第53話 這い出る脅威


 魔法で灯火を作り、暗くなった林の中を歩く。書物の記載を頼りに、目的の場所へと向かった。

 旧エテルオ孤児院からそう離れていない開けた場所に、それを見つける。

 複数の照明魔法を展開し、地面を照らした。

 五年の時間が経過し、風雨と雑草でほとんど見えなくなってしまったが、それでも断片的に魔法陣の一部と見られる痕跡が発見できた。


 エルは小さくため息をついた。


「私、どれだけ引きこもり……むりやばい」


 建物からここまで、その気になればいつでも来られる距離だ。今の今まで気づかなかった自分が、いかに孤児院の外に出たがらない子どもだったか、嫌でも理解させられてしまう。


 気を取り直し、エルは魔法陣の痕跡を調べ始めた。辺りが暗くなっても、ローブが土で汚れてもお構いなしである。書物と比較し、ここが正真正銘、召喚現場であることを確信する。


 魔王陣の痕跡に、指先で触れる。瞑目した。

 賢者として、自問する。


「エル・メアッツァ。あなたは、再びこの魔法陣を起動させることができる?」


 それは、大魔法使いエテルオに並び立つ覚悟と力があるかという、自らへの問いかけ。

 頭の中で、いくつもの言葉とイメージが乱舞する。


 エルは静かに目を開けた。眉間に、わずかな皺が寄っている。


「この召喚魔法であれば……痕跡をなぞれば、あるいは」


 けれど、エルが求める『魔王をこの世に留め置く術』については、いまだ答えが出せない。

 近いけど、遠いなあ――とエルは天を仰いだ。


「むりやばい……けど、嘆いていても仕方ない」


 魔法陣跡は旧エテルオ孤児院から近い。せっかく研究拠点として住み込みしているのだ。これ以上損傷と風化が進まないように、魔法陣を保護していこうとエルは思った。ひとつの魔法研究が、別のまったく新しい魔法創造のヒントになりうることを、エルは何度か体験している。魔法陣の研究を進めれば、何か新しい発見があるかもしれない。

 場所がわかるように目印を立て、エルは一度孤児院へ戻ろうと踵を返す。


 そのときだった。

 照明代わりに漂わせていた光魔法が、風に吹かれたろうそく火のように揺らめいた。すぐに元に戻る。

 賢者は、そのわずかな時間の異変を見過ごさなかった。


「……魔力の波。どこから?」


 周囲を見回す。懐から人形を取り出し、魔力を込める。

 召喚魔法陣跡の周辺に、異物は見られない。

 エルの古代魔法に、ほんのわずかでも干渉してきた魔力。だがおそらく、これは爆風の余波だ。発生源はもっと別の場所。

 賢者には、この魔力の感触に覚えがあった。


「洞窟の、魔王。また……来たの?」


 確証はない。

 だがエルは腹を決めた。

 もし、本当に魔王を始めとした魔族が再び攻めてきたとしても――孤児院と、召喚魔法陣は護り切ってみせる。

 ここは、リェダと再び一緒に生きるために、絶対に必要な場所なのだから。


 防衛のための結界を張るべく、賢者エル・メアッツァは孤児院へと引き返していった。



◆◇◆



 ――賢者が異変を感じる、わずか前。



 ブロンストの南西、小高い岩山が連なる一帯。山の麓の平地に、野営地が一カ所できていた。

 周辺の治安維持をあずかる騎士たちと、彼らの補佐としてギルドから派遣された雇われ冒険者たちとの混成部隊である。

 数は十人ほど。


 数日前より、この場所に簡易拠点を設け、現地調査を行っているのだ。

 調査対象は、崩壊を起こしたという山の一画である。


「うへぇ。話に聞いてたよりすごいな、こりゃ」


 先ほど交代で現場に入った若い冒険者が、たいまつ片手に舌を巻いた。

 夜の暗闇では全体像を把握しきれない。それでも――いや、むしろ見えない部分があるからこそ、異様で圧倒される光景に映る。


 元はごつごつした岩山に過ぎなかったその場所は、今や果物をスプーンですくい取った跡のように抉れていた。山体崩壊と聞いていたが、これでは山体消滅だ――と冒険者は思った。


