるだけ。それがまた、子どもたちの想像力をかき立てた。


 フラーネと騎士団の話題で盛り上がっていた最中である。


「そういえば、エルさんは今どうしているんですか、先生」


 ふと、年長の大人しい子がたずねた。リェダは答える。


「前の建物で研究の続きをしている。何でも、先生の残した資料が貴重なんだそうだ」

「先生の先生……そっか、エテルオ先生の。そういえばエテルオ先生、難しい本をたくさん読んでた。倉庫に読み切れないほど置いてあるって」

「ああ。だから引っ越しのときもそのままにしておいたんだ」

「フラーネおねえちゃんとエルおねえちゃん、なかよしー」


 ぼろぼろと口の端から食べ物をこぼしながら、年少の子が笑う。すかさずティアロナが手拭いで綺麗にする。リェダは微笑んだ。


「そうだな。仲良く、互いに信頼し合うのは良いことだ。お前たちも同じ孤児院の者同士、ちゃんと仲良くやるんだぞ。互いに助け合って、ずっと――な」

「はーい」


 そこここから元気の良い返事がある。ただ、勘の良い子は不安げにリェダを見ていた。



◆◇◆



 同時刻。

 ブロンストの南、湖と林に囲まれた旧エテルオ孤児院に、ぼんやりと灯りがいた。日没からしばらく経ってからである。まるで、時間を忘れて作業していた者が、周囲の暗さに今更ながら気づいたかのようだ。


 実際、そのとおりであった。


「……はぁ。むりやばい」


 かつてリェダが使っていた院長室の椅子で、天才賢者エル・メアッツァはつぶやいた。


 彼女がこの部屋に詰めるようになってからというもの、たちまちのうちに床が本で埋め尽くされていった。倉庫に保管されていた書物一式を、手当たり次第に持ち込んで読み耽ったためである。

 生活面での面倒くさがりが、ひとり作業であだとなっていた。


 だが、エルは本をめくる手を止めようとしない。寝食を惜しんで研究に没頭していた。

 研究に集中できるよう、隣町のブロンストに部下を待機させ、毎日のように仕送りをさせている。

 賢者が自分の都合でそこまで好き勝手やれば、当然、眉をひそめる者も出てくるだろう。

 もし苦言を呈されたり、王都に戻らないかと打診されたときには、過去の実績を盾にしてでもここでの研究を続けると、エルは決めていた。

 それだけの覚悟を、彼女は内に秘めている。


 ――旧エテルオ孤児院の建物をエルは私費で買い取った。研究室に使うためという名目で、購入資金を孤児院の引っ越し費用に使ってもらうためだ。

 だが、彼女が思っていた以上にこの建物は『宝の山』だった。


 孤児院の倉庫に眠っていた、前院長エテルオの書物。各所から取り寄せた専門書の他にも、前院長自身が執筆したと思われる本もあった。

 王立魔法研究所特務研究室室長――その肩書きがあるエル・メアッツァをして、初めて目にするような書物がずらりと並ぶ。しかも、どれも非常に興味深い内容のものばかり。

 もし状況が違っていたら、重要資料として全書物を追加で買い取って、王都に送りたいと考えただろう。


 すべては、リェダを人間世界に留め置くため。その方法を見つけ出すのだ。一刻も早く。

 これだけの資料が揃っているのなら、希望はある。


 眉間を揉みながら次の書物へ手を伸ばすエル。これまでたくさんの表紙に触れた感触から、前院長エテルオの書物だとわかる。ただ、他の本よりもざらついていて、重い。古い本だ。

 年季の入った紙を破かないように注視しながらページをめくっていく。


 その手がぴたりと止まった。


「……これだ」


 エルは居住まいを正す。人形に魔力を通し、読みやすいように本を支えさせた。

 その書物は、召喚魔法について記していた。

 瞬きも忘れて、文字を追う。我知らず、緊張で汗が出てきた。


「噂では聞いていたけど」


 内容を咀嚼すれば咀嚼するほど、理解すわかる。


「エテルオ先生って、ホントのホントに、隠遁してた大魔法使いだったんだ」


 指先で、書物に記載のある魔法陣をなぞりながら、天才賢者はつぶやいた。


「召喚した先生も、この召喚に耐えたパパも、どっちもホント、むりやばい」


 エルは書物を閉じた。それを小脇に抱え、立ち上がる。床に積み上がった本の山に何度も蹴躓きながら、彼女は孤児院の外へ出る。


 本には、召喚を試みた場所についての記述があった。

 彼女は賢者として、研究者として、そして育ての親を救いたい娘として、強烈な興味を持たずにはいられなかった。


 魔王リェダーニル・サナト・レンダニアを召喚したという、その場所を。


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