 監督役の騎士がやってくる。


「おい新入り。足下気をつけろよ」

「うっす。いやあ、凄いっすねえ。これ、あの天才賢者サマがやったって話でしょ? 超美少女っていう。見たかったあ」

「……お前のようなその日暮らし人間にとっては、その程度の認識なのだろうが」


 地元たたき上げの壮年騎士は、眉根を寄せた。


「賢者様が直々にこの辺境を訪れ、そして山ひとつ吹き飛ばすほどの魔法を放ったのがこの場所。その意味をよく考えねばならない」

「難しいことはよくわかんねっす。とにかく凄えってことでしょ」


 たいまつを持ったまま、身体を丸めてしゃがむ若い冒険者。

 騎士は深いため息をついた。真面目なこの男は、律儀に説明した。


「ここのところ、ブロンスト周辺で魔族騒ぎが相次いでいる。賢者様だけでなく、勇者フラーネ様も対応に当たられた」

「あ、オレ遠目だけど見ましたよ。美人だったっすよねえ。ひひ」

「……それほどの実力者が出張ってくるほどの相手が、日銭稼ぎ用の獣であるはずがないだろう。わかるか? 今、俺たちが立っているのは勇者や賢者が死力を尽くすほどの化け物が出た場所なんだ。魔族の巣を調べているようなものなのだぞ」

「そーんな大げさな。もう賢者ちゃんがブッ倒した後なんでしょ? 何をビビることがあるんすか」


 カラカラと笑う。


「ねー、旦那。今日は早めに引き揚げましょうよ。どうせ何も起きませんってば」

「駄目だ。お前ら、今度の仕事にギルドからたんまり前報酬もらってるんだろ。次の仕事がなくなっても知らないぞ。俺は見てる」

「わっは! そんな怖い顔しないでくださいよ。冗談じょーだ――」


 軽口を叩いていた冒険者が、不意に口をつぐんだ。

 機敏な動きで身を伏せる。闇の奥に目をこらし、それからおもむろに、たいまつを手放した。


「旦那。たいまつを捨てた方がいい。こっちの位置がバレるし、目がくらむ」

「却下だ。まだ異変の正体を確認していない」


 壮年騎士は応えた。


 どんなにふざけてやる気のない人間であろうと、この任務に集められたからには相応の信用がある。魔族絡みの依頼に冒険者ギルドが寄越した人材だ。

 普段から命をかける冒険者は、命のかかる状況には人一倍敏感で、切り替えが早い。

 壮年騎士はそのことを理解した上で、なお、自らのやるべきことを主張した。


「我々の任務はこの地の異変を調べ、新たな異変の芽が出たときは排除し報告することだ。灯りがなければ詳細がつかめん」

「あーそーですか。んじゃ、オレは命が惜しいんでさっさとズラかりますよ」

「そうしろ。お前の方が若く足が速い。野営地にいる人間に状況を伝えさえすれば、前払い報酬分の仕事はしたと見なしてやる」

「……ちっ。これだから役人騎士はやりづれぇ」

「急げ」


 言うなり、壮年騎士は抜剣して果敢に暗闇の方へ進む。若い冒険者は背を向け走り出す。


 騎士はたいまつを正面に掲げ、ゆっくりと左右に動かした。

 鎧越しに、ざわざわと皮膚が粟立つ感覚がする。

 魔法の影響で不自然にならされた岩の地面を歩く。一歩踏みしめるごとに、自分がまだ生きていることを意識した。


 鎧のブーツが小石を潰す音――以外の物音。


 壮年騎士は足を止めた。剣を握った手で庇を作り、たいまつを握った手を突き出す。視界が橙色の輝きにぼんやりと切り取られる。


 また、物音。

 まるで一抱えほどある石を、深い湖に投げ入れたときのような、重く短い水の音だ。


 誰何すいかはしない。その意味はないことを理解していた。


 たいまつの灯りに照らされて、不自然な黒い染みが浮かび上がった。

 接穴。こちらの世界と魔界とを繋ぐ、悍ましき穴。

 これまでの騎士生活で培ってきた勇気をすべて振り絞るつもりで、壮年騎士はたいまつをゆっくりと動かした。接穴の規模を確かめる。


「何てことだ」


 口にするまいと思っていたつぶやきが、漏れてしまう。

 接穴は、これまで彼が見たことも聞いたこともないほど巨大だった。抉り取られた山の敷地、その半分を占めるのではないかと思わせる。


 ここまでだ――と騎士は判断した。一歩、後ずさる。


 次の瞬間、接穴から魔力を帯びた突風が吹いた。咄嗟に身を護る騎士。転倒することだけは回避したが、たいまつは取り落としてしまう。

 夜のとばりに、接穴と魔力の黒が混じる。


 壮年騎士は気配で察した。接穴から何かが這い出てきている。

 最初は亀のようにゆっくりと、だが三秒も経たないうちに驚くべき速さに加速して、こちらに近づいてくる。

 迎撃の姿勢を取れたのは、普段の訓練と彼の生真面目さの賜物だった。


 激しい金属音。飛び散る火花。敵は金属製の武器を持っている。

 だとしたら、ただの獣ではあり得ない。


 敵の攻撃がやたらと重い。全力を出さなければ押し返せない。動けない。

 深紅の瞳が、壮年騎士を捉えた。


「魔族……どもめ!」


 そのとき、横合いから風切り音がした。敵の頭部に突き刺さり、わずかによろめかせる。

 投擲用のナイフだ。


 荒い息で、壮年騎士は横を見た。岩陰に潜んだ何者かが、ナイフを持った手でしきりに合図していた。さっさと下がれ――あのやる気がなさそうだった若い冒険者だった。


 壮年騎士は踵を返した。何としても生き延びなければと、強く心に誓う。生きて、しかるべき人々にこの危機を伝えなければ!


 炸裂音がした。熱風が頬を撫でた。

 思わず足を止めてしまった壮年騎士が、音の発生源を振り返る。


 岩が木っ端微塵に破壊され、周囲に細かな火の粉が舞っていた。砕かれた岩の欠片に埋まり、赤黒く焼けた冒険者の腕が見えた。


 壮年騎士は生真面目であるがゆえに、判断を誤った。

 我が身を省みず助けてくれた『仲間』の無残な姿を前に、義憤を剥き出しにしたのだ。


「貴様ら、よくも――」


 それ以上、言葉が続けられなかった。

 殺到した複数の刃に身体を貫かれ、怒りの形相のままたおれた。


 騎士の屍を踏み越え、次々と新しい魔族が現れていく。彼らは夜闇に紛れ、静かに、確実に獲物へと殺到していく。


 ――野営地は、瞬く間に蹂躙された。

 ひとり残らず殺されたことで、部隊からの報告が途絶える。

 結果、大量の魔族が人間世界になだれ込んでくる事態を許した。




 ――篝火かがりびが静かに燻っている。

 濃密な血の臭いに包まれる野営地に、ひとりの魔族が降り立った。

 魔王ヴァーンシー・サナト・アンゲイル。


「戻ってきたぞ」


 虚空を見つめながら、魔王は言った。


「あなたの……『かけがえのない宝』とやらを蹂躙してやろう。だから、さあ――」


 足下に転がっていた頭蓋を、踏み潰す。深紅の瞳が燃えさかった。


「出てこい、リェダーニル」


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